孤高の数学者、多変数関数論の独創の世界を築く 第4回
序(4)
岡潔ってどんな人だったのだろうかと思いをいたそう。私が岡潔という名を知ったのは、1963年大学1年生のころで、「春夜十話」を読んだ時である。そのころ高木貞治氏の「解析概論」、「微分方程式」や「ベクトル・行列論」を学習し始め、デデキント「数の無限」に悩まされていた頃のことである。奈良女子大教授で文化勲章受章者の数学者が書いたエッセイということで、新聞などでは随分もてはやされた「春夜十話」という本である。多変数関数論という数学分野のことも皆目分らなかった(今でも分らないが)。「春夜十話」のはしがきに、岡潔氏は「人の中心は情緒である。・・・数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術のひとつであって、知性の文字盤に数学という形式に表現するものである」と語る。これでは数学は芸術活動と同じ次元の話となっている。三高時代、岡潔氏は友人に対し「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」と語っている。岡の考えでは論理や計算は数学の本体ではなく、表面的なことを追うだけでは答えが見えてこないと思っていたらしい。今まで数学を情緒の表現と言い表した数学者はいなかった。オイラーは「数学は量の科学」であるという言葉を残した。「これは科学者の言葉であるが、岡潔の言葉はあきらかに詩人の言葉である」と著書はいう。それで本書の副題「数学の詩人」と命名したのであろうか。岡潔の数学研究者としてのやり方は、心に芽生えた自分の思い描く数学像のままに、問題群を設定する造型の場に、詩人(芸術家)の心が現れるという意味であろう。能力があれば、思いっきり主観が許される世界を作ることができるのである。岡潔氏の生涯の数学的業績は、10篇の論文に集約されている。そういう意味で岡氏はガウス、リーマン、ヒルベルトの系譜につながる人である。
(つづく)
序(4)
岡潔ってどんな人だったのだろうかと思いをいたそう。私が岡潔という名を知ったのは、1963年大学1年生のころで、「春夜十話」を読んだ時である。そのころ高木貞治氏の「解析概論」、「微分方程式」や「ベクトル・行列論」を学習し始め、デデキント「数の無限」に悩まされていた頃のことである。奈良女子大教授で文化勲章受章者の数学者が書いたエッセイということで、新聞などでは随分もてはやされた「春夜十話」という本である。多変数関数論という数学分野のことも皆目分らなかった(今でも分らないが)。「春夜十話」のはしがきに、岡潔氏は「人の中心は情緒である。・・・数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術のひとつであって、知性の文字盤に数学という形式に表現するものである」と語る。これでは数学は芸術活動と同じ次元の話となっている。三高時代、岡潔氏は友人に対し「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」と語っている。岡の考えでは論理や計算は数学の本体ではなく、表面的なことを追うだけでは答えが見えてこないと思っていたらしい。今まで数学を情緒の表現と言い表した数学者はいなかった。オイラーは「数学は量の科学」であるという言葉を残した。「これは科学者の言葉であるが、岡潔の言葉はあきらかに詩人の言葉である」と著書はいう。それで本書の副題「数学の詩人」と命名したのであろうか。岡潔の数学研究者としてのやり方は、心に芽生えた自分の思い描く数学像のままに、問題群を設定する造型の場に、詩人(芸術家)の心が現れるという意味であろう。能力があれば、思いっきり主観が許される世界を作ることができるのである。岡潔氏の生涯の数学的業績は、10篇の論文に集約されている。そういう意味で岡氏はガウス、リーマン、ヒルベルトの系譜につながる人である。
(つづく)