東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 楽しかった麻里府中郷周辺ウォーキング(1/3)

2015年11月24日 | 歴史探訪他ウォーキング



 先日の下見再下見を経て、田布施町麻里府の尾津西と中郷周辺の史跡を巡るウォーキングをすることができました。今回は、何度も山を登り降りしたり藪の中を歩くような、ややアドベンチャーなウォーキングでした。しかし、最後に疲れた体をBerry Berryで癒すことができました。数日前から天気が悪くなる予想でしたが、晴れ男や晴れ女が参加したためか、晴天に恵まれた一日でした。雨が降ったのは夜でした。とてもラッキーな天候でした。

 麻里府公民館10時集合      無記名の謎の石柱     幕末加徳丸事件史跡
  

 さて最初に、麻里府公民館前広場にある水田のぶほと国木田独歩の詩句を説明しました。次に、尾津西の旧道を歩いて現国道188号線に入り、梶取岬方面に向けて歩きました。そして、無記名の不思議な石柱を見学しました。開道記念碑なのか事故碑なのかなど、知っている人は今の麻里府にはいないようです。続いて、立石墓地に行きました。墓地奥には、幕末に起きた加徳丸事件で亡くなった薩摩藩士のお墓があるのです。

            江戸時代に建立された、地元麻里府の住吉神社
 

 立石墓地を戻ると、麻里府小学校跡裏にある井戸持ち地蔵に向かいました。ここにある井戸は、かつて清水が湧いていたそうです。水道の普及によって、井戸を使うことがなくなり蓋がされたそうです。海岸が迫っていた時代、真水が湧いていた貴重な場所だったのではないでしょうか。
 続いて、桜川(かつては潮入川と呼ぶ)沿いの山に鎮座する住吉神社に行きました。住吉神社はかつて明神様と呼ばれていましたが、江戸時代に大阪の住吉神社の分身を祀りました。以来、住吉神社と呼ばれるようになったとのこと。

 黄色が見事な皇帝ヒマワリ    戦没者を祀る招魂場      招魂場からの尾根道
  

 住吉神社を降りると、麻里府地区の戦没者を祀る招魂場に行きました。山の上にあるため、上り坂を登らなくてはなりません。登っている途中体が熱くなってきたため、上着を1枚脱ぎました。招魂場の説明を終えお祈りしました。続いて、招魂場から続く尾根道を進みました。竹藪の林を抜けて古道の十字路に出ました。中郷,戎ヶ下方面,麻郷蓮輪,井佐里峠を結ぶ十字路とのこと。この十字路に見下ろすようにある石仏を見学しました。

    古道の十字路         中郷の田園を進む      明楽寺到着後、昼休憩
  

 石仏を見学すると、中郷の田園を抜けて明楽寺に向かいました。言い伝えによると、かつての寺田家屋敷に寺を建立したことが始まりとの事。当初念仏寺だったそうで、その道場が中郷の十心庵と上郷の九里庵だったそうです。そして、明楽寺に向かう長い坂を念仏坂と呼んでいたとのこと。その後、万治3年(1660年)に本願寺で得度をつんだ方が、明楽寺を継いで開祖となったそうです。

                     麻里府中郷の明楽寺前にて


 明楽寺のご家族にご挨拶として、本堂を見学させていただきました。そして、ここで30分程度お昼休憩させていただきました。休憩が終わると、再度お礼のご挨拶してから次の史跡に向かいました。明楽寺のご住職と奥様、ありがとうございました。

             今回ウォーキングした麻里府中郷と尾津西周辺ルート

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