ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文藝散歩 西郷信綱著 「古事記の世界」 (岩波新書1967年9月)

2017年09月10日 | 書評
律令制度に組み込まれる前のぎりぎり遺された、神々の声が響き合う倭の神話の世界 第10回

7) 天孫降臨 地上君主の出現

タケミカヅチ(建御雷)が葦原中国(出雲国)を征服したという報告があって、アマテラスはアメノオシホミミが降臨させる段になって、その代わりに子であるホノニニギが降臨することになった。ここに大嘗殿での即位式となる。延喜式によると、殿の中央には、新たな天皇が生まれるという意味で衾や枕のある神坐が設けられ、その傍らに天照大神の神坐があり、前の横には采女の代坐がある。この坐の範囲が神の室であり、臣の室は前室に設けられ、左右に関白坐、宮主代坐、中央に采女坐がある。再生の秘儀を天子が演じる。天子は稲の初穂を食べるとともに、殿内の中央で衾にくるまり、そこに臥す所作を演じる。こうして天子は天照大神の子として誕生する形をとる。回立殿で湯浴みる儀式がある。浴槽で天子は羽衣を着る。これが天孫ホノニニギの降臨がなされる場面である。葦原中国は,五穀が実る豊葦原水穂国に転化する。しかもこの天孫ホノニニギが降り立ったのは日向の高千穂であった。露払い役は、アメノオシヒ(大伴連の祖)とアマツクメ(久米直の祖)の二人であった。高千穂がたんなる固有名詞でないことは天子ホノニニギと同じである。どちらの豊穣というイメージに引かれている。これを著者は「創造的飛躍」と呼ぶ。筑紫のヒムカという問題も日向ではなく「ヒムカシ(東)」からきているのである。この降臨に従ったのは、中臣の祖アメノコヤネ、忌部の祖フトダマ、猿女の祖アメノウズメ、鏡造りの祖イシコリドメ、玉造の祖タマノオヤの五伴緒である。これは天の岩屋戸の前の祭りを同じ顔ぶれであることは、天孫降臨と天の岩屋戸の話が同根であることを示している。いわば大嘗祭が、冬至の太陽の復活の話と、王の誕生すなわち即位の話とに分かれて説話化されたものである。この二つの祭りにおいてアメノウズメの活躍が群を抜いて目覚ましい。アメノウズメと猿田彦の活躍はセットになっている。アメノウズメは「いむかう神」、「面勝つ神」となっているシャーマンの面目躍如たるものがある。ウズメは高千穂に向かわず伊勢に向かった。何故ならウズメは伊勢神宮の三神職家(伊勢の土豪であった度会、荒木田、宇治土公)のひとつ宇治土公の出身であった。宇治土公は猿田彦を祖とする伊勢の土豪であった。「御食つ国志摩」と言われるように、伊勢は宮廷に海産物を貢進する国であった。ウズメは猿女と呼ばれ大和添上郡の稗田後に住み着いた。古事記の口誦者稗田阿礼はウズメの末裔で宮廷の巫女であった。ウズメと猿田彦は卑弥呼と男弟の関係と同じ姉弟の関係としてえがかれている。巫女は女系相続である点も古代社会の特徴である。アマテラスが女であるならば、ウズメから天照への道は、猿女(宮廷巫女)の田の神から、ヒルメすなわち日の神に吸収される道であった。大化の改新後の中央集権制官僚機構の中で、猿女が衰退し伊勢神宮の斎宮制が確立されて、女は力を失っていった。

(つづく)