教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

なぜ幼稚園は誕生したのか?(5)―遊びを保護・指導する方法(フレーベル)

2015年02月09日 23時55分55秒 | 幼児教育・保育

 さて、「なぜ幼稚園は誕生したのか?」の続きです。やっとフレーベルの教育思想です。あと2回(キンダーガルテンの設立、結論)で終わります。

 出典を示されるときには、以下のように示してもらえると幸いです。
 ↓
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月4~11日。
または
 白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?(5)」『教育史研究と邦楽作曲の生活』http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170/、2015年2月9日。


白石崇人「なぜ幼稚園は誕生したのか?―啓蒙思想の影響とフレーベルの幼稚園構想から考える―」 より

(2)遊びを保護・指導する方法

 フレーベルは、どのような教育思想を形成したか。幼稚園の創設に実際に取り組むまでに、彼が教育をどのように考えていたか、彼の主著『人間の教育』(1826)や1830年代までの論説によって整理してみたい。
 フレーベルにとっての教育目的は、人間の使命を果たすことであった。この人間の使命とは、人間の「神性」(神的なもの、人間の本質や内的な法則)を意識し、実現することである。フレーベルにとって、神性を意識することとは、神の流出した真理(環境)を認識することであり、神性を実現することとは、神の創造的行為を摸倣(表現)することであった。そして、この神性は誰にでも現れつつあるため、母の胎内にいるときから教育(保育)を行うべきだ。人間の教育は、人間を刺激・指導することによって、自由な自己決定によって自らの本質を意識的に認識・表現させ、この人間の使命を果たすことでなければならないと考えた。なお、フレーベルは、人間の最高目的、かつその自己決定の最高の行為として、知恵を求めることを最も重視している。つまり、大人に限らず、乳幼児でも、知恵を求めるはずだと考えていた。
 フレーベルは、この目的を実現するために、幼児教育について最も深く考えた(それ以降の時期の教育についても考えたが、十分考えられずに人生を終えた)。とくに、彼の遊び論は、極めて深い。フレーベルは、幼児期における遊びについて、最高の発達段階、最も純粋な精神的所産、または神性の原型として高く評価した。また、遊びは、本質的に表現の自由によって成立する神性を表現する行為であり、善の源泉であり、喜び・自由・満足・安心および世界との和合を生み出すとも述べている。その教育効果については、次のように述べた。子どもは、遊びによって自分自身を知り、自分の資質・能力を発展させる。また、遊び相手との生活や愛を感じ、認識し、承認する。このことは、子ども同士や遊び相手の大人の生活を互いに尊重することにつながる。そうして、遊びは、子どもの性格を、優しく、感情深く思考するように導き、礼儀正しく、思慮深くする。さらに、遊びは保育者(親を含む)にも大きな意味を持つ。すなわち、遊びは子どもと保育者とを結びつけるほか、保育者に自分自身を知る機会にもなる。かつて啓蒙思想における遊び論は、その教育的意義を指摘したが、遊びを有効な教育手段・技術として考えていた。しかし、フレーベルは、遊びの技術的追究に終わらず、遊びを教育そのものとして、または人間性の原型やお互いを尊重し合う人間関係の源泉として考えた。
 では、遊びの過程をどのように考えたか。フレーベルは、遊びは活動衝動による表現として進められると考えた。子どもは衝動に従って喜ぶ。単純な活動衝動は、次第に深い認識を渇望して、一定の目的を持った形成・造形衝動に移行する。例えば、子どもは、大人がやっていることを自分でもやってみたいと考えて、自分で試みる。そして次第に、自分の力を試してみようとして、物を持ち上げたり、引っ張ったり、運んだり、掘ったり、割ったりする。障害や困難を回避しようとはしない。むしろ進んで困難を求め、克服していく。また、知識欲も旺盛になり、どうして、なぜ、いつ、どこから、どこへなどと矢継ぎ早に質問するようになる。その質問に対する答えは、子どもの満足のゆくものであれば、子どもに新しい世界を開く。このように、子どもは遊びを通して次第に世界(環境)の真理や自分の本質を認識していく。その後の学校教育は、この子どもの認識をさらに進め、環境の内的関連・多様性に気づかせる役割を果たすようにしなければならない。
 フレーベルは、活動・形成・造形衝動による表現としての遊びによって、自分や世界の本質を認識すると考えた。ここで、子どもの遊びを真理の認識や表現に導くにはどうすればよいかという問題が現れる。この問題に対するフレーベルの答えが、「恩物」(die Gabe)であった。彼は、1837年、神の法則・真理を象徴するような玩具を作り始めた。そして、死去するまでに、球・円柱・立方体で構成された6種類の恩物を完成させた[i]。このうち第3~6恩物は、後に積木として現在も子どもの重要な玩具として使用されている(毛糸の球体である第1恩物も、ボールとして使用されていると考えることもできる)。フレーベルはこれらの物によって、一つだけの世界の真理(塊)を直観し(第1恩物)、その世界の分離する様を直観し(第2~6恩物)、再び世界を直観するようになることをねらっていた(第1恩物)。そのねらいを実現させるために、フレーベルは、子どもがこの恩物で「遊ぶ」方法(作業)を追究していった[ii]
 このように、フレーベルは、遊びを教育そのものや人生そのものとして重視し、それを保護・支援・指導する方法を追究していった。フレーベルは、このような教育思想をもって幼稚園を構想していったのである。

 

図5 第3恩物(積木)モデル図
出典:現物を参考に白石が作成。



[i])現在、恩物は6種類以上整備されている。しかし、フレーベルが明確な思想に基づいて完成させた恩物は、第6恩物までであった。第7恩物以降は、フレーベルの弟子や後継者によって多様に整備され、今日に至っている。
[ii]
)特に、第3恩物は体系的に構想されている。

【参考文献】 略 ※(0)参照

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする