癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

入院20日目(術後12日)

2011年04月18日 | 大腸癌日記
 昨夜の就寝前に点滴を外され、ようやく保釈された感じ・・・点滴をしたまま寝ているとおしっこの回数が多いので、熟睡できない。しかし、なかなか寝付けず、10時に眠剤を出してもらったのに、結局眠ったのが12時・・・それでも5時まで熟睡したが、薬が効いているせいか目覚めがすっきりしなかった。今日は自然に任せよう・・・。

 上を向いて寝ているのが、一番楽な姿勢だが、眠ってしまうと横向きになってしまっていることが多い。朝、その体勢を戻すときに、腸も元の位置に戻ろうとするときに傷の痛みと違う強い痛みが出るのが、ちょっと気になる。これが癒着のなせる業か?主治医に言わせると、「徐々に軽くなりますので、心配しないでください」とのこと。

 食事も常食になったが、胃が小さくなっていることや、腹が張ると傷が痛むので、完食できず。でも、お粥でない普通のご飯が美味しい。現在服用しているのは、ラックビーという微粒の整腸剤のみ・・・今日も3度ほどトイレに行ったが、便はまだ形をなしていない。

 点滴が外されたのを幸いに、朝食前と午後と夕食後に、地下2Fから6Fの階段昇降をしてみたが(画像)、さすが1回1往復で十分だった。まだ、歩いても、ベッドに腰掛けてPCに向かっていても腹の傷が痛い・・・この辺りが腹腔鏡手術に比べての傷の回復の遅れなのか・・・?前回は術後8日目に歩いても痛み感じなくなり、階段昇降をしているが、今回は今日で12日目だ。

 9時過ぎに、術後3回目の風呂にゆっくり入って、さっぱりする。点滴の処理をしなくても良いので、これから毎日は入れるのがうれしい。

 ここへ来て、見舞客が増えてきたが、3年前にもお見舞いをいただいたのばかりなのに、また頂くのは非常に心苦しい・・・。

 入院前に送っておいた来るシーズン前発刊予定の増補改訂版『北海道雪山ガイド』(北海道新聞社)の紙面構成された校正原稿が編集長から次々送られてきて、今日でようやく全部完成した。入院していてもインターネットでこのような仕事ができるなんて、良い時代になったものだ。

 今回の私の依頼された増補追加分は、道南の「砂蘭部山」「カスベ岳~メップ岳」と夕張山系の「布部岳」「松籟山~御茶々岳~槙柏山」の4つである。初版本にも4山載せているので、合計8山、32ページとなった。あとは、発刊が楽しみである。

入院19日目(術後11日)

2011年04月17日 | 大腸癌日記
                <昨日いただいたお花>

【関心事~その1】

 いきなり尾籠な話で恐縮だが、前日食べた食事の分は、しっかりと出た・・・ただし、まだ下痢状態のまま。果たして形をなすのはいつの日か・・・・? 前回は腸が短くなったにもかかわらず、若い頃からの軟便体質が改善され、それまでほとんど経験したことがなかったバナナウンコが日常的に出るようになって感激した。しかし、今回はさらに短くなったことによって、今度はどうのような変化が起きるのか・・・・。

 今日も3食、腹が苦しくなると、腹の傷が痛むので、軟食のご飯は残したが、おかずはしっかり食べた。明日から常食になり、点滴も外されるらしい。

【関心事~その2】

 昨日、昨年の5月に直腸癌の開腹手術をし、9月に腸閉塞を起こしたる~ば♪さんのお見舞いを受けた。私もそうだと思っていたが、彼女も腸閉塞というのは、腸管の中が癒着して狭くなり起こるのかと思っていた。そうではなく、腸管と腸管の外側が癒着して、曲がったりして、蠕動運動がうまく伝わらないために、便がうまく流れなくなり、便秘状態になって起こるとのこと。一度やると癖にになる人がいるそうだ。多い人で30回もやった人がいるとか・・・・。

 彼女の場合は、手術はしないで、1週間ほどの入院で絶食して腸を空にして治療をしたようだ。今でも、便秘が一番怖いとのことで、便を柔らかくする薬を飲んでいるとのこと。

 前回の手術では考えたこともなかったが、開腹手術の場合、空気と触れることによって、癒着の可能性が高くなり、腸閉塞の確率も上がるらしい。数日間の山旅をしているときに罹ったらどうしようと不安になる。一昨日のレントゲン結果では、今のところその心配はないようだが、退院前の説明時に詳しく聞いておこう。

入院18日目(術後10日)

2011年04月16日 | 大腸癌日記
         
          <6日ぶりに食べた今日の朝食>

 一昨夜の激しかった腹痛はどこへやら・・・・丸5日食べていなかった食事にようやくありつけた。人生の中で、これほど食事を摂れなかったのは初体験かも・・・? 朝食は1/3、昼食は1/2、夕食は2/3と、腹が驚かないように徐々に増やしていった。

 特に異常もなく、食後も順調に経過している。便の様子に現れるのは明日のことだろう。主治医も「この調子なら、来週早々にでも退院できるかもしれませんね~」と言われた。別に急ぐ訳ではないが、順調に経過して欲しい。

 点滴の処置をしてもらって、一昨日に引き続き、2度目のお風呂に入った・・・風呂は、やはり気持ちが良い!

         
         <サイアムさんからのお見舞い品・・・現地の木工工芸の時計>

 ここ数日、連日見舞客の訪問を受けているが、今日は、会ったこともない意外な方のの訪問を受けた・・・「タイから来ましたサイアムです」・・・いつもこのブログにコメントをくださる20数年もバンコクに在住している函館出身の男性だ。

 今回の帰省は知っていたが、まさか、病院まで訪ねてきてくださるとは思わなかった・・・感激の初対面だったが、以前から、「居酒屋で飲みながら山の話をしたいですね」と約束していたので、このような形での初対面になるとは思ってもいなかった。向こうは今が大正月で、それに、土日を付けての帰省となったようだ。

 大学を出てすぐに向こうへ渡り、仕事に就いたそうだ・・・実は、大学時代山岳部で毎年のようにヒマラヤ遠征へ出かけ、ネパールの山中に滞在することが多かったそうだ。そのたびに近くの中心都市バンコックを起点にしていたことが、向こうに住み着くきっかけになったようだ・・・今は、多くの現地人を雇う、海外旅行企画関係会社の社長さんだ。

入院17日目(術後9日)

2011年04月15日 | 大腸癌日記
   <tokuさんからのお見舞いメールに添付されてきた「癒しの一枚」・・・本人撮影の駒ヶ岳の天体写真>

 またまた、激痛ハプニング発生・・・まあ次から次へと、本当に思うようにいかないものだ・・・昨夕から深刻な腹痛が起きて、真夜中に最高潮に達し、2回も痛み止めの注射をしてもらった。当然、楽しみにして5日ぶりの食事もまた止められてしまった・・・。


 その腹痛だが、へそを挟んだ傷の反対側のピンポイントの場所。だいぶ和らいできた夕方でも、手で触っても痛いし、深呼吸しても痛いし、歩いても痛い。真夜中の最悪の時は、黙っていても呼吸をしても激痛で、腹を動かすことさえ出来なかった。トイレへ行くための起き上がりや移動は地獄だった・・・しかし、術後の傷の痛さとは質が違う。

 朝になって徐々に痛みは和らいできた。血液検査もし、腸閉塞の検査のための腹部レントゲンも撮ったが、異常は認められないという。確かに、吐き気もないし、腹部の張りもない。今のところは腸閉塞の心配はなさそうだ。そのほか、熱もないし、食欲もあるし、体のだるさもない。ただ、ガスも便意も昨日の午後からはない・・・。

 攣ったような痛みもあるので、思い切って「癒着を起こしているということは考えられませんか?」と聞いてみた。「手術をすれば多かれ少なかれ、癒着は起きます。開腹手術の場合可能性は高くなります。その治療はまた再び開腹手術するしかないのですが、また新しい癒着を引き起こすリスクが高いので、積極的には勧めません。もう少し様子を見てみましょう」とのこと。

 もしそうであれば、今のところ、レントゲン撮影の結果は大丈夫なようだが、食事した後がちょっと怖い・・・。しかし、食べてみて反応を確かめたいという思いもあるが、その食事再開は、明日の朝食からだ。

 ちょっとネットで、調べてみたが、確かに、腸閉塞以外は、積極的な治療は行わないことが普通らしい。消化の良い食事を摂取し便通を整える、適度な運動をすることに努める。症状に応じて薬物療法が行われる場合もあります。

 しかし、夕方、上記のような不安を吹き飛ばす朗報が・・・!

 病理検査の結果、(内視鏡手術で取り残した)癌そのものが消えていて、リンパ節転移もなかったとのこと。

 ポリープの段階で内視鏡手術をした消化器内科のKo医師も、最良の場合、その可能性があるかも知れないが、それは外科手術の上、病理検査の結果を診なければ何とも言えないので、放って置くわけにはいかないと言っていた。まさに、その最良の結果だったわけだ!

 腸がさらに短くなったことや癒着や腸閉塞のリスクは増えたが、ずっと気が楽になった・・・我が悪運の強さに感謝・感激・・・・また、蘇りまっせ!

入院16日目(術後8日)

2011年04月14日 | 大腸癌日記
          <五稜郭タワーにたなびく鯉のぼり(妻撮影)>

 トイレ通いの方は改善し、大は朝から2回に治まった。しかし、出る物は少しどろっとなった感じだけで、変化無し。朝の回診で「今日一日様子を見て、このままだったら、明日から食事を再開しましょう」とのこと・・・今日の夕方あたりからを期待したが、無理だった。

 食欲もあるし、体調もすこぶる良い。夕方の回診で「明日から食べてみましょう」と決定した。ただ、食べた後、どのような反応を呈するのか担当医もやや不安そうな感じだ。下痢になるのか、便秘になるのか・・・?まずは、食べてみて、様子をみるしかないようだ。

 これで、丸4日看護計画が足踏みしたことになる・・・前回の記録を見たら、今日と同じ術後8日目に、すでに階段昇降をしている。歩いても傷の痛みもなく、点滴も外れ、抜鈎も終わっていたのだった。しかし、今回は、腹の傷は歩くとまだ少しは痛むし、点滴には繋がれたままだし、抜鈎については、前回その後傷が開いて塞がるのにとても時間を要しただけに、今回は慎重にお願いしてある。

 担当医からは、4日ほど前に「風呂に入っても良いよ」と言われていたが、とてもその気にはならなかった。しかし、ついに今日は、点滴の処置をしてもらって、術後8日ぶりに風呂に入ってさっぱりした。これまでも看護師や妻に体を隅々まで拭いてもらっていたが、やはり風呂はいい。

 さて、明日の楽しみは、食事の再開・・・順調に腸が動いて欲しいものだ・・・。

入院15日目(術後7日)

2011年04月13日 | 大腸癌日記
  <病室から見える五稜郭公園外周遊歩道の一部(ピンクのジャンパーを着ているのが妻>

 今日の午前中までは、昨日までとほぼ同じで、ほぼ1時間ごとのトイレ通い。しかし、お昼を境にして、ぴったりと止まった。薬や抗生剤の点滴が効いたようだ・・・。

 看護師も担当医も喜んでくれたが、「このままで、あと1日か2日様子を見ましょう。食事はその状況次第かな?」・・・思わず、「腹減ってます、早く食べたいです」と言ってみたが、早くて明日の夕食あたりかな・・・?

 前回も最初の食事の後、ガスが溜まって、便秘になって、やはり2日間ほど食事を止められた。今回は奇しくも症状的には、そのときと逆なようだ・・・。この後、食事が再会したら、今度前回のような症状が出ないことを祈っている。

 この大腸癌の場合、術後は、腸の調子が安定するまで、便秘や下痢や頻便に悩まされるようだ。今回は、前回と合わせて60cmも短くなっているので、退院後、どのような形で落ち着くのだろうか?全体で150cmもあるらしいが、その3/5しかなくなってしまった。簡単に言えば、右の大腸はすべてなくなり、横の大腸も右半分近くがなくなってしまったわけだ。

 今日は、増補改訂版『北海道雪山ガイド』の編集長から、「カスベ岳・メップ岳」と「砂蘭部岳」の校正原稿が届いた。その校正にも取り組んだ。明朝には送り返す予定。明日辺りには、残りの2山も届くだろう。



 
今日のsakagクララ



下痢が止まって、可愛くなりました!!




入院14日目(術後6日)「妻発信」

2011年04月12日 | 大腸癌日記
        
       <安田侃さんの作品の周りで元気に遊び回る院内託児所の子供たち


気が付いたら、手術してからもう6日も経つんですね。

今日のsakagは元気印

下痢止めの薬が出たらしいが、30~1時間ごとにトイレに通っている。
腹痛はないけれど、黄門様が痛いそうだ。

人生楽ありゃ~♪苦もあるさぁ~~♪


食欲も出てきた。
が、食事はまだできない。

「唐揚げ食いてぇ」と言っていた。



「これからは食欲との戦いだな」


「性欲とは戦わないの?」


「うるせ~」


「食欲と性欲と睡眠欲、どれが強い?」


「うるせ~なぁ・・・・睡眠欲・・・・」 ← 多分ウソ


「それじゃ、食欲と性欲と海水浴、どれが好き?」


「海水浴は嫌い」



と、いう訳で、ほとんどカナヅチのsakagが満を持して?登場で~~す。

sakagクララさん、張り切ってド~~ゾ~~~。    

 どうやらお呼びではないようですが、sakagクラクラ、そろそろ復帰です・・・「まだ、出てこなくて良いから、奥さんに任せて、ゆっくり療養してなさい」と言う多くの声がきこえてくるようです・・・気が向いたときに書き足してくれるでしょう。

 妻も書いていますが、昨日と今日は30~1時間ごとにトイレ通い・・・ただ昨日と違うのは熱もないし、腹痛もなく、体もだるくないし、食欲もある。トイレへ行っても、便滓のようなどろったしたものがちょぼちょぼと出るだけ・・・今朝から12時間で16回それの繰り返し・・・山本リンダではないが、「どうにも止まらない」・・・昼に薬が出たが、まだ効果はない。

 主治医に言わせると、「腸が痙攣してるのかもしれない。大きくゆったりと動けないで、細かな動きしか出来ていないのかも?もう少し様子を見ましょう」・・・はやく、下痢が止まって、食事が食べたい!

入院13日目(術後5日)「妻発信」

2011年04月11日 | 大腸癌日記
昨夜は、朝まで強烈な下痢と、下痢に伴う腹痛に悩まされたらしい。
熱も出たらしく、氷枕をしていた。

朝食も牛乳2口のみ。
食事は止められ、便の検査。

傷の痛みはあまり感じないけれど、お腹が痛くて歩く気がしないと言っていた。
しかし、約1時間おきにトイレへ・・・・

今日はsakagの先輩であり、山仲間でもある方がお見舞いに来てくださった。
山の話をして、少し元気が出たのかな?
新聞を読む余裕もでてきた。


看護師さんに、「下痢が続くと脱水症状になりやすいので、水分をたくさん摂るようにしてくださいね」と言われた。



いろはみず買ってきてくれ」


「かしこまりました、かしこ~~~。
いろはみずですね、ご主人様」









アナタが欲しかったのはいろはすですから~。
いろはみずって・・・


最近、惜しい間違いが多い。

スケバン刑事(デカ)をスケバン刑事(けいじ)と言ったり、杉本哲太(てった)を杉本てつたと言ってみたり。
振り込め詐欺を、振り込みサゲと言ってみたり。

何のことを言ってるのかは、すぐ分かるけど、サゲってなんだ??



午後に検便の結果が出た。

腸炎だったらしい。

主治医が回診にきて、飴ちゃんの許可が出た。

朝は食事のニオイが嫌だったみたいだが、夕方近くには熱も下がって大分良くなったみたい。
お茶を飲んだり、お水を飲んだり、飴ちゃんなめたり、話もたくさんできたし。
まずは、ひと安心!





帰り際のsakagの一言


美容院に行く暇がなく、髪の毛が伸び放題の私に向かって「明日床屋、行ってこい!浮浪者みたいだぞ」









しかも、床屋って・・・・
あたしゃ、オッサンかっ!!








入院12日目(術後4日)「妻発信」 

2011年04月10日 | 大腸癌日記
sakag、今日は更にパワーダウン。

朝、病院に行ったらベッドでテレビを見ていたものの、元気はない。

朝ご飯も無理して半分食べたと言っていた。


よほどの寝不足ではない限り、昼寝ができないタイプなのに眠ってばかりいる。


つまんないので、sakagの顔をじっくり眺めてみたり、ベッドの足元の端っこで昼寝をしてみたり、sakagの足が臭くて目が覚めてみたり・・・・・



sakagに「遊ぼう」って言うと「遊ばない」って言う

「お水飲む?」って言うと「飲まない」って言う。

こだまでしょうか?
いいえ、こだまになってないし・・・・




昨日から食事ができるようになったのは良いが、酷い下痢が続いてるらしい。
そのことを看護師さんに言ったら術後は下痢をしたり、便秘になったりでそれは仕方がないとの事。





お昼ご飯も少しハシをつけただけ。
下痢をしているので、食欲もないしお腹が痛いらしい。

そして夕食は全く食べずに、付いていた小さなゼリーを食べただけ。

大腸が前回の手術と合わせて、約60センチ短くなっているので下痢は仕方がないけれど・・・・


食欲のないsakagを見たのは初めて!
大丈夫かいな?
段々良くなるとは思うけど。

sakagクララなんて言ってる場合じゃないので・・・・・





手術するたび、大腸短くなるね。









「え~~しぃ~~~」


明日には元気になっているでしょ~~。







入院11日目(術後3日)「妻発信」

2011年04月09日 | 大腸癌日記
sakagの「今日の一言」・・・にしては長いっ! 


みなさん、応援・ご心配コメントありがとうございます。読んでは元気をいただいていますが、まだコメントへのレスをつけるだけの元気はございません。
 今はひたすら痛さとの闘いです。そこへ来て、訳の判らない背中の痛みの方が、傷より痛かったりします。
傷の痛さは、前回の腹腔鏡手術に比べて、傷が大きいせいか痛みの回復がおそいようです・・・
ということで、みなさんが非常に楽しみにしている妻発信の観察日記を2~3日続けてもらうことにします。


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日に日に回復していくのかな?と思い、午前中に病院へ行ったが昨日より元気がない。


術直後は前回よりも元気で、声もしっかり出ていたのに、今日はお腹に力が入らないのか、痛いのか、かすれ声でよく聞き取れない。

「こんばんは!森進一です」と言ってみて欲しいくらいな声。
更年期の前にまた変声期?



手術直後は調子が良かったのになぁ~。









実況


各馬一斉にスタートしました。

トップは「カンボーチョーカン」
復興のために、負けるわけにはいきません。

2番手は「アルムノヤギカイ」
山羊の扱いは慣れているんでしょうけどねぇ。


1番人気の「ニドメノガンタイジ」は3番手です。
ここからトップに躍り出ることはできるのか?


その後を追うのが「テイネンピ」
かわいいんですけどねー、ちょっとマヌケ顔ですからねー。


                        



「ニドメノガンタイジ」ガスが出なくて失格~~。


昨日からオナラが出ないそうだ。

昨日から、ゆっくりお水を飲んでいるけれどガスが出ない。
お腹が痛かったり張ったりしている訳ではないので、それほど心配はいらないけれど。


今日はお昼からお粥が食べられるようになった。


おむつが取れて、ハイハイもせずにいきなりつかまり立ち。
そして歩行が出来て、今日から離乳食。
だんだん大人になっていくsakag。
あっ、母乳飲ませるの忘れた! 



