とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA(番外)BE TOGETHER / 鈴木あみ

2019-12-02 17:47:09 | 日記
或る日何気なくTVを視ていたら、見たことのある歌手が出ていて、自分の貧しくて苦しかった過去の生活を詳細に述べていました。鈴木あみ。ああ知っている。・・・聞いているうちに思わず引き込まれました。何というか、この美しい人にそんな過去があったなんて。私はそれ以来忘れられない歌手として記憶の底に位置付けたのでした。・・・「紐の付いた靴」に憧れていたんですね。泣けてきました。


BE TOGETHER / 鈴木あみ



鈴木 亜美(すずき あみ、1982年2月9日 - )は、日本の歌手、女優、作詞家。本名同じ。旧芸名、鈴木 あみ(読み同じ)。愛称はあみ〜ゴ、亜美ちゃん。極度の激辛好きが世間に知られたことで、激辛アミーゴ,カラミーゴと言った別称も付けられている。エイベックス・マネジメント所属、レコード会社はavex trax。身長159cm、血液型A型。
神奈川県座間市出身。日出女子学園高等学校卒業。


来歴

1998年 - 2001年:ソニー時代

1998年2月、『ASAYAN』(テレビ東京)の『ボーカリストオーディション・ファイナル』の最終電話投票審査で304万140票中80万2157票を集め1位となり、小室哲哉のプロデュースでの歌手デビューが決定。同年4月、番組内でSMEJの丸山茂雄代表取締役社長の許へ小室と訪ね、丸山はその場で同社からのCDリリースを快諾。所属事務所は1997年まで小室のマネジメントを担当したエイベックス子会社のプライムディレクション(現:エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ)内「TKルーム」のマネージャーが設立したサテライトポイントグループのエージーコミュニケーション に決まった。

小室の提案により本名の鈴木亜美ではなく、芸名「鈴木あみ」となった。
1998年7月1日にSMEJ Associated RecordsのSony Recordsレーベルからシングル『love the island』でプロデビュー。「あみ〜ゴ」(=アミーゴ)の愛称で若者から人気を集め一躍アイドルとなった。また、同シングルはオリコンの集計では30万枚近いセールスを記録するヒットとなった。

1999年1月25日にワニブックスから写真集『amigo』を発売、徹夜組500人を含め5000人のファンが銀座福家書店に握手を求めて集まった。写真集は発売から6日で早くも20万部を突破する異例の売れ行きとなった。2月発売の『Nothing Without You』からレコードレーベルをSMEJ Associated Records内のTRUE KiSS DiSCに移籍した。 週刊ファミ通 1999年4月30日号の表紙を飾った。

1999年3月6日に発売したファーストライブのチケットは数分で完売。3月25日発売のファーストアルバム『SA』は、オリコンの集計では約180万枚を売り上げミリオンセラーとなり、夏に発売されたシングル『BE TOGETHER』、『OUR DAYS』はオリコン週間ランキング1位を獲得した。さらに年末の第50回NHK紅白歌合戦にも初出場し、『BE TOGETHER』 を歌唱。シングルとしては自身最大のセールスとなった。また同年1999年12月22日「HAPPY NEW MILLENNIUM」は共作ながらも本人による初作詞であり、以降の楽曲で作詞家としてのデビュー作となる。

2000年2月発売のアルバム『infinity eighteen vol.1』もミリオンセールスを記録。3月にライブツアーの合間を縫って高校を卒業した。4月に発売したシングル『THANK YOU 4 EVERY DAY EVERY BODY』もオリコンで1位となり、連続リリースのアルバム『infinity eighteen vol.2』も1位となった。夏に全国アリーナツアーを果たし、NHK総合テレビのドラマ『ドラマDモード深く潜れ〜八犬伝2001〜』でテレビドラマに初主演するなど活動の幅を広げ、絶頂期を迎えた。(「Wikipedia」より)


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