東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 古代と中世の地形を辿るウォーキング(3/3)

2016年10月18日 | 歴史探訪他ウォーキング

 菅原天神社を過ぎると、今は溝でしかすぎない旧薬師川沿いに旧街を歩きました。しばらく歩くと、大恩寺の前に来ました。大恩寺と言えば、飢民の供養塔を訪れないわけにはいきません。大恩寺に入ってすぐ左にある飢民の供養塔を久しぶりに見ました。享保の飢饉時にたくさんの方が飢えて亡くなりました。飢民の供養塔は、それを言い伝える貴重な歴史遺産なのです。

           大恩寺の門、門を入ってすぐ左に飢民の供養塔


 大恩寺を過ぎると、東田布施小学校の元になった金星小学校跡地に行きました。今、小さな畑になっています。東田布施小学校開校後、金星小学校は無くなりました。その後、青少年育成の学校として残ったようですが、その欠片さえ今はありません。次に、長岡商店の所で左に道を曲がりました。そして、そのすぐの所に「ちえらるこ Open」と書かれた看板を掲げた民家がありました。この看板にひかれて、その民家に入りました。

  金星小学校跡地    民家「ちえらるこ Open」  平和霊場六十六番札所
  

 最初は小さな古民家喫茶店かなと思いました。周りを見渡しながら、ゆるりと座敷に上がらせていただきました。すると、赤ん坊を抱いた方ともう一人が出てこられました。この民家、ヨガをしたり、お話し会をしたりするそうです。いろいろお話をしていると、なんと一緒に下見したEさんのお嫁さんのお知り合いのようでした。話がどんどん繋がって、Eさんはびっくりしていました。

            田布施町郷土館に立ち寄りトイレ休憩


 民家「ちえらるこ Open」を出ると、すぐ近くの平和六十六霊場のお地蔵様を訪ねました。このお地蔵様は、近隣の方々が大切にしているようです。いつ行っても、花が活けてあり服が綺麗です。このお地蔵様の成り立ちをぜひ知りたいものです。大火供養、飢饉供養、火伏など、安置された頃の世相を反映しているお地蔵様ではないかと思います。

 郷土館で音楽を聴きながら疲れを癒す       砂田のお地蔵様
 

 平和六十六霊場のお地蔵様を過ぎて、国森の古塚を訪ねようと思いましたが、急いでいたので今回は止めました。次に、トイレ休憩のため田布施町郷土館に立ち寄りました。そして、疲れを癒す音楽を聴きました。11月末まで、真空管アンプや蓄音機でレコードを視聴することができます。郷土館を出ると最後に砂田のお地蔵様を拝みました。そして、出発地点の地域交流館に戻りました。下見に参加された方々、お疲れ様でした。

                           古代と中世の田布施の地形を知るコース

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