東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

楽しかった光市牛島ウォーキング(4/4)

2017年06月02日 | 歴史探訪他ウォーキング

 牛島港に来てから、最初に牛島八幡宮、次に教念寺に行きました。そして、平茂海岸に行きました。途中にある数々の史跡を通り過ぎました。平茂海岸に行くことを優先して、途中の史跡を後回しにしたのです。そのため、三浦の海岸から牛島港に戻る途中にそれらの史跡を辿りました。

 旧牛島小中学校跡地    タブノキ,荒神様,明神様   藪の中にある牛鬼石碑
  

 最初に訪れたのは丑森明神です。旧牛島小中学校跡地を過ぎてすぐの墓地の中にひっそりとあるとても小さな明神様です。その昔、農作業後に牛が帰ろうとしなかったのを無理して連れ帰ったそうです。ところが、その夜火事が起きて大事な牛が焼け死んだそうです。その日から、牛の形をした雲が発生するなどして不審火が続いたそうです。村人が焼け死んだ牛を供養するための墓石を立てると、不審火が無くなったとか。その墓石が丑森明神とのことです。

    牛島港の手作り防波堤       防波堤から牛島の民家を振り返って
 

 丑森明神を出ると、光市の名木百選の一つであるタブノキを見に行きました。幹が何mもありそうなタブノキです。その根元には荒神様と明神社の祠が安置されていました。明神社は元々は三浦の湾にあったそうです。三浦から人が移り住んだ人達が、このタブノキの根元に移したそうです。

  防波堤から牛島の家々を振り返って、教念寺の屋根がひときわ大きく目立つ


 続いて、牛鬼伝説の石碑を見ました。この石碑は藪の中にありました。元々は民家の庭だったようです。民家が無住になってから手入れがされなくなったのではないでしょうか。その昔、牛島に牛鬼が出て人々が近くにの島に避難したそうです。そんな時、武芸者達がやってきて苦難の末に牛鬼を退治したとの伝説です。牛鬼が退治されてから牛島は繁栄するようになったそうです。石碑が建てられている民家は、牛鬼を退治した武芸者の子孫の家だそうです。

  港の待つ連絡船     波しぶきの向こうに牛島      室積港に到着
  

 最後に見学したのは、牛島港のとても古い防波堤です。この防波堤は手作りで、日本土木会推奨土木遺産の一つだそうです。棚田の石垣などの技術を使って作られた、とても珍しい防波堤なのだと思います。牛島港に着くと、一時間ほど時間が余りました。出航を待つ間、防波堤の先端に行ってみたり、港近くの民家周りを散策しました。そして、午後5時発の連絡船に乗って室積港に戻りました。室積港で解散しました。牛島ウォーキングに来られた方々、お疲れ様でした。

                                ウォーキングした牛島のコース


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