東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

赤間神宮 春帆楼、甥の結婚式に参列

2012年06月12日 | イベント,行事



 9日、M君(私の甥)とMさんの結婚式に参列してきました。新郎新婦は先月、私の父親の見舞いや亡くなった後の葬儀に来てくれました。私が結婚式に出たのは久しぶりのことです。30年位前でしょうか、その頃は私の知人などの結婚式にたくさん出席しました。これからは、私の甥や姪など私の息子世代の結婚式に参加することが多くなると思います。世代がどんどん交代していることを、改めて知った結婚式でもありました。

     式場に向かう新郎新婦親戚一同         神前で三々九度
 

 式場は山口県下関の春帆楼でした。幕末・明治の近代史が好きな人ならば、知っていなければならない史跡の一つです。ここは日清戦争の下関講和会議が開かれた場所で、以後この春帆楼前の道を「李鴻章の道」と呼ぶようです。眼前の海峡は、平安の昔に壇ノ浦の合戦があった場所でした。そして幕末には四国艦隊と長州藩が戦った場所でもあり、長州征伐時の戦いの場所でもありました。

                 赤間神宮内で二人仲良く並ぶ新郎新婦


 式場は春帆楼の隣りにある赤間神宮です。この神社の入口は独特な形状です。また、そばに平家伝説にかかわる「耳なしほういち」の碑文が立っています。神前結婚式は何度か参加したことがありますが、だいたいが録音した音を流すだけでした。しかし、この神社では和楽器である琴,太鼓,笙(しょう),鈴などの生演奏が聞けました。そして、巫女さんの舞も式を引き立てていました。荘厳でなかなか良い式場でした。

     午後から青空、空の青さと神社の赤が映えてナイスな赤間神宮


 結婚式が終わると披露宴です。新郎新婦を主役に楽しいパーティーの始まりです。披露宴では必ずあるケーキカットでは、参列者の掛け声で新郎新婦が互いにカットしたばかりのケーキを互いに食べ合いました。少し照れながらも嬉しそうに食べ合っていました。

       新郎の姉と妹(私の姪)        カットしたケーキを新婦が新郎に
 

 披露宴ではいつものことですが、新郎新婦の学生時代や会社の仲間がたくさん参列していました。そして、彼らの自作映画や新郎新婦の生い立ちを紹介したビデオが紹介されました。私が若いころはまだビデオがありませんでした。このため、スライドフィルムを使った紹介が多かったように思います。しかし今は、自分たちでビデオを撮影,編集し放映できる時代になったのですね。 

            新婦側の席で、新婦の両親兄弟親戚と並んで


 二人の出会いのきっかけは、新婦の姉の結婚式だったそうです。昔、私の両親が若い頃(昭和初期)は許嫁も少なくなく、ほとんどが見合いで恋愛はご法度だったそうです。私が若い頃(昭和後期)は、見合いと恋愛が半々だったように思います。実際、私は恋愛で私の妹(新郎の母)は見合いでした。今は、新郎新婦のようにほとんどが恋愛のようです。おめでた婚もそう珍しくありません。現代は、親兄弟,仲間,同僚などとのコミュニケーションの広さが結婚できるかどうかを決める時代になったようです。そしてもちろん、本人自身が「結婚して家庭を築きたい。」という強い意欲と行動力がないと結婚が難しい時代になってきているのだと思います。

 
 手を取り合う新婦の弟,新婦,新婦の姉     新郎新婦から両親へ感謝の贈呈
 

 披露宴の最後は、新郎の父親の言葉で締めくくりでした。目頭を熱くしながら、新郎新婦や参列者への立派な挨拶でした。思えば30年ほど前の妹(新郎の母)の結婚式で、今は亡き父親が目頭を熱くしていた光景を思い出しました。私もいつかこのような立場になる時が来るのではないかと思います。この結婚式は、明日の自分でもあり、明日の息子や娘の姿と重なると思いつつ勉強させてもらいました。M君、Mさん、とてもいい結婚式でした。両親を手本にして素敵な家庭を築いてもらえればと思います。そして未来、今日の両親のように子から慕われる素敵な親になって欲しいと思います。そして、そうなることが両親への最高の贈り物だと思います。

                新郎の父親による締めくくりの挨拶

コメント
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