sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

「図書室」

2019-10-03 | 本とか
この写真も岸さんということで、
「断片的なものの社会学」の時の写真家の写真と似てるけど、良いね。

読み始めた時は、こまごまと感想がわいてきて中々進まなかった。
岸さんの小説はいいと思うけど今まで少し自分から遠かったのが、
これはなんだか近すぎてイラっとするのよねえ(褒めてる)。
自分は主人公には全然似てなくて、
自分にはなかった少女時代とその後のやはり自分にはなかった人生の、
なかったのに、あったかもしれない人生が妙に近く感じられて。
自分には自分の人生みたいなのが最近までずっと欠けてたから、
羨ましくてイラっとするのかなぁ。
たとえばわたしは50を過ぎて初めておそるおそる猫を飼ったけど、
小さい時からわやわやと猫がいたこの少女が遠くて近くて、イラっと。
梅田で紀伊国屋かジュンク堂によって本を買って、と考えながら
ゆっくりひとりコーヒーを飲む大人の主人公も、
わたしが何十年もかかってやっと数年前に手に入れたものを
当たり前のように持ってるので、羨ましくてイラッとするのか?
集中できない時の本が、大好きな本でさえ、カラフルな映画のような世界ではなく
白い紙に黒い虫のようなギザギザの文字があるだけの何かになるところも。
それから小学生の主人公が、同級生の男子を「何ていうか、全体としてみんなバカだった」
というところはわかりすぎて笑った。
そういうディテールにいちいち立ち止まりながら読みました。
前作の「ビニール傘」はいまひとつだったのだけど
(ああいう孤独なんだけど自由な男の視点がどうにも私には遠いのです・・・)
これは立ち止まりながらもぐんぐん読んでしまって
最後の10ページくらいはなんか泣きながら読みました。

主人公の女性はわたしと同じくらいの年だけど、結局、彼女の今も子供時代も、
自分と似たところも共通点も特に共感できるところもないのに、
自分が自分でなかったら自分はこうだったかもしれないという不思議なリアリティというか
身近さを感じたのでした。「ビニール傘」と違ってとても近い。
うまく言えないけど、岸さんは11歳の女の子だった時があるのだろうか、
あるのかもなとも思った。
少女の一人称小説を読むと、自分の少女時代が不幸すぎて
小説の中の少女が幸せでも不幸でもなにか微妙にイラっとするところがいつもあるのに
「図書室」にはなくて、この大阪弁の子ども二人の会話を延々と永遠に聴いていたい
読んでいたい気持ちがしたのでした。
そして、静かに泣きながら読み終わった時に、
すぐそばで動かずこっちを丸い目でじっと見ているうちの猫が
すごく大事な気持ちになりました。そういう小説。猫もいろいろ出てくる。

もう一編収められている、岸さんの自伝的小説?は、
もっと冷めた目で読んでしまったかもしれない。
古き良き日々、グッドオールドデイズを抱えている男の話が、
その時代にも辛いばかりだった女としては、お気楽だなぁと思えて。
ごく個人的なノスタルジーにもやもやするのはどうかと思うし、
岸さんのような人生も体験もわたしには全くできないのですが、
バブル時代を懐かしむノスタルジーって、そこで苦しんでた者には釈然としないのよね。
大体、男の持つ「古き良き時代」ノスタルジーってもやもやすることが多い。
そのノスタルジーや孤独がどんなに甘く切実であっても、なんだかなぁと思う。
お気楽だった者の特権だよな、生ぬるいな、というか・・・
いや、わたしの方がよっぽど生ぬるいのにえらそうですみません。ファンなんですけどね。