山と溪を旅して

丹沢の溪でヤマメと遊び、風と戯れて心を解き放つ。林間の溪で料理を造り、お酒に酔いしれてまったり眠る。それが至福の時間。

粋だね!

2009-11-03 23:06:15 | 山歩き.散歩
あれからもう20日も経つのだろうか?
ワクワクさせてくれた渓流シ-ズンが終わって僕は軽い鬱に悩まされている。

何をするにも意欲が湧かず、やりたいこともなく感動もせず、人と話をするのも億劫で
何を食べても美味しくもなく、酒を呑んでも気分が高揚することもない。

多分、モモを失ったペットロス症候群の症状が今になって一気に現れ始めたのかも知れない。
それを知ってかカミさんは、うつろに過ごす僕の休日を何も言わずに見守ってくれている。

これではいけないと久しぶりに山へ出かけてみた。
山は常緑樹の深い緑に縁取られて百花繚乱の色を競っているが気分は落ち込んでゆくばかりである。
これが花咲く春ならば心身共に昂揚感に包まれるのだろうが季節の移ろいは人の心までも変えてしまうようである。






枯れ木を集めて焚火を作り、、、、、
しかし山飯も作れず酒も呑めず、唯々大の字になってむなしく空を眺めていた。





三遊亭圓楽さんが亡くなられた。
僕は圓楽さんの師匠『圓生さん』の名人芸に魅せられて20代の頃は小屋通いを続けてたものである。

極められたいぶし銀の芸に漂う色気、着物の着こなし、立ち居振る舞い、その中に男の『粋(いき)』を感じていたものである。

 


僕が尊敬する方の一人に某上場企業のM部長、後に大学教授になられた方がおられる。
このM部長、『遊びを知らない男は仕事も出来ない』
そう言っては若造の僕を銀座や向島に連れ出しては小唄や都々逸の手ほどきをしてくれたものである。

結局僕は殆どものにできずに終わった訳であるが、僕はここで『粋』の神髄を見せられた思いがする。


 


圓生さんとM先生に共通するもの、それはインテリジェンスに溢れ、道を極められたのは勿論であるが、
何よりも遊びを知っている遊び人であったということだろうか?

無駄を削ぎ落としてなお少しくずした着こなし、そこはかとなく感じる男の色気、
それは知性と遊びから滲み出てくるものなのかも知れないと思う。



 


里に下りると秋色に染まった艶やかな果実がたわわに実っている。

山や里や木や花たち、季節の移ろいを妖しく写すその自然こそが実は一番『粋』なヤツなのかも知れないと思う。

あゝ、有楽町ひょっとこの『ゆずら-めん』が無性に食べたくなっちゃった!

コメント (8)
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