ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「毎日の言葉」 角川ソフィア文庫

2018年04月25日 | 書評
方言の比較から日常の語り言葉の語源を説く、柳田民俗学の知の所産 第2回

1) 毎日の言葉 (その1)

1) オ礼ヲスル
お礼とは言うまでもなく漢語ですが、その意味は日本では少し違っています。世話になった人のものを贈るとか、ただありがとうという事を「お礼をする」と言っている場合が多い。いわゆる礼儀の「礼」の意味が狭くなっています。こういう物を送呈する習慣が非常に長かったためです。今も「端午礼」、「盆礼」という新婚の婿が盆節句の日に妻の郷里にあいさつに顔をだします。その時に何か礼の物を持参したからです。しかし「礼」とは、すべて目下の者が目上の者に従属を誓い、同時に保護の永続を願う厳重な儀式でした。いまアメリカの大統領が変わると、世界中の同盟国の首長がなにかしら土産となる約束を携えてワシントンを訪問するようなものです(トランプ大統領に対する2017年2月12日の安倍首相の訪問ですね)。小作人が地主のところへ正月の時に行くことを「小作礼」と言いました。この本式の礼を挨拶とか口上となずけて別にしています。
2) アリガトウ
本来神仏を尊ぶ場合に「アリガタイ」といいますが、それが転じて感謝の際に「アリガトウ」を連発しています。最初は言葉通りありえないことという意味で、人間業を超えた神の徳や力を讃えてそういったのですが、いつのまにか人と人の間のお礼の言葉になったのです。これは外国語でも同じであり、フランス語のメルシ、イタリア語のグラチェも「神の恵みよ」という意味です。上方で「おおきに」、島根で「だんだん」というのも感謝の気持ちの拡大表現です。「大きにありがとう」、「重ね重ねありがとう」という気持ちです。伊豆大島では「トウテヤナ」も神の礼拝の言葉です。秋田の北では「トドゴザル」は尊いでゴザルといういみです。信州北から越後に掛けて「カンブンヤ」は「過分や」という意味です。北陸から岐阜・滋賀県では逆の表現で人から物を貰ったら「ウタテイ」とか「オトマシイ」といいます。貴方は無駄なことをする、無益なことをするという意味です。
3) スミマセン
お礼に「ありがとう」という言葉は元は使わなかったという説があります。「カタジケノウゴザル」と言っていたのが、目上の人に対して「アリガトウゴザイマス」という様になったといいます。同輩の間では「スミマセン」をいうようになった。このような事をされては気が済みませんという意味です。地方では「メイワクイタシマス」、若い女の子は「コマルワ」、東北では本意ないという意味で「ホジネヤ」、「ホンニャクテ」といいます。丁寧に言おうとして「相スミマセン」といもいいます。これがお詫びする立場にない人まで(商品の代金を貰う時)「申し訳ありません」というのは頂けない。
4) モッタイナイ
武家や大地主が下の者から礼をされたり、労働奉仕を受けたりすると「メデタイ」、「メッタイ・メンタイ」と言います。それを指示する時庄内地方では「アンガトセイ」とか「アッツセ」といいます。一般の贈り物を額に押し当てて言う言葉が「メデタイ」でした。モッタイはこのメッタイからきた言葉のようです。モッタイナイ=モッタイ+ナイでナイは否定ではなく、強調の辞でした。「せつな」が「セツナイ」になり、モッタイナイはメデタイこと極まりなしという意味です。北陸では「モッタイシヤ」が面倒なという意味で使われています。「もったいぶる」もこの流れにあるでしょう。この「メンドウナ」は四国から中国・九州地方では「恥ずかしい」、「極まりが悪い」という意味に転じます。

(つづく)
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