ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート ルソー著 桑原武夫ら訳 「社会契約論」 (岩波文庫)

2016年07月02日 | 書評
徹底的な主権在民論を説くルソーは「社会契約論」でフランス革命の理論的指導者となった 第6回 最終回

第3編 「政治の法ー政治の形態」 (その2)

自由の花はどこでも咲くものではないように、すべての統治形態はすべての国家においてまちまちである。それはその地の経済的剰余の上に成り立っているからである。土地、知恵の生産力は各国で差異があるからだ。だからすべての政府は同じではない。税金は必ず納税者に戻ってくるもので、納税額の多少は問題ではない。(北欧では消費税が20%を超えるが、人民はこれに不満を言うことはない。素晴らしい福祉が約束されるからである)ところが税がいつも払いっぱなしでは人民はほどなく力尽きる。だから人民と政府の距離が増すにつれ(執行官が大くなると)租税は重くなりやすい。民主政では租税負担が一番小さく、貴族政から負担は増大し、君主制で人民は最も重い税を負担する。専制政は臣民を幸福にするのではなく、臣民を統治するために不幸にしているのだ。負担に耐えられないと革命がおこり、物事を自然状態の秩序に戻すのである。政治的結合の目的は、その構成員の保護と繁栄であるから、良い政府とは、外部に頼らず、植民などによらずに人口が増大してゆく政府である。個別意志が絶えず一般意思に対抗して働くように、政府は普段に主権に対抗しようとする。これは政府の悪弊であり、堕落の傾向である。政府の堕落には、政府の縮小(小さな行政機能)する場合と国家が解体する場合の2つの道がある。国家が解体する場合、統治者がもはや法律に従って国家を治めることなく、主権を簒奪する場合がある。それは民主政は「衆愚政治」に。貴族政は「寡頭政治」に、君主政は「僭主政治」に堕落するという。政治体は生命がいつかは死ぬのと同じように、自らの内に破綻の原因を宿している。最もよく組織された国家にも終りがある。国家は出来上がった法律によって生存しているのではなく、立法権によって存続しているのである。法律は尊敬し大事にしなければならないが、法律を定めるのも廃止するのも立法権の発動いかんによる。この機能が力を無くするところいつでも国家の死が待っている。主権者は立法権以外の権力を持たないので、人民は集会に集まった時だけ主権者なのだろうか。ローマ共和国は人民全体が広場で頻繁に集い議論をし、市民であると同時に行政官であった。主権はどうして維持できるのだろうか。特別の集会以外に定期の集会が必要である。法によって集会の命令が出される。集会は各都市(地域)ごとに行うなら権力の分割になる。と言って多くの都市(地域)をひとつの大きな都市に統合すると、国家は衰退する。都市を作るということは地方を破壊するということである。(東京一極主義は地方の過疎を招き、地方を収奪する体制である) ローマの民会には代表者はなく、人民が合法的に集合するところでは裁判権も停止する。主権を持つ人民が貪欲・怠惰・小心・安逸を好むときは、増大する政府の力に抵抗しえなくなる。そして主権は消滅するのだ。市民が自分の身体を動かすより、財布で奉仕することを選ぶなら、国家はすでに滅亡の淵にあると言える。財政という言葉は、ローマ共和国の知らないことであった。自由な市民は自分の手ですべてを行い、金銭は動かなかった。ところが、国家の膨張、悪弊、征服、私的利益の拡大などが、国民の集会に人民の代議士、代表者というやり方を生んだ。主権は譲り渡せない、主権は代表されえない、主権は一般意思の中にあったのだ。人民の代議士は、一般意思の代表者ではない。彼らは人民の使用人(弁護士)に過ぎない。近世以降に代表者という制度が生まれた。古代の共和国ではこのような言葉はなかった。自由だと信じている近代人がなぜ代表者を持つに至ったか、人民は代表者を持つやいなや、もはや自由も失い、人民という主権さえ譲り渡したのである。立法権は人民の一般意思の契約から生まれたが、執行権者である政府は個別的行為のために設けられた機関である。主権者が政府を設立し、統治者に与えるのは、自分が行わないことを行う権利である。それは政治体の生命と力である。政府の設立の基礎となる思想は、法の制定(立法権)と法の執行(行政権)である。政府は法に基づいて設けられ、政府の首長を任命する。一般意思の行為によって、政府設けら得ることは民主政に特有な長所である。神の仰せでもなく(神権授与説)、世襲でもなく、主権者が首長を任命するのである。すると政府を作る行為は、決して契約ではなく一つの法に基づいている。執行権を任された人々は、決して人民の主人ではなく公僕である。人民は好きな時に首長を任命し解任することができる。国家は軍事上の権力を将軍に一任したわけではなく、政治上の権力を首長に委ねる義務を持たない。又定期的集会(ローマ共和国では民会、国会と呼んでもよい)の議案の第1は主権者は、政府の現在の形態を維持すべきか、第2に人民は現に行政を任された人々に今後もそれを任せたいと思うかを議論することである。

(完)