東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡を楽しく散策 (17/18)5日目

2018年06月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 紀伊半島史跡巡りも5日目最終日となりました。和歌山県橋本市のホテルを出ると、奈良県の明日香村に向かいました。古代において、天武天皇の妃である持統天皇が都を完成させた地だったと思います。都があるからには、明日香村は平野かと思っていました。ところが、小さな山や大地があちこちにある村でした。道を迷いながら走って、奈良文化財研究所の明日香資料館に着きました。

 奈良県の明日香資料館   明日香資料館を見学    館内の遺跡資料を見学
  

 明日香資料館内には国宝級の貴重な遺跡が陳列してありました。貴重な遺跡を守るためでしょう、館内には警備員が配置してありました。また床に、明日香の航空写真に当時の都が投影されていました。1時間位明日香資料館内を見学したでしょうか。館内見学後、外に出て広場を歩きました。その広場には異形な石造物がたくさん置いてありました。

    なんとも不思議な亀石         水が流れていた酒船石
 

 古代の明日香には何とも不思議な石造物がたくさんあったようです。今だにその用途が分からない巨石が少なくありません。明日香に限りませんが、当時の日本ではもともと巨石信仰のようなものがあったようです。ところが、明日香時代を過ぎるとぱったりと異形な石造物が作られなくなります。渡来の文化や仏教が優勢になるにつれ忘れ去られたのでしょう。

           元々は方墳だったらしい石舞台古墳


 この田布施近辺でも、巨石が鎮座している神社が少なくありません。また石ノ口八幡宮,八尋石八幡宮,土穂石八幡宮など石を冠している神社もあります。世界を見渡してもストーンヘンジなどのような巨石信仰が古代にとても多いのです。自然崇拝は信仰の始まりのようです。ところが、文明が進むにつれて支配に都合の良い信仰が増えたように思います。

 巨大な石舞台古墳内   石舞台古墳に入る子供達    古墳内の子供達
  

 明日香資料館を出ると、古代の歴史によく出てくる石舞台古墳に行ってみました。広大な敷地の一角にその巨石がありました。元々は方型古墳のようで、その名残らしく周辺の堀が四角になっていました。なんでも壊された古墳ではないかとのことです。たくさんの子供達が遠足で石舞台古墳を見学していました。あるグループの先生と生徒の写真を撮ってあげました。石舞台古墳内部は巨大な空間が広がっていました。田布施の後井古墳は丸い自然石を使って建造されていますが、石舞台古墳は自然石でも比較的角張った巨石を使っています。続いて天武天皇と持統天皇陵に向かいました

           史跡巡りした明日香村

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