散歩者goo 

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昔話の改ざん

2013年08月27日 20時40分05秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
最近、「はだしのゲン」の問題がニュースになり、図書閲覧の自由や、残虐性の表現との関連で、国民の関心を呼び覚まし、この問題は世論の良識に従った形で決着した。
それとともにクローズアップされたのが、残酷な話の表現である。
その問題に関連して、TVで近年の昔話の絵本が、今の4-50代より上の人たちの知っている話しと、筋書きが違うということが話題に上っていた。

例えばある絵本では、桃太郎が鬼が島へ鬼退治に連れて行く、犬や猿や雉は「家来」ではなく、仲間という設定だったり、桃太郎が鬼が島から持って帰った宝物は村人に与えたり、鬼は謝って仲良くしたり、といった話になっているという。
その他の「猿蟹合戦」や「かちかち山」やその他昔話の多くは、ソフトな形に筋書きが変えられているという。

調べたところ、元々昔話はいろいろ地方で少しずつ変わっていたようだ。
民謡や盆踊りの音頭も同じで、伝承芸能は伝承過程で名人や語り部が、話や音楽を面白くするための脚色することは普通であったであろう。

その意味では、それほど目くじらを立てるほどのことはないと思う。
伝承芸能は、当然のことながら、各世代の世相を反映して変化する。
歌舞伎でさえ、出雲阿国から今の歌舞伎になるまで、演出がそれぞれの時代の名優たちにより変えられているものが多いし、変更追加したものが、今の伝統になっているものもあるだろう。
能や狂言は、言葉や所作も伝統を厳格に守っている数少ない芸能だろうが、多くの芸能は時代とともに変化している。
昔話の語りも、伝承芸能の一つと見れば変化して当然かも知れない。

しかし、ほとんどの昔話で、人や動物が殺されたりすることなく、最後は敵も味方もお互い許しあって、皆平等で仲良く終わって、めでたしめでたしでいいのだろうか。

現実の世界は残酷なこと理不尽なことが多い。
だから、フィクションで理想を求めるという考えも理解できるが、逆に昔はこんな考えだったけれど、今は賢くなったので、こういうことはなくなったという話の材料にも出来るし、過去と現在の人類の考え方の変化や違いを教えるべきだと思う。
現実に、現在でも残酷なことや理不尽なことは多く存在しているのが現状だ。
特にアフリカでは、古い考えによる民族紛争や宗教対立で、多くの人が虐殺されているが、国連では現在の考え方(価値観)で平和を維持しようとしている。

TVのアンケートでは、昔話の改ざんに多くの人が反対しているという。
私も反対だ。
誰も殺されること無く、殺される場面では怪我をしたことにし、上下関係のあるものが、チームの仲間に書き換えられるのは、表現の自由として何も問題ない。
しかし昔話として絵本なり童話を書くときには、タイトルに新・旧の区別をして欲しいものだ。
例えば「新桃太郎」とか「桃太郎OO版」のように出来ないものか。
それと、オリジナルの話は、残して欲しいと思う。

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昨日記130826月(24日以来最高気温28度に 特別の予定なし)

2013年08月27日 13時16分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴・曇 28.9  22.1℃ 67% 1.6m南南東

8月24日から最高気温が、猛暑日の35度以上から28度に下がり、過ごしやすい。
体を激しく使わなければほとんど汗をかかない。

昨日も、特別の予定は無かった。
いつものように炊事洗濯や食材の買物で時間をとられ、夕方には支払いのため銀行に振込みに行った。
その帰りに、いつものように近くのカフェで本を読んだ。

このように書くと、家事に追われ忙しく走り回っているように見えるが、そうでもない。
昼寝をしていることも多い。
毎日処理せねばならない、レシートの記帳も滞っている。
時間は、作るものであるということを実感する。

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