東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキングの下見(3/3)

2024年08月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 祇園社廃墟の古びた階段を降りると田んぼがありました。田んぼから振り返ると、降りてきた階段はお年寄りなどの足の悪い方が登る緩い階段だと気が付きました。降りた場所に、直線状に登るとても急な階段があることが分かりました。この急階段の方が正式な階段のようです。
 その正式と思われる石階段の左右に立派な石塔が建っていました。碑文を読むと明治三十周年頃に建てられたようです。この石塔が建てられた時期が、最も祇園社が栄えた時期だったのでしょう。その後、氏子が絶えるなどして維持管理ができなくなり廃墟になったと思われます。

      廃墟となっていた祇園社跡直下から振り返ってみた琴石山


 石塔から琴石山方面を振り返ると、少し前に休憩をしていた茶臼山古墳の後円部がちょこんと見えました。その前の方に柳井病院がみえました。この猛暑では琴石山に登っている人はほとんどいないと思います。
 祇園社跡の石塔から火伏地蔵尊が見えました。名前からして火事が起きないように願った地蔵尊ではないかと思います。柳井市は江戸時代に大火事があったとか。そのため柳井市各地にお地蔵様が建てられています。そのうちの一体ではないかと思われます。

 祇園社跡の階段と石塔   屋根付きの火伏地蔵尊     宮本大師堂
  

 火伏地蔵尊は地域の方々に大切にされているようです。花が活けられており、電気ではありますが燈るロウソクがありました。住居傍なので地域の方々が管理しやすいのでしょう。その点、祇園社跡は山の上ですし、滑り落ちそうな石階段なので特にお年寄りが管理できなくなったのでしょう。
 自然を崇拝する神道のような宗教は、山奥や山上などに神社が建てられる傾向があります。一方で、自然と無関係な宗教は人々が集まる町中に教会が建てられる傾向があるようです。後者の宗教施設の方がお年寄りになってもお参りしやすいのではないでしょうか。

  久し振りに参拝した代田八幡宮      國木田独歩の三角餅「藤坂屋」
 

 火伏地蔵尊を出ると旧道に出ました。この旧道は江戸時代から明治にかけてのメインルートです。私が幼児の頃、この旧道に親戚が住んでいました。この親戚の家前で、私は自転車に引かれたことがありました。自転車の車輪が手が届かないほど高かったことを覚えています。突然に飛び出したのでしょう。今ならば車に引かれていたかも知れません。
 続いて宮本大師堂に行きました。そして、傍にある代田八幡宮を久しぶりに参拝し休憩を取りました。猛暑にも関わらず数家族が参拝をしていました。代田八幡宮を出ると國木田独歩の小説に出て来る三角餅の藤坂屋前を通り出発地点に戻りました。短いウォーキングでしたが良い運動になりました。自分にお疲れ様!

     柳井市 柳東地区の史跡巡りウォーキングの下見コース

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