今日は、まずは、全国一の規模を誇る棚田の丸山千枚田に寄ってから、明日の万歳峠越え入口の志古まで歩いた。
当初の計画では、昨日の内に千枚田を見ておいて、今日は一気に熊野本宮まで歩く予定だった。しかし、宿やバス時刻の関係で、予備日の明日に志古から熊野本宮までの予定にならざるを得なかった。
昨日のゴールとした後地バス停までのバスは途中で乗り換えるが、8:28発があるという。阿田和端地で乗り換えて、9:30に着いた。
普段より遅いスタートで焦りもあり急ぎ足になる。後地バス停から本宮道と別れて丸山千枚田へ向かう通り峠への道に入る。通り峠とは、やはり熊野古道ではあるが、熊野と吉野を結ぶ北山道の一部である。
通り峠にも石畳の道が続く。結構きつい登りだった。
標高390mにある通り峠には、子安地蔵が立っている。
通り峠からさらに急な道を登り、千枚田がよく見えるという展望台を往復。
上から眺めたら、昨年行ったマチュピチュや3回もを行っているネパールを思い出した。どう見ても日本ではない感じ。
実は、この丸山千枚田も昨日通った獅子岩と花の窟神社は、5年前の大峯奥駈道縦走(前半)の下山後にレンタカーで観光したときに見ている。しかし、この展望台には上がっていないし、千枚田の中の道路を歩いて通りたかった。
千枚田と言われるが、実際には高低差160mの谷合に約1,340枚の棚田がある。最も小さい田は、1枚で0.5m²しかない。棚田の法面は野面積みを主とした石積みであり、西日本に多く見られる方式である。
ひとつ残念なのは、すでに稲刈りが終わっていたことた。
展望台から戻り、北山道とも別れて、千枚田の中へ下りて行く。あちこちに案山子が立つくねくね道を下り、国道311号へ下りた。
矢ノ川大平の集落を通り、本宮道の案内表示に従って、旧道へ入る。ここから先の楊枝川の集落を結ぶ14kmくらいの主に県道と林道の間に6ヶ所の古道を歩くところがある。
そのすべての入口と出口に次のそれらまでの距離も書かれた標識が設置されていて、非常に安心感があった。
そのすべてにこれまでの峠越えと同じ100mごとの距離表示も設置されている。
すべての古道部分には、ここも石畳や深く掘れた道が続く。
途中で通過した小栗須の集落
古道や県道・林道の道端には古い地蔵さんも多い。
また、これまでにもあちこちで目にした猪の掘り返しも凄い。北海道に多い熊の掘り返しと似ている。
今日になって所々で目にした「熊野古道トレイルラン」のテープ。
コンビニで買った昼食を食べた夕日の丘公園。標高270mの所にあった明倫小学校跡。しかし、周りには人家も集落もなかった。
ここで、志古のバス時刻に間に合う見通しがついたので、今晩の宿となる湯の峰温泉の民宿に予約の電話を入れた。
バス時刻のこともあるので大急ぎで歩き、千枚田を下りてから2時間半ほどで、楊枝川集落の県道に出た。
あとは、地蔵の多い楊枝川沿いの県道をひたすら歩いた。楊枝川はやがて熊野川に合流する。
熊野川の1kmほど上流部には、頭痛に苦しんでいた後白河天皇の伝説が伝わる楊枝薬師堂・頭痛山平癒寺がある。
その手前にあった楊枝の渡し場から対岸の志古を望む。今は、下流の三和大橋を渡るために、対岸に行くのに3km以上も遠回りをしなくてはならなかった。
熊野川に架かる三和大橋を渡る。
15:45、これまでの最短の6時間15分で今日のゴールとなる志古に到着。志古には、瀞峡へのウォータージェットの乗り場がある。
バスは16:28なので、ウォータージェット乗り場の土産店で熊野古道麦酒を飲みながら、ブログの下準備をした。対岸は、楊枝の渡し場跡
小栗判官蘇生の地の伝説がある湯の峰温泉は、開湯1800年で日本最古の湯だそうだ。川を挟んで昔ながらの温泉情緒を残す小じんまりとした温泉街だ。古の人々は熊野詣の旅の途中、湯の峰で湯垢離を行い、聖地での禊ぎと旅の疲れを癒したそうだ。
17:00、今日の宿「温泉民宿てるてや」に到着。実は、3年前の中辺路の時もお世話になっている。感じが良かったので、今回もリピートした。
早速小じんまりとした源泉かけ流しの、この旅最初で最後の温泉へ入って疲れを癒した。やはり温泉はいい…極楽、極楽!
