東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

楽しかった田布施町麻郷東方面ウォーキング(1/3)

2018年03月19日 | 歴史探訪他ウォーキング

 朝曇り空でしたので、途中から雨が降らないか心配でした。しかし杞憂でした。晴れはしないものの最後まで雨は降りませんでした。今回は田布施町に戻って、ホームグラウンドの麻郷の史跡を中心にウォーキングしました。朝10時に麻郷公民館に集合してスタートしました。最初に助政地区の荒神様を訪れました。

              小高い場所に鎮座する助政の荒神様


 戦後できた団地には、古いお社,祠,お地蔵様などの史跡はありません。しかし、江戸時代から集落がある地域には、神道系に関わる祠や仏教系に関わるお堂やお地蔵様があります。巡っていると、それらの史跡が今危機にあることが分かります。無くなった講、お返ししたお地蔵様、整理されたお社などです。

 麻郷公民館をスタート    麻郷小学校近くを歩く  次の史跡に元気よく向かう   
  

 助政の二つの荒神様を見ると、麻郷団地の墓所や焼場跡を訪れ、続いて旭地区の荒神社に行きました。このお社は旭地区にありながら、鳥越地区の方々が守ってきました。やはりこのお社も、高齢化に伴って守ることが困難になっていると聞きます。理由をいろいろ考えると、日本の高度成長に伴って地域の結びつきが弱まったこと、お祭りなどの楽しみがテレビなどによって奪われたこと、人々の無信仰化などが考えられます。

    旭地区の荒神社に向かう        静かにたたずむ旭の荒神社
 

 お大師講などの信仰の衰退を調査したことがありますが、かつて20軒位が一つの講を組んでいました。お大師講,荒神様、地の神様、水の神様、お稲荷様などの講です。高度成長以降、子供達が田舎から都会に移り住み始めた頃から講が減り始めます。
 地域の結びつきが消え始めるのと相反するように、助け合いとかボランティアとかが声高に叫ばれるようになったのは皮肉なことです。地域共存から個人主義への流れは止まらないように思えます。今後さらに加速するのではないかとも危惧しています。

        今回歩いた田布施町麻郷東部のウォーキングコース


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