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なんでも内科診療日誌

とりあえず何でも診ている内科の診療記録

脳梗塞

2024年10月16日 | 脳神経疾患

 7月下旬に90歳代前半の女性が熱中症で救急搬入された。一人暮らしで敷地内の別棟に弟夫婦が住んでいるが、そちらも高齢なので毎日は訪問していなかった。

 別の弟が自宅を訪問して、室内で倒れているのを発見して救急要請した。室内はエアコンは付いているが使用していなかった。というか、最近新しいエアコンが設置されたが、使い方がわからなかったそうだ。

 室内は暑く、前日から動けなくなっていたようだ。会話はできて、特に麻痺など脳血管障害を来したような症状はなかった。画像検査では異常がなく、血液検査では感染症は否定的だった。

 控えめな量の点滴をして経過をみると、食事摂取は良好だった。普通ならそこで退院だが、介護できる人がいなかった。そもそも介護保険申請もしていなかったので、そこから始めることになった。

 高齢の弟さんたちは、病院から施設に入れてください、ということだった。地域包括ケア病棟は入院期間60日で、その間の施設入所は難しい。急性期病棟に少し長くいてもらってから、地域包括ケア病棟に転棟となった。

 住所は地域の基幹病院の方がずっと近いが、先方に入院したとしても介護の関係で自宅退院できなければ当院転院になる。最初から当院向きの患者さんではあった。

 今週末(18日)に施設入所が決まっていたが、15日(火)の午前中にリハビリスタッフが左半身麻痺に気づいた。下肢はほとんど動かない(MMT1)、上肢はわずかに動いていていた(MMT2、午後には3)。

 朝食時も症状が出ていたと思われるが、食事はベットのギャッジアップで介助なので気づかなかったらしい。明らかなムセはなく、会話はほぼ普通に聞こえる。

 心房細動はなく、陳旧性ラクナ梗塞で通院している医院から抗血小板薬が処方されていて継続していた。就寝中の脳梗塞発症と判断された。週開けのMRIは混んでいたので、頭部MRI検査は昼直前になった。

 MRIの拡散強調画像で右放線冠に梗塞巣を認めた。水平断だとそれほどでないように見えるが、矢状断だと結構目立つ。

 退院・施設入所は延期として、脳梗塞急性期の治療を開始して経過をみることにした。

 

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硬膜下血腫

2024年10月15日 | 脳神経疾患

 先週末は土曜から月曜まで3連休だったが、日直・当直に入っていなかったので3日間の休みとなった。月曜日に入院中の超高齢者がCVカテーテルを抜去してしまったという連絡があっただけだった(末梢静脈から点滴へ)。

 

 今日3日間の外来受診・入院をざっと確認した。日曜日の午前8時過ぎに、昏睡(JCS300)の100歳代女性が救急搬入されている。土曜日の当直だった内科の先生が対応した。

 自宅で生活している方で、朝に家族がベットサイドのポータブルトイレの前で倒れているのを発見した。訪問看護に連絡して、当院への救急搬入を指示された。

 血圧は179/89と高値で、酸素飽和度は問題なく、発熱もない。脳血管障害が疑われた。

 頭部CTで右硬膜下血腫を認めた。くも膜下出血も伴っている。これは急性の変化に見える。

 今月の3日か4日に転倒して、頭部を打撲していたそうだ。そこで血腫ができて進行したのか、いったん出血があったところにまた出血したのかはわからない。(放射線科ではどのように読影するのだろうか)

 家族と相談して、高次医療機関への搬送は希望しなかった。(昏睡であることと年齢で受けてもらえない可能性がある)当院入院で経過をみることになった。

 入院後は、翌日の早朝に亡くなられた。DNARの方針だったので、死亡確認は日曜日の当直医が行った。

 患者さんや家族には関係ないことだが、当直明けの午前8時前に昏睡の救急搬入を受けることになるのは(当直は翌日午前8時30分まで)、身体的にも精神的にもきつい。その日は少なくとも午前中いっぱいは病院にいたのだろう。

 

