医療に関する提言・レポートfrom MRIC(2009年12月25日)「日米の医療の常識からみる延命措置の理念ータブーから目を離さないで」 村重直子 厚労省改革推進部(個人の見解です)より
2008年10月亀田総合病院の倫理委員会は「ALS患者の要望による人工呼吸器の取り外しも考慮すべきではないか」という議論を出したが、今年2009年12月「川協同病院医師による呼吸器はずしは殺人である」という最高裁三行半判決が出たばかりである。ところが米国では昔から「治療しても治る見込みのない患者の呼吸器を外すことは標準的医療である」という常識が存在し、呼吸器はずしは日常的行為である。それは米国では「治る見込みもなく患者が苦しむだけの延命治療は人の尊厳に関る」という医者と患者の常識が行き渡り、倫理委員会に図る必要もなく、刑事司法や行政が介入するなどということは考えられない。延命治療行為を中止することは民事・刑事上免責されている。ホスピスや緩和病棟で「無駄な延命治療は行わない」という書類の署名しているのは、米国では79%、ドイツでは18%、日本は9%である。日本ではサインという概念がなじまないようだ。このように日米では社会的な末期延命治療の考え方が隔絶している。このような違いは日米の生命観に基づくもので、あながち日本だけが遅れているということではない。この「呼吸器はずし」問題は「脳死」問題と同じ生命観の問題である。日本の「脳死と臓器移植」臨調でもクリアーな結論が出ず、今年夏の国会でA案が法律となった。日米の表面上の差異より、その下に流れる常識(それは規定文書にかかれない)が違うことからきている。米国ではさらに「積極的に死を早める」議論(医療的自殺幇助)につながる。医師が致死量の睡眠薬を処方できる法律がワシントン州で2009年3月より実施された。ベルギー、オランダ、スイスでも医師が関与することを認めている。さらに「延命治療を拒否する権利」DNR、リヴィングウイル(治療に対する遺言状)なども議論されている。
2008年10月亀田総合病院の倫理委員会は「ALS患者の要望による人工呼吸器の取り外しも考慮すべきではないか」という議論を出したが、今年2009年12月「川協同病院医師による呼吸器はずしは殺人である」という最高裁三行半判決が出たばかりである。ところが米国では昔から「治療しても治る見込みのない患者の呼吸器を外すことは標準的医療である」という常識が存在し、呼吸器はずしは日常的行為である。それは米国では「治る見込みもなく患者が苦しむだけの延命治療は人の尊厳に関る」という医者と患者の常識が行き渡り、倫理委員会に図る必要もなく、刑事司法や行政が介入するなどということは考えられない。延命治療行為を中止することは民事・刑事上免責されている。ホスピスや緩和病棟で「無駄な延命治療は行わない」という書類の署名しているのは、米国では79%、ドイツでは18%、日本は9%である。日本ではサインという概念がなじまないようだ。このように日米では社会的な末期延命治療の考え方が隔絶している。このような違いは日米の生命観に基づくもので、あながち日本だけが遅れているということではない。この「呼吸器はずし」問題は「脳死」問題と同じ生命観の問題である。日本の「脳死と臓器移植」臨調でもクリアーな結論が出ず、今年夏の国会でA案が法律となった。日米の表面上の差異より、その下に流れる常識(それは規定文書にかかれない)が違うことからきている。米国ではさらに「積極的に死を早める」議論(医療的自殺幇助)につながる。医師が致死量の睡眠薬を処方できる法律がワシントン州で2009年3月より実施された。ベルギー、オランダ、スイスでも医師が関与することを認めている。さらに「延命治療を拒否する権利」DNR、リヴィングウイル(治療に対する遺言状)なども議論されている。