教育史研究と邦楽作曲の生活

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「教育情報回路」概念の検討(3)―『近代日本教育会史研究』に対する批判

2015年02月16日 23時55分55秒 | 教育会史研究

 さて、教育会史の研究動向の続きです。今回と次回は、『近代日本教育会史研究』正・続編の書評を整理したところです。出典を示す場合は以下のように表記してください。
  ↓
 白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」教育情報回路研究会発表資料、於・東北大学、2012年11月25日。
または
 白石崇人「「教育情報回路」概念の検討」教育情報回路研究会発表資料、於・東北大学、2012年11月25日(「教育史研究と邦楽作曲の生活」http://blog.goo.ne.jp/sirtakky4170、2015年2月13~23日)。


 2.「教育情報回路」概念による教育会史研究への批判点

 これまで、『近代日本教育会史研究』は、『教育学研究』第75巻第4号(2008年12月)の図書紹介(米山光儀)と、『日本教育史研究』第28号(2009年10月)の書評(伊藤純郎)とに取り上げられた。また、『続・近代日本教育会史研究』は、『教育学研究』第78巻第3号(2011年9月)の図書紹介(柏木敦)と、『日本の教育史学』第55集(2012年10月)の図書紹介(菅原亮芳)、『日本教育史研究』第31号(2012年)の書評(湯川嘉津美)に取り上げられた。以下、それぞれの批判点を整理する。

(1)国際的視点の不足
 米山光儀は、基本的に、先述の梶山の「教育情報回路」概念による教育会史研究の問題意識を受け止めた後、以下のように述べた13)。

 教育会を教育情報回路として考える場合、国内や旧植民地地域にとどまることなく、教育会を媒介とした国際交流も視野に入れ、国際的な教育情報回路として教育会を検討することも必要であろう。

これは、教育会史研究の範囲が国内・旧植民地に限られていることへの批判である。これ以上の言及はないため、その批判の根拠は明確ではない。
 しかし、教育会が国際交流事業を行ったのは事実である。たとえば、大日本教育会・帝国教育会による国際交流(万国博覧会・教育会議等への代表派遣や出品、欧米・清国との教育交流、1937(昭和12)年の第7回世界教育会議主催など)や、戦後の日本教育協会・信濃教育会による国際教育団体への加盟などがある。
 また、「国際的な教育情報回路」として教育会を検討しようとすると、外国の類似団体に配慮する必要がある。とくに、アメリカのNEA(全米教育協会)やドイツ・フランスの教員団体などは、日本の教育会へ影響があったのではないかと考えられている。また、日本植民地以外の中国大陸でも「教育会」が活動していた14)。これら外国の「教育会」と日本の教育会との共通点・相違点・関係などについては、いまだ明らかではない。
 国際的な教育情報回路としての教育会研究は、多くの課題が残されたままである。

(2)「教育情報回路」概念内容の追究程度
 伊藤純郎は、近代日本教育史における教育会史研究の重要性を認めた上で、多様な観点から批判を行った。批判点を抽出して羅列的に整理すると、以下のようになる15)。

① 自由民権運動と初期教育会の源流の解明が不充分。
② 福島県私立教育会誕生の背景・理由に関する考察に課題が残る。
③ 森有礼演説に対する教育会の反応と規則改正に関する考察に課題が残る。
④ 中田村教育会と宮城県教育会-名取郡教育会-名取郡各部教員会との関係が不明瞭。
⑤ 中田村教育会の機能・意義について「断片的、一面的」な視点から考察することへの疑問。
⑥ 中田尋常高等小学校、農業補習学校、通俗図書館、青年訓練所、青年会、処女会等の「既設教育団体」との人的交流を含む相互関係を横断的に考察する視点の不足。
⑦ 「教育情報回路」としての教育会が果たした機能と役割に関する分析、およびそれぞれの時代における地方教育会の「教育情報回路」とは何かという考察、情報回路のメカニズムや広大な情報内容のトータルな解明が不充分。
⑧ 「教育情報回路」としての教育会史研究にどのような新たな地平を拓こうとしたのかといった、研究テーマの教育会史研究上の意義が不明瞭な論文が散見される。
⑨ 教育会所蔵史料を含めた史料論的考察の不足。

上記①~⑥は個別論文に対する批判であり、⑦~⑨は研究全体に対する批判である。総じて、「教育情報回路」概念内容の追究程度を問うものと思われる。
 上記①~⑥の批判は、個別論文に対するものであるが、一般的な教育会史研究の論点を含んでいる。たとえば、①は「自由民権運動と教育会との関係性」という問題、②は「教育会成立の複雑多様な背景・理由」という問題、③は「森有礼の教育会構想の歴史的意義」という問題、④は「県教育会-郡教育会-町村教育会の関係性・系統性」および「各地域レベルにおける教育会-教員会の関係性・系統性」という問題、⑤は「多様性・多面性をもつ教育会の事業総体における個別具体の機能の位置づけ」という問題、⑥は「教育会と当該地域の他教育機関・団体との交流や相互関係」という問題にもとづいている。これらの問題は、史料的限界などからくる研究可能性の差はあっても、あらゆる地域の教育会史研究においても問われるべき問題であろう。
 ⑦⑧の批判は、教育会史研究における「教育情報回路」概念の内容および研究方法上の問題を取り扱っている。⑦は、「時代ごとの教育情報回路の機能・役割とは何か」および「教育会の教育情報回路はどのようなメカニズムをもつか」「教育会の教育情報回路にのって循環した情報とはどのような内容をもつか」という問題にもとづいている。教育会の「教育情報回路」を普遍一般的なものとして捉えずに、歴史的に変化するものと捉えた点は、注目すべき論点である。⑧は、「研究者がそれぞれ『教育情報回路』概念をどのように捉え、位置づけるか」という問題にもとづいている。
 ⑨の批判は、長野県内の教育会所蔵史料を前提とした批判であり、従来の教育会史研究が、教育会雑誌・教育雑誌・学校所蔵史料・自治史収録史料中心で進められてきたことへの批判である。これに対して梶山は、各都道府県における教育会史料の所蔵状況の多様さや、機関誌・学校所蔵史料の解読作業の重要性に言及して反論しつつ、その批判を正論として認めている16)。この伊藤の批判点は、柏木敦の『続・近代日本教育会史研究』紹介文でも言及された17)。柏木は、『続』所収の各論文に「『情報回路』としての教育会の役割を解明するという明確な一貫性」を認めつつ、伊藤の指摘した教育会所蔵史料群の活用に関する課題に今後応えることを期待している。

13)米山光儀「梶山雅史編著『近代日本教育会史研究』」(図書紹介)日本教育学会編『教育学研究』第75巻第4号、2008年、73頁。
14)今井航『中国近代における六・三・三制の導入過程』九州大学出版会、2010年。本書は、1910~20年代における六三三制構想の形成過程における、全国教育会連合会、広東省教育会、江蘇省教育会、浙江省教育会などの関与に言及している。
15)伊藤純郎「梶山雅史編著『近代日本教育会史研究』を読んで」(書評)日本教育史研究会編『日本教育史研究』第28号、2009年、82~87頁。
16)梶山雅史「伊藤純郎氏の書評に応えて」日本教育史研究会編、同上、93~94頁。
17)柏木敦「梶山雅史編著『続・近代日本教育会史研究』」(図書紹介)日本教育学会編『教育学研究』第78巻第3号、2011年、290~291頁。

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