チャリンコ漫遊

ゆ~っくり、の~びり、新しい景色と新しい世界を求めて…リンリン・尺八・田舎暮らし… 

インド寝台列車の旅

2007年12月17日 | 外旅の思い出
インド国の長距離夜行列車、30分遅れの発車


関西~関東や九州への寝台特急が消えると云う
『銀河』『あかつき』親しまれた愛称が消える。
時が、時代が過ぎる移り変わる…、

インド列車旅を思い出す
ベナレスへの移動に寝台列車に乗った
定刻より30分遅れ、ホームで待つが通過列車も無し、
移動売店で箱の絵を見て買物、めちゃ安、砂糖菓子みたい。
沢山の乗客はみなおとなしく待っている。説明も案内もアナウスされないまま…
やっとの列車に乗り込む。

左側は窓に直角に2段向い合わせに4人ベッド
通路挟んで窓に平行に2段ベッド2人

ホットし荷物の整理をし、疲れた体をベッドに横たえる。
列車の振動が背中に伝わり気持ちがいい

トイレはタンク無しの垂れ流し、線路が見える、昔の日本の列車と同じだと思い出す。
風が吹き上げる感じをして変な感じを体験
停車中は当然使用禁止だ

インドの列車は深夜なのに汽笛鳴らしっ放しだ
線路沿線の家は寝れなく大変だろうと心配したものだが…

ある大きな駅に停車。ホームには大木が何本かあり、出入り自由のよう、
暗い照明、ホームのその木の下は裸で敷物も敷かずの沢山の人が寝ている
何か異様な感じをもつ、

この列車は2時間遅れとか??
朝5時停車駅で真っ赤な太陽の日の出、思わず手をおわす、
旅が無事でありますように……素晴らしい朝日だ。

途中停車駅で脚腰伸ばしにホームに降りる。
少しの時間とは云え売店見たり、いろんな人達の様子を見たのは得した感じ、

列車は町を過ぎ村を走り抜ける、相変わらず汽笛は鳴り続け、朝の景色を呆然とみていると
三三五五壷を持ってあぜ道にしゃがみ込む姿、何だと思います、、トイレらしいです。
紙は使わず壷の水で対応とか。しかし皆んなが毎日でしょう。後処理は??
公園等の始末してない犬の糞でも難儀なのにどう対応しているのかな~~

やがて終着駅、結果的には13時間程の乗車時間、昼前ベナレス駅に降りる。
ホームでは大変なハエの数の歓迎と大変な臭いにそして慣れた筈のインドの景色?なのに理解出来ない景色が目に飛び込んで来る。
これがインド、インドなんだと自分に言い聞かす
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イスタンブール(トルコ)1999

2007年12月17日 | 外旅の思い出
関空~トルコは13時間、
東西文明の十字路と云われるイスタンブール。
1453年トルコ軍は東ローマ帝国を陥落させ
首都コンスタンティノーブルをイスタンブール
と名ずけたらしい。
17世紀オスマントルコが築いた★ブルーモスク
神の知恵の意味する★アヤソフィアモスクは
元はキリスト教会をモザイクやフレスコ画を
漆喰で塗り固めて偶像崇拝を禁じたイスラム
教徒が使う。
6世紀ユスティニアヌス帝時代に築かれた
★地下宮殿。オスマン帝国の力を象徴する
豪華絢爛な装飾調度品、43のホールと285の
部屋、そのインテリアには14tの黄金と40tの
銀が使われていると云う★ドルマバフチェ宮殿。
世界中から贈られた財宝、明治天皇からの
プレゼントもあった★トプカブ宮殿。
5000店が入っていると云われる★グランドバザール、
では同じ様な通りばかりで迷子になってしまった。
それにボスボラス海峡のクルージングや
軍楽隊メフテルの見学。
自由時間に町へ出る、道を渡るのが大変。
それとトルコの車は洗車しないのかドロドロのまま。
言葉は出来ないがスーパーへ買物に入ったのだが
お金の勘定が大変、レジでの支払いが209万リラ
円に換算するには0を3ヶ取って0.4を掛ける
(1999年)面白い体験をして迷いに迷って
ホテルにたどり着いた楽しかった思い出。







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ソロ・プランパナン遺跡・(インドネシア)

2007年12月17日 | 外旅の思い出
プランパナン遺跡



関空から5時間、インドネシア首都ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港着。
東京と大阪の便に限って機内で入国審査が受けられると
云うのは時間の有効利用からも有難い。
ジャカルタからジョグジャカルタ迄は
1時間のフライトである。
ヒンズー遺跡のプランパナン。
シバ神をまつるひンズー教僧の村プランパナンで
修復は50年程かかるとか。
それにしても凄い遺跡である。
ソロと云えば‘ブンガワンソロ’の歌を思い出す、
はっきりと歌詞は知らないがメロディーは覚えている、
調べてみた
ブンガワンソロ涯しなく 清き夢のせ流れゆく
父母も若き日頃 共に聞きし愛の調べ 星は移りゆき
世の人変われど愛はとこしえに ただ一筋
ブンガワンソロ涯しなく 清く夢のせ流れゆく


訳詞 緒園涼子
作曲 グサン・マルトハルト

日本の歌と思っていたがインドネシアの民謡とか
そのソロ川に行く、大河のイメージがあったから
落胆。ソロの町では王様が経営するホテルに宿泊
ガムランでのお出迎えを受ける。
制服は男女とも王室風
ラジャブスタカ博物館やマクネガラン王宮
そして果物市場を見学、種類も豊富
マンゴ、ランブータン、サラー、マンゴスティン、
モンキーバナナ等しかし市場歩きは
面白かったしソロの昼食が美味しかった

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ローテンブルグ(ドイツ)1989

2007年12月17日 | 外旅の思い出
思い出の町ローテンブルクへのバスの車窓、
山は無い見渡すかぎり畑がつづく、縦横にハイウェイ、
何所迄も続くアウトバーンを走っていると
やっぱり広い国だな~アと感じる。
そんな景色に突如として飛び込んで来た町
それがローテンブルク。
日本のように徐々に集落に入って行くのではない。
ここローテンブルクは城壁に囲まれた中世の町、
石畳とレンガの独特の町である。
マルクト広場に面した市議会員宴会堂は‘仕掛け時計’で有名だ。
観光案内によると30年戦争と云う宗教戦争で
1631年プロテスタント側にあったローテンブルクは
ティリー将軍率いるカトリック側スウェーデン軍に占領され
焼き払われる運命にあった町を救う為将軍の申し出を
請けて立ち4リッターのワインを一気に飲み干した
ヌッシュ市長の模様を仕掛け時計にして
毎日11時12時13時14時15時に見られる、
と云う事で14時の時報を待った。感激だ。
辺りにはクリスマス関係の装飾品の店が沢山あり
年中やっているそうな。
言葉は出来ないが町のパン屋さんに入り食べたのだが
何ともそれはそれは美味しくて、
味が変わるのを承知で土産に買って帰ったが、
数日後になり食したがその時の味は無かったものの、
それでも日本にはない美味しいパンで、
今ももう一度あの店に行きたいと思っている。
そうそうそれと普通の町のレストランでの食事の時に出た
飲み物で、水もジュースもビールも皆同じ値段で頼んだ
グラスワインの白が何とも美味しくて、
忘れられないもう一つの味の思い出。
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