ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 高瀬正仁著 「岡 潔 数学の詩人」 岩波新書

2012年01月12日 | 書評
孤高の数学者、多変数関数論の独創の世界を築く 第3回

序(3)

本書の「岡潔」評伝に入る前に、簡単な略歴をみておこう。
1901年4月19日(明治34年) 大阪市東区島町に生まれる。
1912年より父方和歌山県橋本市紀見村に育つ。
1919年3月 和歌山県粉河中学校卒業
1922年3月 第三高等学校理科甲類卒業
1925年3月 京都帝国大学理学部卒業
1925年4月 京都帝国大学理学部講師
1929年4月 京都帝国大学理学部助教授
1929年4月ー1932年 パリに留学
1932年3月 広島文理科大学助教授
1940年6月 広島文理科大学辞職
1941年10月 北海道帝国大学理学部研究補助嘱託
1942年11月 北海道帝国大学辞職
1949年7月 奈良女子大学理家政学部教授(1953年より理学部教授)
1951年 日本学士院賞 受賞
1954年 朝日文化賞受賞
1960年 文化勲章受賞
1964年3月 奈良女子大学定年退官
1964年4月 奈良女子大学名誉教授
1969年4月 京都産業大学教授
1978年3月逝去 77歳
(つづく)

読書ノート 高瀬正仁著 「高木貞治 近代日本数学の父」 岩波新書

2012年01月12日 | 書評
クロネッカー、ヒルベルトを継いで代数的数論を総覧した 第5回

1) 少年時代 岐阜中学時代

 高木貞治氏は明治8年(1875)4月21日に岐阜県数屋村に生まれた。母方の実家の養子となり高木姓を名のることになったなど、個人的なことや幼年時代の事は省略したい。私は伝記作家ではないので、本質には関係のない些末なエピソードは高木貞治氏の業績には関係ないと思うからである。また本書には明治期の学制の変遷に関する記述が多いが、これについては天野郁夫著 「大学の誕生」を参考してほしい。明治19年(1886)から明治24年(1891)の岐阜中学校時代から始めたい。当時の中学時代の教科書はすべて輸入の学問であるため、原書で行なわれた。例えばバーレーの万国史、ロスコーの無機化学、スチュワートの物理、ウィルソンの幾何学といった次第である。外国語は英語とドイツ語である。特に外国語の授業時間の比率が高かったそうだ。日本語の教科書が出回るのはずっと先のことである。高木貞治は東京の帝大で菊池大麓と藤沢利喜太郎から薫陶を受けたが、その洋算(西欧の数学)の流れのほかに、金沢の関口開の和算の流れも心に留めておかなければならない。関口開は金沢藩の和算家であったが、戸倉伊八郎から洋算を学び、そこから多くの弟子を生んだ。加藤和平、北条時敬、河合十太郎らがいた。彼らはみな三高から帝大へ進み、帝大の菊池と藤沢のもとに関口門下生が相次いで集まった。明治初期の帝大数学科には和算家の群れも存在していた。
(つづく)

文芸散歩  池田亀鑑校訂 「枕草子」 岩波文庫

2012年01月12日 | 書評
藤原道隆と中宮定子の全盛時代を回想する清少納言 第101回

[278] 「関白殿二月廿一日に・・・」 (1)

 この章段はある意味で枕草子のハイライトである。関白道隆と伊周大納言と中宮定子の絶頂期を華やかに演出する段となっている。関白道隆殿は2月21日に法興院にある積善寺という御堂において一切経の供養をなされたが、女院(一條天皇の母、東三条院詮子)も参列なされるというので、参加される中宮定子も2月1日に二条の宮(道隆の屋敷内に造った中宮のための宮)に移られた。日がうららかに照り始めるころに起き出すと、白く新しく作ってあって、御簾から初めて昨夜に掛けたであろう。御簾の前には獅子や狛犬などがいつの間にか置いてあった。階段のもとに一丈ばかりの満開の桜があった。いつもなら梅が満開のころなのにこれほど早く桜が咲くのかなと思っていると、これは造花である。花の匂いも本物には負けず、どんなに大変だったのだろう。雨が降れば凋んでしまうと思うとくちおしい。この宮は小家などが多かったところに造成されたので、木立などは見るべきものはないが親しみやすい感じの宮になっていた。関白殿のお出ましである。(衣装の詳述は本書のファッション誌面目約如なのだが一切省略したい) 宮の御前に坐られてお話なさいます。受け答えなどは申し分なく立派なので、里の者にも見せてやりたいものだと見ていました。殿は御前の女房らを見渡して「宮はいかがおもわれますか。こうも美人を揃えられて御覧になられるとはうらやましい。1人も不器量はいない。皆それぞれ立派な家の娘なんでしょうね。どう思われて宮にお仕えなさったのかな。宮がどれほどケチで欲深だということは私が宮に仕え始めてまだ一度も新品の衣ひとつ賜ったことがないのですぞ。どうして陰口なんかたたきましょうか」とおっしゃって女房らを笑わせられた。「本当ですぞ。バカな事を言っていると笑っておられるが、バカを見るのはそちらですぞ」とおっしゃっておられるところへ、天皇の使いに式部丞何とかがやってきた。
(つづく)



筑波子 月次絶句集 「雪天読書」

2012年01月12日 | 漢詩・自由詩
松啼飛雪動霜林     松啼き飛雪 霜林を動かし
 
闇覆山堂小院深     闇は山堂を覆い 小院深し

竹陣銀花寒雀噪     竹陣銀花 寒雀噪ぎ
 
詩書熟読夜沈沈     詩書熟読 夜沈沈


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(韻:十二侵 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)