ブログ 「ごまめの歯軋り」

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福田首相の政治判断「一律救済」一歩前に  議員立法と云う手は何故

2007年12月23日 | 時事問題
asahi.com 2007年12月23日12時05分
福田首相「議員立法で一律救済」表明 薬害肝炎問題
福田首相は23日、原告の肝炎患者と被告の国・製薬会社との間で和解協議が続いている薬害C型肝炎集団訴訟について、「薬害患者の方々を全員一律救済で議員立法することで、党との相談の結果決めた。公明党の了解も取っている。可及的速やかに立法作業、国会審議をして、野党の協力も得なければいけない」と述べ、「全員一律救済」を可能にする内容の法案を、議員立法で今国会に提出する考えを示した。首相官邸で記者団に語った。

政策レベルで民主党との協議を重視する 議員立法と云う妙手
福田首相は政府の代表でしたよね。政府が動かない(官僚独裁性のもとで)ので、議員立法と云うことですか。おかしな話ですが。云うことを聞かない官僚を、首相でさえ首に出来ないのですね。どうもそういうことではなく、福田首相の一流の考えがあってのことでしょう。政策論議に民主党を抱き込みたいのでしょうか。

環境ビジネスの将来性

2007年12月23日 | 時事問題
『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』JMM [Japan Mail Media] 2007年12月17日
インドネシアのバリ島で地球温暖化に関する会議が開かれています。いわゆる「環境ビジネス」ですが、今後本当に有力な産業になっていくのでしょうか。

真壁昭夫:信州大学経済学部教授の回答抜粋
一般的に、環境ビジネスが拡大するには、いくつかの要件があると指摘する専門家もいるようです。
一つは、環境問題を考える余裕があること。つまり、相対的に高い経済成長が続き、自然破壊などの環境問題を意識するだけの余裕が必要だということです。
二つ目は、自然破壊などによって、人々が受けるデメリットが顕在化していることです。
三つ目は、環境ビジネスの技術力があることです。
さらにもう一つのファクターは、外部不経済が発生することが明確なことです。
これらの要因を考えると、当面、環境ビジネスは拡大の過程を辿ると予想します。

読書ノート 永六輔著 「大往生」ほか岩波新書著作集

2007年12月23日 | 書評
永六輔の洒脱な世界 第六回

「芸人」岩波新書(1997年10月)

芸人については永六輔は実に10冊以上もの本を書いている。自分が芸の世界にいたから話題に事欠かないので当然かもしれないが、今回岩波新書で「芸人」をわざわざ書いたのは、本人曰く「芸人と一歩距離を置いて、芸人以外が芸人をどう見てきたのか、そしてテレビ以降の変化という点についてポイントを置いた」といっている。芸人という言葉はほぼ死語である。芸能人、タレント、アーティスト、俳優、役者、歌手、音楽家、パーソナリティ、エンターティナーなどなど呼び名はいくらでもある。そして大阪人はみんなお笑い芸人の素質を持っているし、カラオケで一億総歌手になってプロより歌のうまい人はいくらでもいる。プロとアマの違いは成功したかそうでないかである。いわゆる河原乞食と蔑まれた歌舞伎や白拍子といった賎民階層はもういない。歌舞伎役者なんぞは梨園といって貴族になった。売れるタレントは億万長者である。タレントになりたい目的の第一は「金持ちになりたいこと」だそうで、芸なんかどうでも言いそうだ。つまり昔あった芸人かたぎの中の職人意識はすでにない。テレビではタレントや歌手は大量消費商品ですぐにスクラップにされる。本書は芸人の周辺語録である。内容はあいかわらずの言葉の切れ味だけの支離滅裂で筋も道理も何もない。といっても一応、本書は「芸」、「テレビ」、「スポーツ」、「光と影」、「歌」(永六輔作詞・南春夫が歌った「明日咲く蕾に」の舞台裏)、「芸人」(南春夫へのインタビュー)からなる。

