癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

術後1年検診・・・異常なし

2012年03月02日 | 大腸癌日記
          <今日の食卓に上った大好きな春の野菜「なばな」の辛子和え>
 菜の花に含まれるカロチンやビタミンCは、風邪予防やがん予防、また、美肌や老化防止にも効果が期待できるらしい、
 

 術後1年検診で、1週間前に終えていた腹部CT検査と血液検査の結果を、今日聴きに行ってきた。

 「CT検査では異常は認められません。血液検査の腫瘍マーカーも正常値ですので、安心してください」とのこと。

 腹部CT検査では、肝臓がん、胆道がん、膵臓がんなどの腹部臓器原発の悪性腫瘍がないかどうか、それがどの程度進展しているか、腹部リンパ節に転移していないか、などが判るらしい。私の場合は、大腸癌からの転移を調べるのが主な目的であろう。胃や肺や大腸の癌は判らないはずである。

 前のときもそうだが、転移はまったく心配していない。むしろ、2回目のときと同じように、新しい大腸癌ができる方が心配だ。今は転勤していない執刀医だったI先生に「体質的に大腸に癌ができやすいのかも知れないので、今後1年半ぐらいの周期で内視鏡検査を受けた方が良いでしょう」と言われたことを、現在の主治医O先生に話してみた。

 「2年ごとで良いと思うけど、心配であれば、次回9月の1年半検診のときに相談しましょう」と言うことになった。そのときに胃カメラの方も頼んでみようと思う。

異常なし・・・術後6ヶ月検診

2011年09月30日 | 大腸癌日記
              <羊蹄山2合目付近の密度の濃い細い白樺林>

 今日は、2回目の大腸癌の術後6ヶ月検診だった。9/21に採血した血液検査とCT検査の結果を聞いただけだったが・・・。結果は異常なし。次の検診は、さらに6ヶ月後の3月とのこと。

 1回目のときは、術後1年間は毎月の検診だったが、今回は1ヶ月、3ヶ月、3ヶ月、6ヶ月と大幅飛びだ・・・まあ、1回目の時より小さくて、転移の心配がほとんどないということからなのだろう。こちらも慣れてしまって、まったく心配してはいないのだが・・・。

 転移より、また新しい癌ができる方が心配だ。そのこともあり、次の検診の後に内視鏡検査をするかも知れないとのことだった。

 1回目の術後より、大腸がさらに25cmほど、合計で55cmも短くなり、便の水分を吸収する働きをする右側の上行結腸がすべてなくなり、横行結腸も半分近くまでなくなったにも関わらず、前回よりさらに下痢をしなくなり、毎日きちんと棒状の便が出るのが不思議でならない。大腸癌に罹る前は軟便体質で、しょっちゅう下痢してたのに・・・。
 
 ただ、短くなったから当然なのだろうが、腸の中の便の通過時間が早くなっていて、1日に出る便の量も回数も多くなっているような気がする。お陰で、お腹はいつもスッキリ状態・・・日々快食、快便、言うことなし!

術後3ヶ月検診

2011年07月29日 | 大腸癌日記
             (我が家のガクアジサイ)

 今日は2回目の大腸癌の術後3ヶ月検診の日だった。検診と言っても、7/20に採血をした血液検査の結果と今後の検診計画の打ち合わせだった。

 1回目の大腸癌のときは、術後1年間は毎月の検診だったが、今回は、前回より軽く心配ないとのことで、いきなり3ヶ月検診ということになった。手術日は4/6だったので、厳密に言えば3ヶ月はとっくに過ぎているのだが・・・・。

 いつも気に掛けてくださる担当の看護師の「その顔色を見ると、また、あちこち登られているようですね。体調も全く心配ないようですね~。」の言葉通りで、本人もいたって元気そのものである。主治医からの血液検査の結果説明も、予想通り、異常もなく、腫瘍マーカーも正常値の範囲だった。次回の検診は、6ヶ月検診ということで、9月末に血液検査とCT検査の予定を入れてくれた。

 それにしても、2度も大腸癌の手術をしたが、後遺症がまったくなく、抗ガン剤治療の必要もないというのは、本当に運が良いとしか言いようがない。1度目は、たまたま別の血液検査がきっかけで見つかり、2度目は、1度目の癌の定期検査で見つかった・・・・どちらも自覚症状もまったくない状態だったので、病気をしたとか、癌に罹ったという実感がまったくない。

 おまけに、2回の手術で55cmも大腸が短くなっているのに、今回も下痢をすることもなく、固形の快便の毎日である。若い頃から下痢しやすい軟便体質で、固形の便は殆ど出ることがなかったのだが、大腸癌のお陰で、腸の調子がかえって良くなった。また、大腸が短くなった分、便の腹に溜まっている時間もさらに短くなったような気がするし、太りづらくなったような気がする・・・まったく、良いことづくめだ。

 看護師に「なくなった55cmの腸はなんの役目をしていたのでしょうね?」と言ったら、「長すぎたのでしょうかね?」と笑っていた・・・。

 さらに、不謹慎だが、支給されたガン保険は、お陰で、癌の治療にはほとんど使うことなく、再び山旅の軍資金となっている・・・ということで、安心したところで、その軍資金利用で、明日から2週間の予定で北アルプスへ出掛けることにする・・・。 

術後1ヶ月~満開・全快!

2011年05月06日 | 大腸癌日記
     
      <五稜郭病院屋上庭園から満開の桜に彩られる五稜郭公園の一部と残雪の横津連峰を望む>

 今日で、手術日からひと月が経過した。まだ、開腹部の傷の痛みを感じることは多いが、治療中の傷の一部からの浸出液もぐんと減り、今日は朝から止まったままで、傷も塞がったようだ。大腸が更に短くなったのにもかかわらず、退院後は下痢もなく便通も安定しているのが凄い・・・順調に回復の途を辿っていると思いたい。

 4日ぶりに外来診療を受けたが、「もうこのまま止まりそうですね。傷口だけが塞がって中に溜まる心配もなさそうです。4日後にまた診せに来てください。」とのこと。これが治れば、気分的には今日で満開の桜のごとき全快モードだ。

     
 今日は、入院前から決まっていた私が幹事の退職組織の花見の会だった。参加者のみなさんは私の体のことを心配していたようだが、天候だけでなく、満開日までしっかりと引き寄せることができた。理事長に参加者の集約をお願いしておいた以外は、準備も運営も滞りなくでき、しっかりとジンギスカンを食べ、生ビールも飲み、みなさんから感心と安心をいただくことができた。

     
 準備と言っても、すべて五稜郭タワーで用意してくれるジンギスカンと樽生ビールとおにぎりのセットを利用するだけなので、日本酒と烏龍茶を別に購入していくだけのお気楽モード。

     
     公園入口付近の石塁の上に1本だけ独立して咲くみごとな枝振りのソメイヨシノ

退院1週間経過

2011年05月02日 | 大腸癌日記
                  <厚沢部花の谷に咲くエンレイソウ>

 今日で退院から1週間が経過した。毎日のように雨絡みの肌寒い日々が続いていることもあり、なんとなくスッキリしないが、順調に回復の一途を辿っている。

 まだ、開腹部の傷の痛みはあるが、日常の行動には差し支えないほど緩和してきている。また、隔日で外来治療(洗滌消毒とガーゼ交換のみだが)を受けている創傷部の一部から浸出してくる皮下脂肪の溶けたような液の量も徐々に減ってきている。便通も安定してきている・・・。

 今日の外来診察で、I医師の後任で、今後5年間の定期検診の主治医となるO医師と初対面した。現在治療中の創傷部からの浸出液について、「もしかしたら、内部の縫い糸が災いしているのかもしれません。体質的にそういう方もいるので・・・。しかし、必ず治りますから、もう少し辛抱してください」とのことだった。

 そう言えば、前回のときも傷がなかなか塞がらず、再縫合手術までしたが、そのときに、I医師が「いずれは溶けてしまう中の糸だが、それが災いしているのかも知れないので、取り去った」と話していたことを思い出した・・・・。前回よりは開いている傷ははるかに小さく、液が止まれば自然に塞がる程度の穴状で、痛みもないので、全く気にならないが、中から出てきていた浸出液やその原因は、今回と同じ物だったのかも知れない・・・。

 天候が良ければ、通院はリハビリを兼ねて徒歩で行きたいところだが、雨絡みの日が多く、車で行かざるを得ないのが残念だ。今日は、外来治療が終わった後に、久しぶりに院内の階段を3往復した。明日から少し天候が回復しそうなので、リハビリを兼ねてサクラが咲き出した五稜郭公園や、スプリング・エフェメラルを求めての山道などを歩き回ろうと思う。

亀足7kmウォーキング

2011年04月29日 | 大腸癌日記
          <本日の五稜郭公園の平均的なサクラの蕾の状態・・・開花予想は明日だが、果たして・・・?>

 前回も今回も、退院時に「痛くても、積極的に体を動かすことによって、傷の周りの筋肉も鍛えられるので回復も早くなるし、大腸の調子も良くなるので、痛くてもどんどん体を動かすことが肝腎です」と言われたことを思い出した。

 おとなしくしていても、動いたときに痛みを感じると、どうしても体を動かすのが億劫になり、ネガティブな気持ちになる。しかし、もっとポジティブな気持ちで過ごしたい。そこで、数日ぶりに広がった晴れ間を狙って、サクラの蕾が膨らんできたであろう五稜郭公園へウォーキングに出掛けた。

 まだ開腹部の傷の痛みがあり、急いで歩くことはできないが、腹筋を締めて、背中を伸ばして歩くと、少しは緩和される。常に痛みを感じながら歩くことによって、痛みにも馴れるし、ポジティブな気持ちにもなれる。家からの往復と堀周りを2周して約7kmほどを歩いてみた。まだ歩けそうな感じではあったが、痛みと闘いながら歩くことは結構疲れるものだ。

 歩きながら、腹部に感じる痛みを細やかに分析してみた。昨日ブログに書いたずっと気になっている臍の右横の痛みは、どうやら開腹部の傷の痛みのようだ・・・その傷は臍の直ぐ右横を中心に縦に15cmほどだが、そのさらに右奧に痛みを感じるので、もしかしたら大腸の繋ぎ目に起因する痛みかもしれないと思って不安になっていたが、どうやらそうではなかったようだ・・・傷の痛みであれば、時間が解決してくれるので心配はない。そう思ったら気が楽になった。明日からもどんどん歩こう・・・。ちなみに、現在も治療中の脂肪融解による分泌液が滲み出てくる7mmほどの傷の痛みはほとんど気にならない。

 前回の日記を見たら、術後20日で「無痛散歩ができた」と書いてある。今回は今日で術後22日目だ・・・ここが腹腔鏡手術と開腹手術の違いかも・・・?

 もう1週間ほど雨絡みの天候が続いている。今日の蕾の状態では、明日の開花予想は、少し遅れそうな気配だ。しかし、公園内には夜桜用の提灯が張り巡らされ、もうジンギスカンを囲んで花見をしている気の早いグループもあった。

ダメージとの闘い

2011年04月28日 | 大腸癌日記
       
                <通院途中で目にした梅の花>

 昨日は、一日中開腹部の傷なのか、内部なのかよく判らない痛みに苛まされた。動くのも億劫で、ずっとソファーで転がっていた。しかし、一晩寝て起きたら、何ごともなかったようにケロッとしている・・・今日は、午前中に、隔日の傷の手当てで、外来治療を受けてきた。 

 今日の担当は、I医師と一緒に手術に当たってくれたNa医師だった。一番気になる臍の右側の内側の痛みについて聞いてみた。「手術で繋いだところに近いけれど、今現在痛みがないなら気にしなくても良いでしょう」と言われてひと安心。そういえば、入院中の20日にも同じようなことがあった・・・そのときは、自分で、「天候のせいでしょうね?」とNa医師に話していたのだったが、今回もその類か・・・?

 しかし、夕方になって、また、臍の右側の痛みが出てきた。この痛みが一番多く、特に曲げ伸ばしをするときに痛むことが多い。これがもし癒着によるものなら腹痛になるらしいが、その痛みとは違う感じだ。明後日の外来治療のときにも痛かったら、もう少し、詳しく聞いてみようと思う。前回の手術の後にはなかった痛みなので・・・。

 癌の方は取ってしまえば、それで終わりなのだが、回復は手術で受けた身体的なダメージとの闘いだ。手術前は、体調も悪いわけではないので、病気という感覚はまったくなかった。しかし、手術されて、重病人になった感じ・・・数日間の強烈な痛みとの闘いに始まり、開腹部の傷の痛み、腸の調子による張りや痛み、不安定な便通、脂肪肪融解とやらで今も治療中の傷の内部、そして、一番多く出る臍の右側の気になる痛みなど・・・日が経つに連れて、徐々に治っていくものと信じたい。 

 そういえば、前回のときは入院中にボイラーが故障した。17年もの長生きだったので、新しい物と交換した。今回は、退院の前日に10年目のストーブが故障した。昨日業者に診てもらって、点検整備といくつかの部品の交換で済んだ。人間の体も故障部分を取って繋いだり、部品を交換したりしたら、即時に元通りに復活できたらどんなに楽だろう・・・?

退院初日

2011年04月26日 | 大腸癌日記
         <ちょうど満開状態の植え込みのエゾムラサキツツジ>

 新たな癌春生活のスタートに合わせ、テンプレートを変えてみました。

 難眠生活から解放され、寝付きは悪かったが、5時まで眠ることができたし、ソファの上での昼寝も1時間半ほどもできた・・・どうして、これが快適なはずの病院のベッドならできないのかが不思議だ・・・。

 病院まで往復歩いて、外来で傷の手当てをしてもらった・・・「I医師は4月25日で退職しました」との張り紙があり、寂しさを覚える。今日の外来担当は3人だが、入院中2度手当をしてくれた別の医師が洗滌消毒をして、絞ってくれた。絞られても痛くなく、膿のような不純な物ではなく、きれいな油のようなものが滲み出てくるらしい。これがいわゆる脂肪融解と言われる所以か?

 「おとなしくしていた方がいいのですか?」と聞いたら、むしろ「うんと動いて絞り出した方が良いです」と言われてひと安心。ガーゼも自分でも汚れが酷くなったときに貼り替え可能な創傷用粘着ドレッシングに変わり、10枚持たせてくれた。「傷はシャワーで直接洗い流して、自分でも傷の周りを押しながら絞り出して、それをまたシャワーで流すようにしてみてください」と言われ、1週間ぶりにシャワーを浴びた。明日は、特に悪化しなかったら、自分で対応して、明後日また外来へ来るように言われた。

 外来でいつもお世話になり、何かと気に掛けて下さるSa看護師から「癌も坂口さんを選んで、2度もこのような試練を与えているようですが、負けないでまた元気に山に登り続けてください。もう計画がおありなのでしょうね。」と励まされた。

 退院が前回より1週間ほど遅かったことも幸いしてか、外を歩いても開腹部の傷跡の痛みは少ない。急ぎ足は無理だが、普通に歩けるので、少しずつ距離を延ばして体力回復に努め、低山のスプリングエフェメルの花見山行からスタートしようと思う。

 午後の昼寝の後は、留守中に溜まった郵便物や文書の整理、ガン保険の書類作成などをし、タイヤ交換をしてきた。

晴れて出所

2011年04月25日 | 大腸癌日記
     
            <27日間お世話になった五稜郭病院を裏側から撮す>

 27日ぶりに娑婆の空気を吸い、我が家へ戻ることができた。帰りに病棟詰所で見送ってくれる看護師さん達に「大変お世話になりました。前科2犯、当分保護観察付きですが、三度(みたび)戻ってくることのないよう、日々更正に励みます」と挨拶してきた。

 主治医との最後の面談内容は下記の通り・・・

○内視鏡手術で切除した直腸と横行結腸にあった2つのポリープの病理検査の結果、横行結腸の方のが癌で、完全に取り切れていないこととリンパ節転移の疑いもあるので外科手術の必要があった。手術の範囲に前回の吻合部も含まれるので開腹手術とした。

○前回の吻合部も含めて25cmほど切除し、新たに小腸と横行結腸を繋いだ。(前回と合わせて55cm短くなったことになる・・・残り1m弱?)

○今回の癌は、再発でも転移でもなく、新しい癌である。体質的に、今後1年半に一度は内視鏡検査を受けるように。

○病理検査の結果、残っていると思われた癌は消えていて、リンパ節転移もしていなかったので、ステージⅠと考えて良い。

○今後また定期的に外来検診を受けてもらうが、引き継ぐ新しい担当はO医師。とりあえず、傷の手当てに、明日また外来へ来ること。傷の方は、前回のように長くは掛からないで治るだろうとのこと。

○心配の腸閉塞については、腹腔鏡手術に比べて確率は高くなるが、体質的に罹りやすい人とそうでない人がいる。症状としては、嘔吐や腹部の激痛が多い。(予防には、一般的に消化の悪い物を避ける、水分を多く摂るなどがあるが、今後詳しく調べてみよう。)

 午前中の外来診療の後、私の面談を終えて、引っ越しの準備に入ったので、私との面談が最後の仕事だったようだ。今後は、仙台の実家も医院だが、近くの総合病院へ勤めるらしい。

 「前回の手術から定期検診、そして、この度の手術・・・3年2ヶ月にわたる先生との出会いも私の寿命の一部と考えております。特に、震災の影響で異動がひと月延びたところへ滑り込んで対応してもらえたのは、何かの縁でしょう。ありがとうございました。」とお礼を言ったら「今度は500名山を目指して頑張って下さい」と言われた。「(500名山というのはないのだけれど)ありがとうございます」と答える大人な私・・・?
 
 夕食は、退院祝いと5日遅れとなった妻の誕生祝いを兼ねて、「旬暦ひだか」で会席料理に舌鼓を打った。病院食からいきなりで、腹もビックリしているだろう。ちょっと量も多かったようで腹が苦しい・・・。



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度重なるアクシデントの末に、ようやく退院できたsakag



嬉しさを全身で表現。


      
「わぁ~い、退院だぁ~」


   ---完---

入院26日目(術後18日)

2011年04月24日 | 大腸癌日記
    <屋上庭園から五稜郭公園を見下ろす・・・サクラの満開の頃にはピンク色に染まるだろう>

 術後数日間以外は、消灯後の21:30ごろに寝付くが、2:00前後には目が覚め、あとは朝を悶々と待つ・・・かと言って、日中もベッドで横になっていても、たまにうつらうつらする程度で、慢性寝不足の難眠生活の日々が続いている。あと一日でそれも解消するだろう。

 今朝も1:45に目が覚めた。ところが、腹が張って痛苦しい。今回初めての経験・・・ベッドの上で体を動かしながらガス抜きを図るが、思うようにならず・・・ふと、忘れていた腸閉塞の3文字が頭をもたげてくる・・・脂汗がジワッと吹き出てくる。丑三つ時にもかかわらず、起き出して廊下の散歩・・・詰所の看護師に心配される。腹をなで回しながら10分ほど歩き回ったら、便意到来・・・出したら、だいぶ楽になってホッとする。安心して二度寝できるかと思ったが、やはり眠れなかった。きっとこれからも、腹が張ったり、便秘になる度に同じ心配に苛まされるのだろうか・・・?

 今日は日曜日にもかかわらず、朝9時の外科スタッフ一同の回診があり、主治医も毎週必ず顔を出してくれた。「丸一日休む日はないのか」と看護師に聞いてみたら、「ほとんどなく、日曜日は回診してカルテ記入をして10時頃には帰る」そうだ。そのほかに当直もあるらしい・・・大変な激務だ。

 今日の手当は、注射器での洗浄消毒は同じだが、ビニールドレーンを入れないで、ゲンタシン軟膏を傷の中に入れたようだ。細菌による感染症の治療に用いる抗生物質の薬で、いろいろな皮膚病を治癒する効能があるとのこと。「先生の念力も注入して、なんとか明日までに治してください」と言ったら、「念力ですか?明日までは無理ですね~」と笑っていた。

 毎週日曜日は体重測定の日・・・入院したときは、それ以前の首の故障で運動不足だったこともあり、64kgだった。先週には60kgまで落ちていたが、食事を普通に摂るようになり、今週も同じ60kgだった。3年前も4kgほど減って57kgまで落ちた。山に登るにはこの60kg前後が体が軽くて歩きやすい。せっかくの機会なので、増やさないようにしたいと思う。

入院25日目(術後17日)

2011年04月23日 | 大腸癌日記
      
       <院外の風致林公園に設置されている安田侃の作品「風」(ブロンズ)> 

 明後日(4/25)、主治医の退職(異動)と同じ日なのだが、それに合わせて、12:00予定の主治医の説明を聞いた後に、退院することした。

 退院が延期になった創部内側の脂肪融解による炎症だが、今日の回診時も洗浄消毒とビニールドレーンとカーゼの交換だった。中からしみ出てくる分泌液はだいぶ少なくなってきている。主治医の話では、「この液が出てこなくなるまで、少しの間毎日同じ治療が必要だが、外来でも対応できるので、通うのが大儀でなかったら、いつ退院しても良いですよ」とのことだった。

 治療のために外側に開けた傷は5mmくらいで、中もそれほど大きくはないそうだ。中から液がしみ出てこなくなると自然にその部分も外側の傷も閉じるとのこと。「前回といい、今回といい、すんなりと着かないですね~」と笑っていた。「本筋以外のところでご苦労おかけして申し訳ございません」と謝っておいた・・・・謝られても困るだろうが・・・。

 今日は、朝から雨だったが、体調は良く、岳友たちのお見舞いにも、楽しく山談義にも興ずることができた。階段昇降も3往復を3回楽にすることができたし、便も2回とも形をなしてきたし、食事も病院食では足りなくて間食もしだした・・・・もう、安定した形で回復曲線を描き出したものと思いたい・・・。

       
           <院内エントランスホールに設置されている安田侃の作品>
             左「妙夢」(大理石)         右「意心帰」(大理石)

ちなみに、安田侃のプロフィールは下記の通り
 
 1945年北海道美唄市生まれ。東京芸術大学大学院彫刻科修了後、70年イタリア政府招へい留学生として渡伊。ローマ・アカデミア美術学校でペリクレ・ファッツィーニ氏に師事。以降、大理石の産地として知られる北イタリアのピエトラサンタにアトリエを構え、大理石とブロンズによる彫刻の創作活動を続けている。

入院24日目(術後16日)

2011年04月22日 | 大腸癌日記
      
               <今日その存在が分かった屋上庭園>

 今朝は、なぜか朝方から痛みが強くなった。ここ1週間で一番苦しかったかもしれない。回診時に処置をしてもらったら、徐々に和らいで、1時間ほどしたら、痛みがほとんどなくなり、階段昇降もできるようになった。しかし、午後からはまた、縫った傷の痛みなのか、脂肪融解による炎症部分の痛みなのか、その両方なのかはっきりしない鈍い痛みがずっと続き、なんとなく調子の悪い一日だった・・・朝から雨模様の天候のせいだろうか・・・? 階段昇降も午前中の一回だけで終わった。

 主治医は、今日は外来診察日なのと3日後に迫った退職(他の病院へ移ることをこう表現するようだ)で、いろいろ忙しいらしく、今日は一度も顔を見せることはなかった。毎日見ないとなんとなく寂しいし、調子の悪いときはなおさらだ。看護師を通じて、「今回の手術の結果や今後のことについての説明を25(月)の12:00ごろからします。」とのことだった。そのときは、3年2ヶ月間お世話になったお別れのときでもある。多分そのときに退院の日取りが言い渡されるのかもしれない。    

       
             <毎日、ベッドの片隅で昼寝をするかなこハイジ>

 さて、看病に当たってくれているかなこハイジは、午前中は家事や昨夏から始めた小遣い稼ぎの内職をこなして、14時頃に、洗濯物の換えと自分の夕食の弁当(おかず多め)持参で、自転車でやってくる。一緒に夕食を食べて、19時頃には帰る日々である。

 やもめ暮らしの私の世話をしたくて嫁に来てくれた典型的な世話女房タイプなので、こういうときは本領大発揮・・・こちらも遠慮しないで甘えられるのがうれしい。しかし、いつも感心するのは、昼寝のできない私を尻目に、ベッドの片隅で器用に1時間以上も昼寝をすることである(写真)。いつでも、どこでもすぐに眠れるのは本当に羨ましい。