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「意識障害の評価方法」

2024年10月02日 | 脳神経疾患

 「集中治療医学講座6 意識障害の評価方法」は昭和57年発行の古い本だ。懐かしくなって、再度購入した。

 amazonでは一時品切れとなっていたが、楽天ブックでは出版社取り寄せになっていたので購入手続きをした。一定期間後に連絡がなければ取り消し扱いということだったが、無事届いた。

 昔、研修医3年目に勤務していた病院(研修病院から半年の派遣)で院内職員向けに講義することになった。この本をもとにして話をしたが、結構受けた。指導医の先生にも面白かったと褒められたが、この本の内容が良かったというだけだった。

 Japan coma scale(JCS、3-3-9度方式)を作成した脳外科医が詳しく説明していてわかりやすい。一部抜粋して記載する。

 

 JCS Ⅰ. 刺激しないでも覚醒している状態(1桁で表現)

  Ⅰ-1 大体意識清明だが、今は一つはっきりしない

 ”意識清明といい切るには今一つ抵抗がある”とはどういう場合をさすか。3-3-9度方式の最も非科学的部分で、判断する個人によりかなり違った結果が出てきそうなところである。このような意識レベルは除去してしまった方が良いように思われるが、事実使ってみると案外便利で使われることが多い。

 われわれが”1”と判断する例は。たとえば名前、生年月日がいえるし見当識もあるが、正しい答えが出るまでに何回も間違えるとか、時間がかかる場合、また連続引き算、たとえば100から9を連続して引かせてできなかったり、途中から引けなくなったりした場合も”1”にしている。このほか診察途中ほどんど喋らず、答えも”うなづく”とか”頭を横に振る”ような動作で返ってくるとか。”うん”と答えるような患者、また反対に診察中何かにつけて、”口をはさむ”患者の場合も、一応”1”にしている。

 このような判断が正しいかどうかわからないが、いずれの場合でも”1”には緩衝効果が期待できる。意識清明として無罪放免するには一抹の不安を覚えるなら、”1”と理解しておく方が無難である。

 Ⅰ-2 見当識障害がある

 ”今日は何月何日ですか?”と聞いて、どこまでを誤りとするか。たとえば今日は”11月3日”としてみよう。患者の答えが10月とか12月でしょうというのみで、日付をいえないときには見当識障害(時)があると判断する。これに対して11月までは正しく答えるが、日付のわからない場合はどうするか。このような場合には、”月の始め、中頃、終わりかどうか”を聞いてみる。月の初めだとこたえれば見当識正常と判断している。正常成人でもときに月日に対して無頓着な人がいるからである。なお、”場所”、”人”に関する見当識障害の判定で問題の起こることは少ない。正しい病院名がいえなくても”通称”病院名で正しければよいし、遠隔地から自動車で来院したような患者の場合、”大阪の病院”、”東京の病院”だけでも正しいと判断している。また愛妻を”うちのオバハン”といっても問題なかろう

 Ⅰ-3 自分の名前、生年月日がいえない

 名前を聞いて間違う正常成人はまずいない。したがってどんな形の間違いでもすべて誤りである。ときに結婚前の姓を名乗る女性がいる。生年月日も正常人で間違うことはまずなく、また答えるのに躊躇する女性もいない。これに反し、年齢を聞くと正常人でもときに1つや2つ間違うか、あやふやな人がいる。生年月日と年齢の大きな違いは、前者が過去の記憶であり、後者は最近の記憶に属することである。なお、幼児の場合には年齢を聞くか、学童児であれば誕生日を聞くとよい。

 

 飼い猫も、飼い主と他人を区別できて(人)、夕方家に帰って来るので(時、場所)、見当識障害はないと判断される、という話をしてけっこう受けた。

 お婆さんといえる年齢の女性が救急搬入されて、名前の姓が違っていたことがある(名は合っていた)。家族に訊くと、「ああ、お婆ちゃん旧姓だ」、といわれたことがあった。

 

意識障害の評価方法 (1982年) (集中治療医学講座〈6〉)

 

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脳出血

2024年09月19日 | 脳神経疾患

 9月18日(水)の内科外来(再来)に、高血圧症の70歳代初めの女性が受診した。降圧薬を4種類使用しているが、血圧は120台で安定していた。

 病状やそれ以外のことで時間がかかる患者さんが多い。その中で、心気的は訴えもなく、血圧も安定しているので診察がすぐに終わる有難い患者さんだった。高脂血症もあるので、半年に1回検査をしているが、結果は問題なかった。

