東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

平生町 沼~宇佐木~田布路木方面ウォーキングの再下見(1/3)

2016年01月27日 | 歴史探訪他ウォーキング

 先日の平生町 沼~宇佐木~田布路木方面ウォーキングの下見で、本番ウォーキング時に8カフェに寄らないことに決めました。その理由は、8カフェに行くとコース大きく迂回しなければならず、史跡を数多く巡れないことが分かったためです。そのため再度下見をして、終盤のコースを決めることにしました。ところで、昨日は晴天でしたが今回は散々な天候でした。天気予報では曇りだったのですが、終日小雨でした。終盤は手などが凍えました。

   国木田独歩の碑      白井小介の顕彰碑       伊保庄西端の石碑
  

 今回は、周東病院近くから歩き始めました。最初、前回の下見で確認した国木田独歩の碑と白井小介顕彰碑に行きました。ここからが、今回の再下見のスタートです。次に、周東病院前の地下道を通って旧道を土穂石川に向かいました。途中、南無阿弥陀仏と掘られた石碑がありました。その昔、この石碑の前をたくさんの人が通ったのでしょう。近くの古老にお訪ねすると、今の国道188号線は戦時中に作られたそうです。私が子供の頃、この旧道から柳井に向かって石橋がまだ残っていました。また、お店もたくさん残っていました。今は石橋も無くなり、さびしい通りに変貌していました。

                門をくぐって阿弥陀寺を訪問


 土穂石川に出ると、国道188号線を渡りました。そして、阿弥陀寺に向かいました。今回、詳しい話を聞くためお寺のチャイムを鳴らしました。最初、幼児をだっこしたご住職の奥様にお会いしました。しばらくしてお母様が来られ、少ししてご住職がご帰宅されました。このお寺は江戸時代にお寺になったとのことで、その前は阿弥陀堂があったそうです。その阿弥陀堂は、下見時に見たお堂のことであることが分かりました。来月の本番ウォーキング時に再度訪問することをお伝えして、お寺を後にしました。

  火伏のお地蔵様       石桁製橋脚の古い橋     安永2年建立の大師堂
  

 続いて、お地蔵様に行きました。このお地蔵様から喫茶アップルミントを見ると、煙突から煙が上がってあらずお休みでした。そのため、町を突っ切り土穂石川に出て上流に向かって歩きました。この付近の土穂石川の橋は、どれも橋脚が石桁でした。どれも古い橋のようでした。その古い橋の一つを渡って、いったん土穂石川を離れて住宅街を歩きました。しばらく進むと、T字路に突き当たりました。その突き当り近くに、屋根がある立派なお地蔵様がありました。大師堂安永2年(1773年)建立、と墨で書かれていました。

            引き潮中の土穂石川右岸の土穂石、川の名前の由来


 お大師堂を西に向かうと、再び土穂石川に出ました。しばらく上流に向かって歩いていると、川の右岸側の石垣からはみ出るように巨大な石が見えてきました。土穂石です。土穂石川の名前の由来になった石です。かつてこの付近が海であった江戸時代初期以前、海岸に突き出た岩だったのではないでしょうか。

           今回再下見した、田布路木~土穂石川の史跡コース

コメント
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