東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 古代と中世の痕跡探訪ウォーキング(1/3)

2016年10月25日 | 歴史探訪他ウォーキング



 これまでは、寺社,お堂,祠,山,河川,海,田んぼなどを中心にウォーキングしてきましたが、今回は田布施町の古代から中世の地形が残る場所を中心にウォーキングしました。そのためウォーキングする前に、下に示すような「古代田布施町の海面推定図」と「江戸時代初期の海面推定図」を皆さんにお配りしました。なお、後者は当時の岩国藩が作成した図面を元に作成しました。図面に書いた赤線は、今回歩いたコースです。

     古代田布施町の海面推定図      江戸時代初期の海面推定図
 

 今回は麻郷小学校で行事があったり、城南公民館祭りがあったりして参加者がいつもより少な目の9人でした。最初、史跡とは関係ないのですが、田布施町商工会館(サリジェ)の北側にある田んぼの稲刈りを見学しました。子供を含む何人もの方々が古代米の刈り取りをしていました。ご苦労様でした。続いて田布施川の左岸を河口に向けて歩きました。

  古代米の刈り取り     関戸橋近くのお大師堂    E邸に寄って休憩
  

 最初に訪れたのは、流れ荒神様と火伏地蔵です。それぞれについて説明しました。次に、田布施川の堤防を歩きながら、古代の海の広がりについて解説しました。そして、新川の浮島が古代において島だったことなどを話しました。そのうち関戸橋に着きました。その近くにあるお大師堂について、近々お堂が建てられる予定であることを解説しました。そして、庄山橋のたもとで江戸時代の田布施川の流れが今と違うことなどを話しました。

       灸川のかつての河口堤防跡に生えるカヤに沿って歩く


 続いて、古代において島だった浮島の中心部を通りました。そして、浮島の南端から見渡したスポーツセンター方面を見ながら、山崎原遺跡について話しました。次に、トイレ休憩するためにE邸を訪れました。しばらく休んだ後、再び田布施川に戻りました。そして、川尻を通り過ぎて灸川河口に行きました。灸川河口に着くと、江戸時代には灸川から竪ヶ浜の間に海が広がっていたことなどを話しました。続いて、当時の堤防跡に植えられたカヤに沿って灸川を上流に向かいました。

 灸川排水機場でお昼休憩   コーヒーなどを配膳    灸川排水機場を出発
  

 灸川排水機場に着くと、ここが海であった時代のお話をしました。そして、お昼休憩を灸川排水機場で取りました。たわいない話をしながら楽しく休憩をとりました。30分位休憩すると、再び灸川を上流に向けて歩きました。灸川は、江戸時代の姿を残す貴重な川なのです。人工的に作られた田布施川が直線なのに対して、灸川は曲がりくねっています。

        江戸時代の流れの姿を残す灸川を、上流に向かう

コメント
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