 その日は珍しく、実はと話し出した。40歳代後半の息子さんが当院の回復期リハビリ病棟に入院しているという。

 

 1か月前に左半身不全麻痺と知覚鈍麻の症状が出て、地域の基幹病院に救急搬入された。頭部CTで脳出血(左被殻出血)と診断され、脳外科に入院した血腫が小さく保存的治療になった。

 高血圧症があったが放置していたそうだ。比較的若年でもあり、内科で二次性高血圧症の精査をしたが、特に二次性ではなかった。降圧薬2種類(ARBとCa拮抗薬)が処方されて、血圧は軽快している。

 転院時には血腫は吸収されていた。多少の麻痺は残るかもしれないが、日常生活には支障がない。別の仕事をしていたが、実家に戻って来て自営業を手伝っていたそうだ。

 

 担当の内科医から退院後は近くのクリニックでといわれているが、いっしょに外来で診てもらえないかということだった。夫婦や親子でいっしょに(同日の同じ予約時間)通院している患者さんたちもいるので、問題はない。

 研修医のころは高血圧症放置で40歳代で脳出血発症というのは時々あったが、最近はほとんどみない。

 印象的で今でも覚えている患者さんもいる。電気工事店を経営している40歳代の男性が、電信柱に登っている時に脳出血が発症した。電信柱の上から助けを求めて、近くの人が救急要請した。いわゆる命綱は装着しているので転落はしなかったが、電信柱から降ろすのには消防のレスキュー隊が必要だった。

 ほぼ完全麻痺で歩行はできず仕事は難しかった。兄弟たちの希望で、リハビリ病院に転院していったが、改善は見込めなかった。(お子さんはまだ中学生)

 

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脳梗塞

2024年09月17日 | 脳神経疾患

 9月13日(金)に地域の基幹病院から80歳代半ばの男性が転院してきた。脳梗塞のリハビリ目的だった。

 当方が内科外来で診ている患者さんで、9月初めの予約日に来院しなかった。連れて来る娘さんの都合で、翌週にでも来るのかと思っていた。

 8月19日に左不全半身麻痺が発症して、先方の病院に救急搬入されていた。おそらく夜間で、当院の当直医が整形外科医だった日で、脳血管障害疑いだと当院には搬入されない。

 送られてきた画像を見ると右放線冠に梗塞巣があった。MRIではそれほどひどい脳動脈硬化はない。心房細動はない方で、疑ったが捉えられなかったと記載されていた。部位的には通常のラクナ梗塞になる。(部位的には麻痺が出てしまう)

 脳梗塞というよりは入院後の不穏・せん妄が著明で苦労されたようだ。転院前には過活動型せん妄から低活動型せん妄になっていまい、廃用が進行しています、とあった。

 

 認知症とは思っていたが、娘さんから急に動きが止まって反応がなくなることがあるといわれた。当院の脳神経内科外来に紹介すると、非けいれん性痙攣重積発作が疑われた。診断的治療で抗けいれん薬が処方されたが、有効ではなかったので、中止となっていた。

 11年前に脳室内出血を来した病歴がある。当時当院にも脳外科医が一人いて、原因不明として脳血管障害の専門病院に紹介していた。結局原因不明で保存的治療後に当院にリハビリ目的で転院となった(2か月のリハビリで退院)。

 

 担当が別の先生になったのは、転院の主治医を順番で回していることもあるが、現在当方の入院担当数が多いためだったようだ。

 

 

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脳梗塞(アテローム血栓性脳梗塞)

2024年09月14日 | 脳神経疾患

 9月11日(水)に脳梗塞の60歳代後半の女性が、地域の基幹病院脳外科からリハビリ病棟に転院してきた。担当は別の内科医だが、当院は70歳代後半から90歳代の患者さんがほとんどで、60歳代だと(比較的だが)若いという印象があって目立つ。