入院23日目(術後15日)

2011年04月21日 | 大腸癌日記
        
       <ヤケに気の早いサクラ・・・情報をもとに、外出許可をもらっての五稜郭公園散歩で撮影>

 本来であれば、今日退院するはずだったが、もう少しの辛抱・・・別に急いで退院しなくてはならない事情もないのだが、一番辛いのは、熟睡できないことだ。昨夜も、消灯まもなくの21時過ぎには眠りに就いたが、2時過ぎに目が覚めたら、もう眠れない・・・悶々と過ごす朝までが長い。それでも一番長く眠った方だ。「目が覚めたら朝だった・・・」は、入院中一度も経験がない・・・かといって、昼寝もほとんどできない。

 今朝の第1便は、さらに固形化し、柔らかめながらも太いバナナ状のが驚くほどたくさん出た。大腸がさらに短くなったので、水分の吸収が悪く、下痢が続くと思っていたのだが、予想に反して、こちらの回復は前回より順調のようだ・・・と喜んだら、午後のはまた下痢状だった・・・不揃いなウンコたちに振り回される日々は当分続く・・・。

 回診時の治療は、開けた穴から注射器で洗浄し、ガーゼ交換しただけ。ガーゼに染み込んだ分泌物は昨日より減っているようで、ビニールドレーンは入れなかった。癒合している創傷部に開けた穴の長さは7mmほどだが、その内部の分泌物の溜まっている部分の深さや長さはどのくらいなのか、今後、どのような経過を辿って、傷が塞がるのか、明日にでも聞いてみよう。

 今日は、8階分の階段昇降を1セット3往復に増やし、朝・昼・夕と3回することができた。3往復で汗がジワッとにじみ出てくる。それ以上すると汗が流れるので、そこで終えている。日に日に楽になり、体力が戻ってくる感じがうれしい・・・。
 
           

 山仲間のブログで、五稜郭公園のサクラで一本だけ、幹にもう咲いている木があることを知った。場所も教えてもらったので、昼食後、久しぶりに外の空気も吸いたくて、外出許可をもらってカメラ片手に散歩がてら出かけてみた。ところが、その後、妻が持って来てくれた道新朝刊に、記事になっ写真も載っていた。それを見た妻が、私に見せようと、病院へ来るときに携帯で同じ写真を撮ってきてくれたのだった・・・申し訳ない。 

      
 今年の開花予想は4月30日で、普通の枝のつぼみはこのような感じ・・・。 

入院22日目(術後14日)

2011年04月20日 | 大腸癌日記
                <昨日いただいたお花>

 せっかく明日退院予定だったが、少々延期となってしまった・・・・
 
 昨日判明して処置してもらった創傷部の脂肪融解が原因だ・・・これも合併症の一つなのだろう・・・実は、昨夜その「脂肪融解」で検索してみたら、下記のような記述(一部抜粋)にぶつかった。その中の「創部離開」という言葉に、3年前の悪夢が蘇ってきて、嫌な予感がしていた。

 「皮膚の癒合が進んでいっても、皮下には脂肪融解による液体が貯留し、皮膚癒合が完成していないところから漏れ出て、ポケット状に癒合していない皮下部分に気がつきます。このようにして創部離開がおこると考えます。」

 たしかに、昨日段階では傷の正面は塞がっているように見えたが、内部のその液体が溜まっていたところは塞がっていないわけだ・・・・そんな不安を抱きながら、9時の回診を待った。

 案の定、分厚いガーゼも、昨日開けた穴に入れておいたビニールドレーン(体液を体外に取り出す細いテープ状のビニール)を伝って出てくる分泌物と洗浄液の残り等でかなり汚れていた。今日も、再び針のない注射器で洗浄し、そのビニールドレーンを入れ、ガーゼで覆った・・・この処置が、当分毎日必要なので、数日おきの外来対応ができるまで退院を延期しようということになった・・・。

 しかも、「先生のいらっしゃるうち、うんと甘えようと思います」と言ったら、「僕、来週の月曜日でいなくなります」とのこと・・・ありゃりゃんりゃん!なんとか、すっきりとした形で退院し、I医師にも、心おきなく新任地へ旅立って欲しかったのに・・・・これまた残念! 「今後の別の先生への引き継ぎや、退院後の定期検診計画等については、近日中にお話しします」とのこと。

