東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 第5回史跡探訪 地方史研究会(2/3)

2016年10月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 続いて、麻郷神社に行きました。麻郷神社はかつては麻郷護国神社と言われ、戊辰戦争から太平洋戦争にかけて亡くなった戦没者を弔うための神社です。いわば、田布施町麻郷版の靖国神社と言った方が分かりやすいでしょうか。毎年4月1日に慰霊祭が行われています。近年、高齢化のためか出席者が少なくなっています。

        戊辰,日清,日露戦争時の戦没者が弔われている慰霊碑群


 麻郷神社を見学し終わると、国木田独歩吉見家仮寓石碑を訪れました。この石碑は今、雑草に覆われやや傾いています。吉見家は戦国時代、毛利と争うほどの勢力を山陰地域に持っていました。その後、江戸時代初期に麻郷高塔に屋敷を移しました。この吉見家は平生町の大野毛利の発祥になりました。吉川から吉見家に養子に入り、その後大野毛利の初代になりました。戦国時代一時は山陰に城を持っていた吉見家に、どんな歴史があったのでしょうか。

国木田独歩吉見家仮寓石碑  麻郷公民館で休憩、紙芝居    上関宰判勘場跡
  

 国木田独歩吉見家仮寓石碑を出ると、麻郷公民館に向かいました。天気が良ければ次の訪問地でお弁当休憩する予定でした。しかし、小雨が降ったり止んだりの天気でした。そのため急遽、麻郷公民館でお昼兼トイレ休憩することにしました。このような史跡探訪やウォーキングでは、天候不順の場合の対応に苦慮します。

 亘理南山の顕彰碑       成器堂跡地を見学    国木田独歩歌碑
  

 麻郷公民館でお昼休憩した時、紙芝居の上演がありました。「五人力の清三郎」,「竜宮の使い」,そして新作「享保の飢饉」です。「享保の飢饉」は初公開の紙芝居です。麻郷公民館を出ると、麻郷米出の上関宰判勘場跡に行きました。続いて、戎ヶ下の成器堂跡に行きました。そして、麻郷地区を離れて麻里府地区の麻里府公民館に向かいました。

        麻里布漁港で、幕末に起きた加徳丸事件について説明


 麻里府公民館に着くと、最初に国木田独歩歌碑を見学しました。かつて、この歌碑は馬島を目前にした国道沿いにありました。しかし、今は麻里府公民館敷地内にあります。麻里府は、国木田独歩が青春時代を送った心の故郷です。国木田独歩が心の故郷麻里府を読んだ詩が歌碑に刻んであります。続いて、麻里府漁港に行きました。港を前に、幕末の加徳丸事件についての説明がありました。

          麻郷,麻里布の史跡探訪コース

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