 MRIで右中大脳動脈領域に散在性の梗塞巣があり、MRAで右内頚動脈閉塞があった。脳動脈全体にかなりの動脈硬化を認める。

 まさにアテローム血栓性脳梗塞で、側副血行が発達したので、このくらいの梗塞巣で済んでいるのだろう。基礎疾患として高血圧症・糖尿病・高脂血症があり、喫煙もあった。

 症状は右半身不全麻痺・構語障害(軽度)・左半側空間無視だった。食事摂取は自力できるが、ベットでの起き上がり動作も介助を要する。

 「右内頚動脈閉塞に対する脳外科手術も考慮しているが、まずはリハビリ優先で」と記載されていた。脳血管がこれだけ動脈硬化だと、冠動脈など他の動脈の状態も気になる。

 

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脳梗塞

2024年08月20日 | 脳神経疾患

 8月19日(月)に内科外来から、肺癌の患者さん(70歳代半ばの男性)が受診して、血圧が80mmHg台で脈拍が140/分くらいと連絡がきた。

 また、もともとの左半身麻痺が進行して完全麻痺になっているという。名前を聞いてもわからなかった。8月5日に地域の基幹病院呼吸器内科から紹介されて受診した方だった。(外来で1回診ただけでは、若い先生のように記憶してはいない)

 

 今年の4月に胸部腫瘤影で、近くのクリニックから基幹病院に紹介されたそうだ。気管支鏡検査で右肺小細胞癌と診断された。放射線化学療法目的で、大学病院紹介となった。

 大学病院では照射困難(腫瘍が大きいため)で、抗癌剤治療が行われた。6月下旬に右中大脳動脈領域の脳梗塞が発症した。その後は肺癌についてはBSC(緩和ケアのみ)となった。

 7月初めに大学病院から基幹病院に転院してきた。脳梗塞のリハビリをしていたが、介助での杖(4点杖)歩行が可能になったところで退院になった。

 退院後の治療と癌進行による終末期の対応も含めて当院の外来に紹介された、という経緯だった。

 

 心電図上は頻脈性心房細動だった。診療情報提供書に心房細動の記載はなかったが、処方に抗凝固薬(リクシアナ30mg)が入っていた。心房細動だったことがあったのかもしれない。呼吸器内科の紹介なので、脳梗塞についての記載は簡単なものだった。

 バイタルが良くないので、その日は頭部CTだけ行った。右中大脳動脈領域に新規の梗塞が追加されているようだ。前回の脳梗塞発症時の画像は送られて来ていなかったので比較が難しい。

 入院後は点滴をして血圧が90~100mmHgになってきたので、ビソノテープ2mgを貼付した。心拍数が100~110/分くらいにはなった(体動時は140/分まで上昇)。

 20日朝に診ると、心拍数50~70/分の心房細動だった(病室の心電計)。血圧は100~120と安定してきた。ナースステーションに戻って心電図モニターを見ると、P波があった。洞調律になっているので、12誘導心電図でも確認した。

 

 バイタルが安静しているので、頭部MRIを行った。右中大脳動脈が閉塞して、その領域に梗塞巣を認めた。

 

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脳梗塞次いで脳出血

2024年08月10日 | 脳神経疾患

 今週地域の基幹病院脳外科から、脳出血後の40歳代後半の男性が転院してきた。ADLは自立しているが、右手の巧緻運動ができるようになるために、ということだった。

 

 今年の6月に左半身麻痺で同院の脳神経内科に紹介された。頭部MRIで右脳梗塞と診断され、外来で抗血小板薬(エフィエント)が投与された。未治療だった高血圧症の治療も開始されている。

 麻痺は回復して、階段を降りる時に左足をつくのに違和感があるという症状だけが残ったそうだ。うまく内包後脚にあまりかからなかったようだ。

 7月半ばに今度は右半身麻痺が発症した。脳神経内科で脳梗塞再発疑いで、頭部MRIが行われ、脳出血だったため頭部CTが後から行われた。

 歩行も自立してADLはそれほど低下していないが、右上肢の巧緻運動の障害がある。自営の仕事をするためにリハビリを行うことになった。通常は理学療法を依頼して、リハビリの方で作業療法を追加することが多い。今回は最初から作業療法の依頼を出した。快活な性格で、自営業再開のためリハビリに励んでいる。