宿の名前の由来は、小栗判官との悲話伝説の照手姫に因んでいるとのこと。
夕食は、3年前の写真とほぼ同じだった。鮎の甘露煮、鴨鍋と鹿肉の刺身などなど・・・。明日は早いので朝食抜きにしたら、前回より700円安くなって、6950円だったがおにぎり2個とみかんをサービスしてくれた。
寝る前に、もう一度温泉にゆったりと入ろう。
当初の計画では、昨日の内に千枚田を見ておいて、今日は一気に熊野本宮まで歩く予定だった。しかし、宿やバス時刻の関係で、予備日の明日に志古から熊野本宮までの予定にならざるを得なかった。
昨日のゴールとした後地バス停までのバスは途中で乗り換えるが、8:28発があるという。阿田和端地で乗り換えて、9:30に着いた。
普段より遅いスタートで焦りもあり急ぎ足になる。後地バス停から本宮道と別れて丸山千枚田へ向かう通り峠への道に入る。通り峠とは、やはり熊野古道ではあるが、熊野と吉野を結ぶ北山道の一部である。
通り峠にも石畳の道が続く。結構きつい登りだった。
標高390mにある通り峠には、子安地蔵が立っている。
通り峠からさらに急な道を登り、千枚田がよく見えるという展望台を往復。
上から眺めたら、昨年行ったマチュピチュや3回もを行っているネパールを思い出した。どう見ても日本ではない感じ。
実は、この丸山千枚田も昨日通った獅子岩と花の窟神社は、5年前の大峯奥駈道縦走(前半)の下山後にレンタカーで観光したときに見ている。しかし、この展望台には上がっていないし、千枚田の中の道路を歩いて通りたかった。
千枚田と言われるが、実際には高低差160mの谷合に約1,340枚の棚田がある。最も小さい田は、1枚で0.5m²しかない。棚田の法面は野面積みを主とした石積みであり、西日本に多く見られる方式である。
ひとつ残念なのは、すでに稲刈りが終わっていたことた。
展望台から戻り、北山道とも別れて、千枚田の中へ下りて行く。あちこちに案山子が立つくねくね道を下り、国道311号へ下りた。
矢ノ川大平の集落を通り、本宮道の案内表示に従って、旧道へ入る。ここから先の楊枝川の集落を結ぶ14kmくらいの主に県道と林道の間に6ヶ所の古道を歩くところがある。
そのすべての入口と出口に次のそれらまでの距離も書かれた標識が設置されていて、非常に安心感があった。
そのすべてにこれまでの峠越えと同じ100mごとの距離表示も設置されている。
すべての古道部分には、ここも石畳や深く掘れた道が続く。
途中で通過した小栗須の集落
古道や県道・林道の道端には古い地蔵さんも多い。
また、これまでにもあちこちで目にした猪の掘り返しも凄い。北海道に多い熊の掘り返しと似ている。
今日になって所々で目にした「熊野古道トレイルラン」のテープ。
コンビニで買った昼食を食べた夕日の丘公園。標高270mの所にあった明倫小学校跡。しかし、周りには人家も集落もなかった。
ここで、志古のバス時刻に間に合う見通しがついたので、今晩の宿となる湯の峰温泉の民宿に予約の電話を入れた。
バス時刻のこともあるので大急ぎで歩き、千枚田を下りてから2時間半ほどで、楊枝川集落の県道に出た。
あとは、地蔵の多い楊枝川沿いの県道をひたすら歩いた。楊枝川はやがて熊野川に合流する。
熊野川の1kmほど上流部には、頭痛に苦しんでいた後白河天皇の伝説が伝わる楊枝薬師堂・頭痛山平癒寺がある。
その手前にあった楊枝の渡し場から対岸の志古を望む。今は、下流の三和大橋を渡るために、対岸に行くのに3km以上も遠回りをしなくてはならなかった。
熊野川に架かる三和大橋を渡る。
15:45、これまでの最短の6時間15分で今日のゴールとなる志古に到着。志古には、瀞峡へのウォータージェットの乗り場がある。
バスは16:28なので、ウォータージェット乗り場の土産店で熊野古道麦酒を飲みながら、ブログの下準備をした。対岸は、楊枝の渡し場跡
小栗判官蘇生の地の伝説がある湯の峰温泉は、開湯1800年で日本最古の湯だそうだ。川を挟んで昔ながらの温泉情緒を残す小じんまりとした温泉街だ。古の人々は熊野詣の旅の途中、湯の峰で湯垢離を行い、聖地での禊ぎと旅の疲れを癒したそうだ。
17:00、今日の宿「温泉民宿てるてや」に到着。実は、3年前の中辺路の時もお世話になっている。感じが良かったので、今回もリピートした。
早速小じんまりとした源泉かけ流しの、この旅最初で最後の温泉へ入って疲れを癒した。やはり温泉はいい…極楽、極楽!
宿の名前の由来は、小栗判官との悲話伝説の照手姫に因んでいるとのこと。
夕食は、3年前の写真とほぼ同じだった。鮎の甘露煮、鴨鍋と鹿肉の刺身などなど・・・。明日は早いので朝食抜きにしたら、前回より700円安くなって、6950円だったがおにぎり2個とみかんをサービスしてくれた。
寝る前に、もう一度温泉にゆったりと入ろう。
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