東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

楽しかった 光市島田川沿い史跡巡りウォーキング(1/3)

2017年07月18日 | 歴史探訪他ウォーキング



 16日猛暑の中、光市を流れる島田川沿いの史跡をウォーキングしました。猛暑のため参加者は少ないだろうと思っていたら19名の参加でした。ほとんどの方はJR田布施駅から電車に乗って集合場所のJR島田駅に行きました。駅に着くと、参加メンバーを確認後すぐに出発しました。

  JR島田駅を出発      多賀神社への急登     多賀神社に到着  

 最初行ったのは、JR島田駅前の山に鎮座する多賀神社です。下見の時は、アジサイが綺麗に咲いていましたが、時期が過ぎていたためだいぶ散っていました。驚いたのは、階段が綺麗になっていたことです。階段に生えていた草が綺麗に刈ってあり、枯葉も掃除してありました。綺麗になっていたその急階段を登って多賀神社に行きました。今は木が茂っていますが、かつては見晴らしが良い境内だったのではないでしょうか。島田周辺が賑わっていた頃、お祭りも盛んだったのではと思いました。

 光市名木100選モミノキ   たくさんのお地蔵様     眞覚寺に向かう
  

 多賀神社の裏手には光市の名木100選に選ばれたモミノキがあります。その幹はとても太くなんだか霊力がありそうです。その幹にタッチして、その気を一部いただきました。多賀神社の裏手に続く山道にはたくさんのお地蔵様が安置されています。お地蔵様にはそれぞれ番号が振られています。八十八体のお地蔵様が並んでいるようでした。

     多賀神社の裏手にある、防陽八十八箇所霊場の一つ眞覚寺


 お地蔵様群を見ながら山道を降りていくと、防陽八十八箇所霊場の眞覚寺があります。ここで立ったまま休憩後、安養寺に向かいました。幼稚園を併設しているお寺ですが、今回は日曜日で幼稚園はお休みでした。そのため、園児達の元気な声は聞こえませんでした。このお寺は、幕末に寺子屋を併設していました。当時、島田地区の子供達はこのお寺に通って読み書きを学んでいたのでしょう。

  幼稚園併設の安養寺   高橋利兵衛墓地に向かう   高橋利兵衛墓地
  

 続いて、幕末の志士高橋利兵衛の墓地(祠)に向かいました。彼は、田布施町麻里府で幕末に起きた加徳丸事件に関わった志士です。当時、長州藩と薩摩藩は犬猿の仲でした。たまたま麻里府に立ち寄った薩摩藩借り上げの加徳丸を検疫した時にご禁制の品があったそうです。それを咎めた上に乗船していた薩摩藩の大谷を殺害したのです。

       高橋利兵衛墓地近くの峠、風が気持ち良くしばし涼む


 この事件は彼が所属していた義勇隊の許可を得ていなかったこと、薩摩藩の罪悪を天下に訴えるため仲間が自決したことなどもあって、高橋利兵衛は上関で自決しました。明治に入ってからその功績が認められたのでしょう、靖国神社に合祀されています。

         今回ウォーキングした光市島田川沿いの史跡コース

コメント
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