「不条理とかリアルだとかを乗越えて納得させるところに、芸があるんです」(三木のり平の芸について)
「芸人でよかった。だってこんなに悲しくても、笑っていなければならないんですもの」
「客がよくなきゃ芸人は育ちません。芸人が育つような客は少なくなりました」
「芸人といえばどこか危ない色気があったものですよ、今の芸人は危ないところもなく色気もない」(破滅型芸人には、藤山かん美、勝新太郎、横山やすしなど)
「家元制度ってのは徹底して守りだけだよ。天皇制みたいなもんだ」
「昔ハンパモノはやくざに入ったが、いまじゃハンパモンを拾ってくれるとこは吉本興業とちゃいまっか」
「ドラマというのは監督の生理で作るものなのに、最近は役者の生理でドラマを作っている」
「テレビは下手な芸がよく似合いますね。テレビタレントに一番大切なものは魅力です」
「観るのに金を払わない、だから客が芸人を育てないという世界がテレビである。何も出来ない芸人が生まれています。」
「タレントになって売れるようになったときこんなにお金がもらえるのかって驚きました。これじゃ、人間直ぐダメになるって思いました」
「騒ぎを作って騒ぐ。それがテレビ界の常識です」
「テレビのCMで、テレビを見ている人の半分がその商品を認知するには10億円かかります」
「郵政省はテレビ局を許可しチェックもできます。だから天下り役人が民放にいるのです」
「プロレスなんて本気でやったら何度死んでも間に合わないね。もう演技以外は考えられない」
「巨人ファンは強い巨人が好きなのだが、阪神ファンは弱い阪神も好きなんです。これが地元密着型野球の原点だ」
「テレビ中継だけで持っているスポーツには相撲がある。国技というのは不当表示に当りませんか。これは芸能もしくは神事ですよ」
「オリンピックの入場式の役員の数は何であんなに多いんだ。天下りの時に役に立つだって」
「スポーツ中継の芸能化は、そこに新しい芸人を生んでいる。リタイヤーしたら殆どがタレントになれそうだ」
「錦着て、布団の上の 乞食かな」(団十郎)
「もののけ姫には46億という制作費がかかりましたが、そのうちなんと24億が宣伝費ですよ。宣伝すれば売れるという時代になっているわけです」



文芸散歩 卜部兼好 「徒然草」 岩波文庫

2007年12月23日 | 書評
日本の随筆文学の最高峰 第三十六回(第166段から第170段)

第百六十六段 「人間の営み合えるわざを見るに、春の日に雪仏を作りて・・・・」
人の命は下より消える雪の如しという名調子で、命を考えないで行う人の営みのはかなさ。

第百六十七段 「一道に携わる人、あらぬ道の筵に臨みて・・・・」
芸事・学問の達人は自分を誇らず争わないことである。常に自分の至らぬことを自覚し満足しないで慢心しないことだ。

第百六十八段 「年老いたる人の、一事すぐれたる才のありて・・・・」
一芸に長じた老人はでしゃばらないことだ。忘れたとか良く知らないといえばゆかしく思われる。まして良く知らぬことを喋り捲るのは、老人だから反対も出来ず黙って聞いている人の身にもなってみなさい。老兵は消え行くのみか、それでいいのだ。

第百六十九段 「何事の式という事は、後嵯峨の御代までには言はざりけるを・・・・」
「事のしきたり」と言うことは後嵯峨天皇の時代(1242)にはなかったが、最近言うようになったというが、兼好法師は建礼門院右京大夫集のその言葉はあったと反論した。しかしこれは兼好の記憶間違いで「世のけしき」のあやまりだったという注がついていた。

第百七十段 「さしたる事なくて人のがり行くことは、よからぬ事なり・・・・」
用もないのに出かけて人にあって話をするのはよくない。歓迎してくれて穏かな会話を楽しむのはいいが、それも控えめにおとなしいのがいい。


自作漢詩 「白髪疎疎」

2007年12月23日 | 漢詩・自由詩

無声今夕歳将     声無く今夕 歳将に除かんとす

送鬼明年六十     鬼を送りて明年 六十餘

貧賤痴児元了了     貧に賤に痴児 元より了了

病来白髪許疎      病来り白髪  許く疎疎

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(赤い字は韻:六魚  七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)