東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 城南 潤田~西山~大田方面史跡巡りウォーキング(2/4)

2016年11月23日 | 歴史探訪他ウォーキング

 妙福寺を出ると、元来た道を戻りました。そして、潤田の荒神様に行きました。かつては荒神様の祠前は広場だったのではないでしょうか。その広場で盆踊りなどが開催されていたのに違いありません。その広場に、今の集会所が建てられたのではないでしょうか。大師堂や祠前の広場に集会所が建てられた例が少なくありませんので。

  荒神様前の集会所     潤田荒神様の祠      西山まで大きく道を迂回
  

 潤田荒神様の次に西山地区に向かうことにしました。しかし、下見の時に通ることができた道がすっかり変わっていました。道が寸断されていたのです。そのため、やむなく道を大きく迂回して西山地区にいきました。潤田地区は今、圃場整備で工事車両がたくさん行き来しています。数年後、潤田地区は道などがすっかり変わっていることでしょう。

    しんま地蔵菩薩を拝む         後西山集会所内でお昼休憩
 

 西山地区に着くと、しんま地蔵菩薩のお地蔵様を拝みました。私は、少ないながらお賽銭を入れました。次に、後西山の集会所でお昼休憩を取りました。集会所をお借りいただくことができて、後西山の方々や手配してくれたウォーキング仲間のM君に感謝します。

            今回のウォーキング参加者、後西山集会所前で


 後西山集会所を出ると、すぐ近くの千手観音菩薩と荒神社を訪れました。両者共によく手入れがされていました。後西山の方々が毎日のように掃除されているのではないかと思います。また、近くの畑にはいろいろな野菜や花が見事に育てられています。園芸が好きな方が後西山には多く住んでおられるのでしょう。

   千手観音菩薩       荒神社の祠と鳥居    前西山に向かう
  

 ちなみに荒神社の石鳥居に「安永4年・・・・」と刻まれていました。今から240年前の1776年に建立されたことが分かります。つまり、240年前にこれだけの鳥居を作ることができる集落があったことが分かります。江戸時代の絵図には、西山村と記載されています。

      今回歩いた、田布施町城南の原,潤田,西山,大田のコース


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