先日、当ブログの人気記事についての記事を書きましたが、そこで紹介しきれなかった、『残り全部バケーション』論争についての記事も人気記事の一つです(人気記事、という表現は実は正しくない。なぜならうちは人気ブログでも何でもないから。強いて言えば不人気ブログで比較的読まれている記事、といったところ。)。
伊坂幸太郎が描いた『残り全部バケーション』という小説のある事柄について、この小説を読んだ多くの人が誤読していることを指摘する記事です。
自分が素直に読んでそうとしか読み取れなかったことを、多くの人が読み間違えるというのは何だか不思議な感覚です。
ときどき、というかごく稀にといった方が正しいのですが、その作品の本質を誰よりも深く理解している、と思えることがあります。
まるで自慢しているようですが、本質を深く理解しているからといって、それでその作品を楽しめたことになるのかというと必ずしもそうではなく、さらに言えば本質を理解したからといって幸福に繋がるかというと全然そんなことはありません。
『残り全部バケーション』では、誤読を指摘したがために散々な目に合いましたからね。
あんな経験はもうたくさんです。
さて、同じ伊坂幸太郎の最新作『首折り男のための協奏曲』ですが、この小説を読んでも自分はこの小説の本質を深く理解しているというふうにはまったく思えませんでした。
それどころか、この小説の全容、全体像すら掴めなかった気がします。
だからといってこの小説を楽しめなかったかというともちろんそんなことはなく、読んですごく楽しかったですね。
作品によって出来不出来はあるような気がしますが(伊坂幸太郎の文体で怪談を語られてもねぇ)、自分の好みの作品がとにかくいいんですよ。
好みの作品というのは『月曜日から逃げろ』と『合コンの話』ですけどね。この二編は何度でも読み直せて、読み直すたびにニヤけてしまいます。
特に『合コンの話』ですけど、伊坂幸太郎って、小説やエッセイを読む限りは愛妻家のイメージがあって、とても合コンに参加しているふうには見えなくて、合コン参加者に綿密な取材をしているのか、それともすべてが想像の産物なのか、そういったことを想像するだけでも楽しかったです。
伊坂幸太郎が描いた『残り全部バケーション』という小説のある事柄について、この小説を読んだ多くの人が誤読していることを指摘する記事です。
自分が素直に読んでそうとしか読み取れなかったことを、多くの人が読み間違えるというのは何だか不思議な感覚です。
ときどき、というかごく稀にといった方が正しいのですが、その作品の本質を誰よりも深く理解している、と思えることがあります。
まるで自慢しているようですが、本質を深く理解しているからといって、それでその作品を楽しめたことになるのかというと必ずしもそうではなく、さらに言えば本質を理解したからといって幸福に繋がるかというと全然そんなことはありません。
『残り全部バケーション』では、誤読を指摘したがために散々な目に合いましたからね。
あんな経験はもうたくさんです。
さて、同じ伊坂幸太郎の最新作『首折り男のための協奏曲』ですが、この小説を読んでも自分はこの小説の本質を深く理解しているというふうにはまったく思えませんでした。
それどころか、この小説の全容、全体像すら掴めなかった気がします。
だからといってこの小説を楽しめなかったかというともちろんそんなことはなく、読んですごく楽しかったですね。
作品によって出来不出来はあるような気がしますが(伊坂幸太郎の文体で怪談を語られてもねぇ)、自分の好みの作品がとにかくいいんですよ。
好みの作品というのは『月曜日から逃げろ』と『合コンの話』ですけどね。この二編は何度でも読み直せて、読み直すたびにニヤけてしまいます。
特に『合コンの話』ですけど、伊坂幸太郎って、小説やエッセイを読む限りは愛妻家のイメージがあって、とても合コンに参加しているふうには見えなくて、合コン参加者に綿密な取材をしているのか、それともすべてが想像の産物なのか、そういったことを想像するだけでも楽しかったです。