今日は、函館スキー連盟教育部と顧問を仰せつかっている函館スキー指導員会の総会と日程が重なってしまったが、函館中央図書館視聴覚ホールで開催された、函館文化会主催の第4回郷土の歴史講座「函館・空の事件簿~全日空ハイジャック事件から見えたもの~」を拝聴してきた。
講師の相原秀起氏は、現在北海道新聞社小樽支社長だが、自分の北海道新聞(札幌圏版)へ5年間(2012年~2017年)連載させていただいた「ほっかいどう山楽紀行」の2代目の編集担当者だった。その後、函館支社報道部長に赴任して、道南版(みなみかぜ)への連載「どうなん・とうほく山楽紀行」(2017年~2019年)を企画してくださり、非常にお世話になった方である。
なお、この事件は、オウムサリン事件の3ヶ月後の1995年 6月21日に函館空港で全日本空輸857便(ボーイング747SR-100型機)が占拠された事件である。 「函館の空の3大事件」の1つ、「函館ハイジャック事件」とも言われている。
講師の相原秀起氏とこの講演内容に関する著書
講演の内容は、函館空の3大事件と言われる、この「函館ハイジャック事件」と、「ばんだい号墜落事故」「ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25亡命事件」についても触れながら、取材や時代背景についてお話しいただいた。
このハイジャック事件は、1995年6月21日、羽田発函館往きの全日空機が山形上空で1人の男にハイジャックされた事件である。犯人はオウム信者を装い、猛毒サリンやプラスチック爆弾を所持していると客室乗務員を思い込ませることに成功した。男は乗客364人を人質に取り、函館空港に着陸し、給油した後に羽田空港に戻るように要求。道警は離陸を許さず、15時間にわたる攻防戦が函館空港を舞台に繰り広げられた事件である。
この事件は警察庁に極秘に創設していた対テロ特殊部隊SATの初陣の事件でもあった。犯人は、オウム真理教信者ではなく、53歳の元エリート銀行員だった。仕事上でのミスで、自殺を考えたが、ただ死ぬのではなく、麻原彰晃を釈放させて、機内で罪を認めさせた上で殺害し、自分も自殺し、ヒーローになるというシナリオを描いていた。
事件は、日本史上初のハイジャック機への強行突入で、事件は無事に解決したが、解決に至るまでの、新聞やマスコミで報じられることのなかった、事件の詳しい裏話がたくさん聞けて非常に面白かった。
ここ函館で起こっている事件なんだと信じられない気持ちで中継を食い入るように見てました・・。
講演会で詳しいお話聞いてみたかったです。
それとも山にでも登っていたかな?
だから、結構新鮮な気持ちで聞くことができました。