東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 楽しかった城南石ノ口方面ウォーキング(2/3)

2015年10月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 埋蔵物発掘現場の見学が終わると、円満寺に行きました。楼門前に来ると、下見の時にお会いしたお寺の方と偶然出会いました。野菜か何かを収穫して、円満寺に戻るところだったようです。ところで、今回ウォーキングに参加した方のうち二人が、この円満寺がかつて経営していた幼稚園の卒園生でした。56年ぶりの円満寺とのこと。懐かしそうに円満寺内を眺めていました。

 円満寺に向けて緩い坂道      円満寺に到着         懐かしい幼稚園跡
  

 円満寺に着くと、お寺のご厚意で本堂に上らせていただきました。仏様を拝みながら、お寺の方と談笑しました。お昼前でしたので、本堂内で昼食を取らせていただきました。ありがとうございました。なお、この円満寺の旧城南幼稚園の卒園生達は、お昼を食べるのを忘れて古い資料に目を通していました。

                 涼しい風が吹き通る円満寺本堂で昼食休憩


 円満寺に別れを告げると、一路八幡寺に向かいました。途中、私の中学生時代の同級生Kさんに逢いました。中学2年の時に同じクラスでした。その時の写真を見せると、懐かしそうに見ていました。その写真は差し上げました。お互い年はとりましたが、中学生時代そのまま彼女でした。近々Kさんのお母様に会って、八幡寺の故事について教えていただく予定です。

  八幡寺に到着           八幡寺内の仏様群      石ノ口八幡宮内忠魂碑
  

 Kさんの家からすぐの所に八幡寺があります。中に入って拝みました。たくさんの仏様が安置されていました。これら数々の仏様の云われは何なのでしょうか。お大師講か何かの名残なのでしょうか。八幡寺の名前の云われの理由はなんなのでしょうか。

                 長い石段を登りきって石ノ口八幡宮に到着


 八幡寺を出ると、近くにある石ノ口八幡宮に向かって長い石段を登りました。坂の途中に小屋があり、前回の御式年祭(2007年4月)で使ったと思われる神輿と鯛の張子が置かれていました。さらに石段を登ると右手に、大正時代に内閣総理大臣になった寺内正毅書の忠魂碑があります。忠魂碑を見学し終わると、ようやく石ノ口八幡宮に到着です。石ノ口八幡宮に着くと、石ノ口八幡宮の由来を説明しました。そして、、かつて城南に鎮座していた多くのお社が合祀された荒神社を説明しました。

               今回ウォーキングした城南石ノ口ルート


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