ジャン=ドミニク・ボビー原作、ジュリアン・シュナーベル監督、『潜水服は蝶の夢を見る』、3/1、Tジョイ久留米にて鑑賞。2008年8本目。
おそらく、この映画の作り手が伝えたかったことは、一言でいえば「人はどんな状況であっても生きていかなければならない。生きているということはそれだけで素晴らしいことなのだ」(二言じゃん)ということなのだと思います。
その考えは尊いです。
しかしながら尊いとは思うけれど、絶対的に正しいか、というと正直そうも思えません。
本作の主人公であるジャン・ドーが最良の治療、介護を受けられたのはいうまでもなく彼が経済的に非常に恵まれていたからです。
ごくごく平均的な収入しかない一般人がジョン・ドーと同じ病気に罹ったとして、果たしてジャン・ドーと同じ治療や介護を受けられるのかどうか?おそらく無理でしょう。せいぜい病院をたらい回しにされるのがオチなのでは?などと思ってしまいます。
もちろん今述べたことはジャン・ドーの為しえたことが驚嘆に値するということを否定するものではありません。
話は横道にずれますが、自殺ってなぜしてはいけないのでしょうね?
人によってはなぜもどうしてもない、してはいけないからしてはいけないのだ、と考察することすら拒否するかもしれません。まぁ考察せずに生きていけるのであればそれに越したことはありませんが。
また、残された人が悲しむから自殺はしてはいけないのだ、という人もいるでしょう。
しかし自分はこれには同意しかねます。
残された人が悲しむから自殺をしてはいけないというのであれば、身寄りもない、友達もいないという人は自殺をしても構わない、ということになると思うからです。
もし本当に自殺がしてはいけないことなのであれば、悲しむ人がいようがいまいがしてはいけないでしょう。
自分は、ぶっちゃけていうと自殺はしても構わないと思います。構わないなどというと語弊がありますが、現世に希望を失い、来世に希望を見出したとして、それがいけないことなのだ、という気にはなれないのです。
自殺を否定するということは、そういった生まれ変わり、輪廻、転生など諸々の来世信仰をすべて否定することだと思うのです。
個人的には来世信仰は一切信じてはいませんが、自殺して、福山雅治のようなイケメンに、もしくは長澤まさみのような美少女に、もしくはビル・ゲイツのような金持ちに生まれ変われるだなんてそんな美味しい話があるとは思えません、ただ、それを信じる人に対してそういった来世信仰はただの幻想だ!と断言できるほど自分の考えに自信を持てないのです。
もちろん自殺を思い立った知人を引きとめたことはあります。ただその際も引き止める行為がその人のためというよりむしろこちら側の事情、都合によるのだという認識が自分の中にありました。それは言い換えればエゴなのだと思いますが、そのエゴが自分では嫌いではありません。
というような、生きるとは?命の尊厳とは?命の価値とは?など普段考えないであろう、根源的な問いかけを自らにする、よい切っ掛けになるかもしれないので、本作はそういった点で観る価値があると思います。
ただ個人的に、甲斐甲斐しく世話をしてくれる妻に、愛人からの電話の応対をさせ、それどころか「君のことを毎日待っている」などと代返させる主人公のような人間は障害者であろうがなかろうが大っっっっっ嫌いですけどね。
映画としてはよく出来ていると思うので星は★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
おそらく、この映画の作り手が伝えたかったことは、一言でいえば「人はどんな状況であっても生きていかなければならない。生きているということはそれだけで素晴らしいことなのだ」(二言じゃん)ということなのだと思います。
その考えは尊いです。
しかしながら尊いとは思うけれど、絶対的に正しいか、というと正直そうも思えません。
本作の主人公であるジャン・ドーが最良の治療、介護を受けられたのはいうまでもなく彼が経済的に非常に恵まれていたからです。
ごくごく平均的な収入しかない一般人がジョン・ドーと同じ病気に罹ったとして、果たしてジャン・ドーと同じ治療や介護を受けられるのかどうか?おそらく無理でしょう。せいぜい病院をたらい回しにされるのがオチなのでは?などと思ってしまいます。
もちろん今述べたことはジャン・ドーの為しえたことが驚嘆に値するということを否定するものではありません。
話は横道にずれますが、自殺ってなぜしてはいけないのでしょうね?
人によってはなぜもどうしてもない、してはいけないからしてはいけないのだ、と考察することすら拒否するかもしれません。まぁ考察せずに生きていけるのであればそれに越したことはありませんが。
また、残された人が悲しむから自殺はしてはいけないのだ、という人もいるでしょう。
しかし自分はこれには同意しかねます。
残された人が悲しむから自殺をしてはいけないというのであれば、身寄りもない、友達もいないという人は自殺をしても構わない、ということになると思うからです。
もし本当に自殺がしてはいけないことなのであれば、悲しむ人がいようがいまいがしてはいけないでしょう。
自分は、ぶっちゃけていうと自殺はしても構わないと思います。構わないなどというと語弊がありますが、現世に希望を失い、来世に希望を見出したとして、それがいけないことなのだ、という気にはなれないのです。
自殺を否定するということは、そういった生まれ変わり、輪廻、転生など諸々の来世信仰をすべて否定することだと思うのです。
個人的には来世信仰は一切信じてはいませんが、自殺して、福山雅治のようなイケメンに、もしくは長澤まさみのような美少女に、もしくはビル・ゲイツのような金持ちに生まれ変われるだなんてそんな美味しい話があるとは思えません、ただ、それを信じる人に対してそういった来世信仰はただの幻想だ!と断言できるほど自分の考えに自信を持てないのです。
もちろん自殺を思い立った知人を引きとめたことはあります。ただその際も引き止める行為がその人のためというよりむしろこちら側の事情、都合によるのだという認識が自分の中にありました。それは言い換えればエゴなのだと思いますが、そのエゴが自分では嫌いではありません。
というような、生きるとは?命の尊厳とは?命の価値とは?など普段考えないであろう、根源的な問いかけを自らにする、よい切っ掛けになるかもしれないので、本作はそういった点で観る価値があると思います。
ただ個人的に、甲斐甲斐しく世話をしてくれる妻に、愛人からの電話の応対をさせ、それどころか「君のことを毎日待っている」などと代返させる主人公のような人間は障害者であろうがなかろうが大っっっっっ嫌いですけどね。
映画としてはよく出来ていると思うので星は★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。