横浜のほほん

横浜のはずれで、のほほんと暮らす男の見聞、考察、感想をつれづれに記す

秦野曽屋

2014-11-27 06:13:33 | 近所



秦野市の曽屋神社がある場所は昔から貴重な湧水地であった。
天長年間(1190年ほど前)に「水を司る神様」を祀って井之明神社が創建された。
明治6年に近隣の6社を合祀して曽屋神社と改称された。
天保年間の曾屋村絵図には神社を頂点に街並みが賑わっている様子が描かれているそうだ。







神楽殿に「碁盤の儀」の場がしつらえられていた。
「碁盤の儀」とは何か全く知らなかったが、どうやら七五三で行われるようだ。







もともと皇室の伝統行事で貴族や武家などでも行われたそうだ。
5歳になった男子が正装して碁盤の上に乗り掛け声とともに飛び降りる。
心身ともに立派な大人に成長し、自立した人生を歩むようにとの願いが込められる。

皇室では深曽木の儀として5歳になった親王に対し行われる。

今はあちこちの神社で七五三詣りで希望すれば男女を問わず碁盤の儀を行えるらしい。







曽屋神社から道路を挟んだところに秦野・曽屋区水道配水場跡の公園がある。
旧来、人々は曽屋神社の湧水を用水路に流し生活用水としていた。
しかし人口増加で下流に行くにしたがい汚れるようになり雨が降ると飲めなくなった。
明治12年には用水路を介してコレラが流行し25人もの死者が出た。
これが契機となって地域住民により水道敷設が計画・施行され明治23年に竣工した。
横浜、函館に次ぐ全国3番目であり、自営水道としては全国初の水道であった。