東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻里府上組の大師堂,人丸様などの史跡調査

2016年01月28日 | 歴史探訪他ウォーキング

 先日、麻郷の高松八幡宮から麻里府大泉寺へ通じる伊佐里峠を整備しました。そこで今回、4月にウォーキングする予定の、伊佐里峠から通じる麻里府上組の古道を中心に調査しました。そして、2年位前から探していた上組の人丸様をようやく探し当てることができました。
 最初中郷のTさん宅に行って、お借りしていた麻里府の故事資料をお返ししました。次に上組に向かいました。そして、上組公会堂向かい側にお住まいのYさん(昭和13年生)をお尋ねしましました。なかなか在宅しておられない方なのですが、今回は在宅しておられました。そして、上組の山の中などをいろいろ案内していただきました。Yさんありがとうございました。

  Yさん宅裏のお地蔵様1   Yさん宅後ろの大師堂    藪中を人丸様に向かうYさん
  

 最初、Yさん宅の裏にある大師堂について教えていただくことになりました。大師堂に向かう途中、お地蔵様2体がありました。大師堂はYさん宅後ろにあるため、山を回り込むとすぐにありました。お話しを伺うと、大師堂はだいぶ前に倒壊してしまったそうです。再建するための費用がないため、屋根付きの小さな小屋作って大師堂にあった仏像を安置したそうです。元あった大師堂は、6畳位の立派なお堂だったそうです。なお、この大師堂から大泉寺方面に降りる急坂を横尾坂と呼んでいたそうです。確かに急な坂です。今は、笹が茂って通れませんが。

            人丸様近くの、竹などが生い茂る薄暗い道


 そして、かつての古道を教えていただきました。伊佐里峠から上組に続く古道は、大師堂前を通ってはるばる伊保木まで通じる往還道だったそうです。例えば高松八幡宮のお祭り時、上組の人達は先日整備した伊佐里峠の古道を通って麻郷に行っていたそうです。また、小行司出身で室積の学校に勤務していた先生が、この上組の往還古道を通って小行司に帰っていたそうです。つまり、室積~伊保木~上組~伊佐里峠~麻郷~大波野~小行司へと帰っていたとのこと。昔は徒歩しか移動手段がなかったため、当然のことだったのでしょう。今、車を使えば、室積と小行司間を毎日通勤することは不可能ではありません。昔日の感があります。しかし、今のような舗装道路ができてからは誰も古道を通らなくなりました。そのため、古道は廃道になってしまいました。

              やっと探し当てることができた人丸様


 次に念願の人丸様に行くことにしました。Yさんは山道を良く知っているようです。藪や竹が生い茂る獣道をどんどん歩いて、私を先導していただきました。Yさんによると、この周辺は崖崩れが多いため道が寸断されたり道が消えたりしているそうです。その道なき道を、藪を払いながら倒木を避けながら進むとお堂位の大きさの人丸様がありました。やっと巡り合いました。人丸様は、病気をした時などに糠団子をお供えすると治るとの言い伝えがあるそうです。Yさんの祖母様がそう言っていたとのこと。ところで、麻郷の鳥越にも人丸様があります。また大波野には人丸坊と呼ばれるお地蔵様があります。人丸同士、相互に関わりがあるのでしょうか。

  後ろから見た人丸様     上組公会堂を目指す       立派な墓石
  

 人丸様を出ると、元来た道を通らないで山を回り込むように上組公会堂に向かいました。これまた藪や竹が生い茂っていました。足元を見ると人家跡がたくさんありました。明治時代の記録を見ると10軒位の家が密集していたようです。しかし、昭和20年代頃から人丸様周辺から家がどんどん移転していったそうです。この周辺は、いつの時代からか横尾家が代々多く住んでおり、横尾じょうと呼んでいるとのことです。

              Yさんに見せていただいた麻里府上組公会堂


 今の横尾じょうは、Yさんが住んでいる上組公会堂東側にしか住居がありません。今でも上組に、横尾姓の家が何軒かあります。上組公会堂横に出ると、道から目立つ墓石を見学しました。Yさんによるとアメリカに行って成功した人が帰ってから作った墓石ではないかとのことでした。Yさんと同じ姓の名前で、昭和6年に建立と刻まれていました。

  右:荒神様,左;地鎮様   成川岩金横尾中村各じょうの、左:荒神様,右:地鎮様
 

 続いて、上組公会堂を見学しました。中に入ると、右に荒神様、左に地鎮様が祭られていました。かつては、成川、岩金、横尾、中村の各じょうで、順番に神様を回していたそうです。しかし、上組の住民が少なくなったため、今では回さないで年に一度お祭りをしているだけだそうです。中郷では今でも回しているようですが、上組では回すことができなくなったようです。そのような話は、田布施のあちこちから聞きます。時代の流れに抗えないものの、数百年も続いてきた古い民間信仰が、次々に絶えていくのは寂しい気持ちがします。
 なお、4月伊佐里峠を越えるウォーキング時に、一部上組の古道を歩く予定にしています。

          今回調査した、麻里府上組の横尾じょう岩金じょう周辺

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