 

 短期間のうちに両側の脳血管障害を来したが、比較的症状が少なく済んでいるのは幸いだった。頭部MRIのT2*(T2スター)で見ると、microbleedsが目立つ。自覚的には無症状だが、これまで複数回の小出血を発症していたことになる。

 

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脳梗塞(心原性脳塞栓症)

2024年07月31日 | 脳神経疾患

 こちらも当直の時に、翌日の早朝に救急搬入された。96歳女性で、発語がないとして救急要請された。

 発症時間が不明の脳梗塞かと思われたが、そうではなかった。施設に入所していて、午前3時に職員が排便の介助をしたが、その時はいつも変わりなかった。

 午前6時に自室を訪問した時には、発語がなくなっていた。救急隊も「発語がない」とだけ言っていて、バイタルには異常がないと報告してきた。

 搬入時、開眼はしているが発語はない。口唇をちょっと動かしていて、失語症が疑われた。両上肢を持ち上げたり、両下肢の膝立を行うと、右半身の麻痺があった。左側の脳梗塞だとすると失語症になる。

 心電図で心房細動を認めたが、かかりつけのクリニックから抗凝固薬は処方されていなかった。心房細動があっても、96歳に抗凝固薬を出すかどうかという問題はあるだろう。

 発症して長くても3時間経過しているかどうかだった。頭部CTは出血がないことを確認するのに行った。脳出血はなく、当然だが梗塞巣は指摘できなかった。頭部MRI拡散強調画像でも描出できるかどうかと思われた。

 頭部MRIでは左中大脳動脈領域の脳梗塞がしっかり描出された。MRAは頭を小刻みに動かしていたこともあり、うまく描出されていない。心房細動があり、発症してすぐに症状が完成しているので、心原性脳塞栓症でいいのだろう。

 診断がついて、後は当院で診るかという問題になる。年齢的に高次医療機関で受けてくれるかどうか。

 連絡を受けた家族の娘さんが病院に来ていた。息子さんも駆け付けて来るが、地域の基幹病院の職員だった方で、定年になったばかりだという。

 とりあえず基幹病院に搬送依頼をしてみることにした。電話を入れると、年齢を伝えてもすぐに受けてもらえた。引き受けた後で、ところで男性ですか女性ですがと訊かれた。どちらも空きベットがあったということか。(ちょっと拍子抜けするくらいのやり取りだった)

 急性期の治療後に当院転院になるが、ほぼ完全麻痺なのでベット上臥床の状態になる。食事摂取もできないかもしれない。

 

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脳出血

2024年07月27日 | 脳神経疾患

 7月25日(木)に地域の基幹病院脳外科から74歳男性が、リハビリ目的で転院してきた。

 6月30日に右麻痺で発症して救急搬入されていた。右視床出血の診断で、保存的治療が行われた。視床なので、右半身の間隔鈍麻があり、失語症とも記載されていた。

 利き手交換で食事摂取は(介護用スプーンを用いて)自力摂取できる。食事形態は普通食(高血圧食)でその点では看護の面で助かる。

 

 麻痺は右上肢はMMT1(筋収縮は認められるが、関節運動は起こらない)、右下肢はMMT2(重力がかからなければ動かせる、ベット上を這わして動かせる)だった。現状では上肢は全く実用性はなく、下肢も歩行はできない。

 家族(同居の妻と息子)に現状の麻痺では歩行は不可能で、今後の回復の程度にもよるが、難しいだろうとお話した。視床出血といっても、運動神経の経路である内包後脚を巻き込んでる。

 家族は、先方の病院のリハビリの人(理学療法士だろう)には歩行できるといわれました、という。いやいやまず歩行は難しいだろう。リハビリを継続してまた相談しましょうと伝えた。

 最終の頭部CTは7月17日に行われていて、血腫は大分吸収されてきている。そこから1週間経過しているので血腫成分はほとんどないかもしれない。レンズ上の低濃度域になっていくはずだ。

 介護保険は申請していた。家族は日中は仕事に行くので、歩行できなければ在宅介護は困難だという。

 

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