太平洋戦争の末期、日本の若者が特攻隊として帰らぬ人になりました。
18才~20才の若者ばかり、その数1000人。飛行操縦ができる人
が対象になりますから、優秀な若者ばかりだったのです。
ユーチュウブで『さくら』の歌の検索をかけて見ると、今から出撃する
若者が上官と別れの杯を交わす場面が出てきます。若者の顔からは血が
ひき、真っ青になり、見ている私もつらくなります。
上官の命令ひとつで当時の若者は逆らうことはできずに、親、兄弟に
別れの遺書を書き、太平洋の海に散っていったのでした。
その1000通の遺書が、ある保管庫から発見されました。
遺族の元にあるはずの遺書がなぜと思いましたが、海軍のあるトップが
○秘で民間人のひとりに委託して、九州から北海道まで数年かがりで回
収していたのです。
太平洋戦争末期、海軍上層部はすでに日本軍の敗北はわかっていたにも
かかわらずに、若者の命を奪いました。特攻隊で戦死した息子の遺書
は、親から先祖代々受け継がれていき、特攻隊の命令を下した海軍や上
官たちに遺恨が残るのを防ぐ狙いがあったものと見られています。
国はその遺書を遺族に返しているようです。親はもういませんが、
当時まだ小さかった兄弟たちは、その遺書に初めてふれて、見てやりき
れない思いになりました。
そういった過去があって、今の日本があるということを私たち日本人は
忘れてはいけないのですね。
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