東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 古代と中世の痕跡探訪ウォーキング(3/3)

2016年10月29日 | 歴史探訪他ウォーキング

 菅原天神社の次に、大恩寺に行きました。このお寺には飢民の供養塔があります。江戸時代享保年間の飢饉で亡くなった方々を弔うための供養塔です。享保の飢饉時は西日本でたくさんの方々が飢えて亡くなりました。当時の1/3位の方が亡くなったそうですが、その多くは子供だったようです。栄養状態が悪くなると体が弱くなります。そのため、飢えるよりも病気で亡くなることが多かったのではないでしょうか。

元田布施町役場近くを散策    飢民の供養塔を見る   平和霊場のお地蔵様
  

 続いて、元金星小学校跡地を訪ねました。そして、石垣で囲まれた大内弘直邸跡も見学しました。あえて言えば、波野の町は大内弘直邸の城下町のようなものだったのではないでしょうか。次に国森の古塚を久しぶりに訪れました。そして、田布施町郷土館に立ち寄ってトイレ休憩兼見学をしました。

 郷土館に立ち寄る       古い曲を視聴       砂田のお地蔵様
  

 郷土館で休憩兼見学をした後、出発地点である交流館に向かいました。途中、砂田のお地蔵様を見学しました。歩道ができる前まで、このお地蔵様は道路のセンターを向いて安置されていました。歩道ができたことによって、お地蔵様は歩道側を向くよう逆向きに安置されたのでしょう。

交流館に向かうため、あいさつ橋を渡る      交流館に着いた頃、晴れ間
 

 今回のウォーキングでは、田布施町の古代と中世時代の痕跡などを散策しました。古代において、田布施町の中心部は海であったこと、そして江戸時代初期竪ヶ浜周辺は海岸であったこと、そして、田布施川が人工の川であることを知っていただけたらと思います。肌寒い曇り空でしたが、皆さん元気に歩くとことができて良かったです。お疲れ様でした。来月は城南川西方面をウォーキングする予定です。

         今回歩いた、田布施の古代と中世の痕跡散策ルート

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