 それにしても、前回といい、今回といい、原因は違うが傷の塞がりには縁がない・・・?体質的なこともあるのだろうか・・・いずれにしても、今回もまた、傷が塞がらないままの退院となりそうなのが悔しい。しかし、傷全体の上部1/5ほどに限った部分のようだし、腫れも赤みも痛みもほとんど消えたので、苦痛はほとんどなくなった。外出もOKとのこと・・・・この際、不謹慎だが、がん保険の入院見舞金の日数加算分を楽しみに、のんびり療養と階段昇降で体力作りに励むことにしよう・・・!今日は2往復を3回することができた。

 ここへ来て、便にも少し変化が出てきた・・・食事再開後はずっと下痢状態だったが、今朝になって、初めて柔らかいながらも棒状のものがいくつも出て、それが便器の中に漂う状態になった。傷の痛みも軽減されたので、昼食は完食し、夕食も妻の作ってきてくれたおかずにも箸を伸ばした・・・。

入院21日目(術後13日)

2011年04月19日 | 大腸癌日記
           
               <赤ワインさんから贈られてきた『北海道の登山史』>

 今朝の回診で、ついに退院許可が出た・・・「もう、いつ退院しても良いですよ。都合の良い日をそちらで決めてください」「まだ腹の傷が痛むのですが・・・」「それは家にいても病院にいても同じで、時間か解決しますから・・・」とのこと。どうやら腹の調子が整い、常食が食べられるようになれば、それでOKのようだ・・・妻と相談して明後日21日(木)の午後に退院することに決めた。

 しかし、腹の傷が漠然と痛むのかと思っていたが、テープの上から触って調べてみたら、傷の上部の一ヶ所だけであることに気づいた。そこで、看護師さんに診てもらったら、詳しいことは省くが、脂肪融解による炎症を起こして、赤く腫れているとのこと。今騒いでいる原発の炉心融解でなくて良かった・・・その後、手術中だった主治医に代わって別の先生と看護師長が来て、穴を開けて絞ったり、注射器で吸い取ったりして処置してくれた。その後、痛みはだいぶ弱まった。

 明朝、主治医がまた診てくれるらしいが、これが原因で、また傷が離開するようにならないことを祈るのみ・・・。

 そういえば、まだ抜鉤(抜糸)をしていない・・・前回は、5日目で抜鉤したが、傷口が開いてしまい、退院後再縫合手術までして、閉じるまでにひと月ほど以上も掛かったので、今回は、慎重にしているのかと思っていた。しかし、今日、テープを剥した傷を見たら、前回のような鉤も糸も見当たらない・・・聞いたら、なんとボンドで付けたのだそうだ・・・びっくり。

 手術前に、冗談に「前回のような苦労はしたくないので、縫った上からボンドでも塗ってしっかり止めておいてください」と話したのだが、本当にそんなボンドがあるなんて初めて知った。そのせいか、傷は今のところ、塞がっているようだ。しかし、今日判明した脂肪融解による炎症が災いしなければ良いのだが・・・? 

       

 赤ワインさんから、このたび北海道新聞社から発刊された『北海道の登山史』(安田治著)<トップ画像>が贈られてきた。退院したら購入予定だったので、感謝・感謝である。

 まだ前段の部分しか読んでいないが、上掲の帯にも記載されているが、日本の登山史の流れの中で捉えようとしているところに特徴がある。「日本三百名山」を完登して、本州と北海道の山の歴史の違いを実感していただけにうれしい構成だ。

 構成は、第1章 近代登山史以前の山、第2章 近代登山史Ⅰ~黎明期から一般社会人への普及期~、 第3章 近代登山史Ⅱ~戦後から現代までの変遷~、第4章 ~戦後から現代までの変遷~、北海道の登山史年表・・・合計p358。

 巻末のp80にわたる年表は圧巻だ。中でも、近代登山以前の松浦武四郎の探検登山や、明治29年に我が道南の古部岳・大千軒岳・八幡岳に始まって以降の主な山の一等三角点選点の詳しい歴史も興味深い・・・。