左に有珠山、正面に昭和新山を眺めながらの7km付近
道内でトップを切って開催される「春一番、伊達ハーフマラソン」、昨年は非常に調子が良く、常に6分/kmを切るペースで走り続け、65歳から体力維持のために再開したハーフマラソンのベストタイム2時間02分08秒を樹立。(ちなみに50代後半は1時間48分前後)。今年は、その更新は無理としても、1週間前の日曜日までは、6分/kmを少しでも切れるペースで走る自信はあった。
しかし、このたび発刊の拙著『ほっかいどう山楽紀行』が予定より早くできあがった。こうなったら、なんでも一気にやってしまわなければ気が済まない質なのが始末が悪い。木曜日に自分で捌くつもりの600冊を受け取りに札幌を車で日帰り往復した。やらなければならないことがあったり、気になることがあるときは、夜間目が覚めるとニ度寝ができない。
翌日は暗いうちに起きて、郵送分のサイン書き、袋詰め、発送作業。昨日は、やはり寝不足のまま、市内と近郊分の5時間ほどしか寝ないまま、サイン書き、袋詰め、配達とこなした。
今日のマラソンのコンディション作りを犠牲にしても、本を早くみなさんの手に届けたかった。案の定、今朝伊達へ向かう運転中も眠気との戦いだった。今日は、タイムは気にしないで、のんびり走り、完走ができれば良いと思った。練習不足の妻も同じ状況だった。会場へ着いても準備運動もアップもしないでスタート地点に就いた。
最初は抑えるつもりで6.5分/kmで入った。ところが、抑えるなどという余裕はない。それでも、最後までそれよりは遅くならないペースで走り続けることができた。やはり疲れもあり、1度も6分/kmを切ることはなかった、しかし、それほど苦しむことはなく、ある程度楽しみながら走ることができた。
結果、2時間15分16秒という、昨年より13分も遅いワーストタイムとなってしまった。でも、この体調で、歩かないで完走できたことでも十分満足だった。最近○○期障害で、体調が安定しないために練習不足の妻はもっと悲惨だった。昨年より20分も遅い2時間24分だった。走っている途中で頭痛を起こし、帰りの車の中でも半ば死人状態。
スタートして車道に出た地点の様子
9km付近の折り返し地点
厳しい登りが続くトンネル手前の11km地点
トンネルを抜けて12kmを過ぎた辺り
再び有珠山に向かって走る15km地点
コールは近い
ゴール前でも立ち止まってゴール地点を写す
9分遅れでゴールした妻(左)
過去2年間は温泉に泊ったが、妻はいつも頭痛を起こし、食事が十分にできないのでもったいない。そこで、今年は泊りを止めて、途中で豊浦温泉に入って帰路に就いた。案の定、妻は半ば死人状態で帰宅したので正解だった。