ガスが出ない事をとても気にするsakagクララ




「怖いの。私オナラが出ないのよ!腸閉塞が怖いの!」





「お~~な~~~らぁ~~~~」



1時間置きくらいに、病棟を1周を何度も繰り返す。

そのうちに少しずつガスが出るようになってきた。
俗に言う、微かなスカッペ。
これは出たうちに入らないと、sakagはスカッペを認めていないようだ。


が、少しは気が楽になった様子。
傷や背中の痛みも、食後に飲み薬を服用しているせいか昨日より痛みは軽いと言っていた。

気持ちにやや余裕が出来た様子なので、着替えをさせる。

おぉ?腹帯をしていない。
聞いたら、大好きなI先生が腹帯を外してくれたそうだ。
優しくブラを外すように・・・・・



今回は術直後以外は、お珍々を拭いてくれないらしい。
前の時は初回限定サービスだったのかしら?

なので、私がT字帯からおパンツに履き替えるときに拭いてあげた。
今は尿管が抜けているけれど、一昨日初めて見たワ、尿管入りの珍々。

去年の夏祭りで売れ残ったフランクフルトのようだった。
去年のフランクフルトなんて見たことはないけれど。


髪の毛も水のいらないシャンプーで洗い、一応キレイになった。


夕食も5分粥とおみそ汁・大根の煮物や煮魚など・・・
お腹を気にして半分残したので、残りは丈夫な私のお腹に入りました。
歯茎だけで食べられるくらい柔らかい物ばかり。
歯、いらないね!



術後からずっと点滴に繋がれてたが、夕食後に点滴が終わったら明朝まで点滴は休み。
食事ができるようになったので、点滴も少なくなっていくわけね。



明日のsakagクララは何に怯えるのかしら??





つづく・・・・かもしれない。

入院10日目(術後2日)「妻発信」

2011年04月08日 | 大腸癌日記



今日は昨日よりは少しだけ早く歩けるようになった。


透けて見える腹帯が、何度見てもブラジャーに見えてしまう。
いや、確認していないので、今だけ私に内緒でブラしているのかも・・・・


上の画像はブラを気にしているのではない。

背中が痛いそうだ。
左側だけが痛くて、昨夜は眠れなかったとか。

軽く揉んであげたけど、楽にはならず。

夕方くらいには傷より痛いと言っていた。

看護師さんが来たのでそのことを言ったら、痛い部分を触ったり押したり・・・
脂肪の塊?
ニキビを潰すように押してみたけど、何も変わらず。
「少し様子を見ましょう。痛みが増してきたら必ず言ってくださいね」と言って帰っていった。


段々不安になってきた様子。

膵臓ガンかもしれないと言い出す。

そして、「パソコンで背中の痛みって調べてくれ」と。





「怖いのよ、かなこハイジ。私、膵臓ガンかしら?」



「すいぞ-ってな~~に~~??焼いて食べたら美味しいのぉ?」



暫くして回診。
医師たちが数人やってきた。


帰ったあと、sakagが「今日はI先生(執刀医)来ないのかな?」
と、言ってたら数分でやってきた。

sakag、嬉しそう。
I先生のことが大好きみたい。
その為のブラジャーか?
ko先生も素晴らしい先生だが、やはり執刀医に聞きたいのかしら?

そして、I先生に背中が痛い事を言った。

「ん~~、脂肪の塊かな?歩いてるうちに痛みは気にならなくなりますよ」との事。

だからさっきからみんなでそう言ってるでしょ?

安心したみたい。
単純だなぁ~。


夕方、sakagはステップアップ。





「おじいさん、sakagクララはお水が飲めるようになったのよ。」


「お-そうか-、明日からは5分粥じゃな~。」




つづく・・・・

つづかない・・・・・


今日の一言
sakag「俺のブログ、今日までお前に書かせてやる」



入院9日目(術後1日) 「妻発信」

2011年04月07日 | 大腸癌日記
皆様、毎度の事ながらたくさんの励ましのコメント、ありがとうございました。

おしっこの管のサイズも教えて頂き、ありがとうございます。

夢で見た雪山はどこかは分からないそうです。

あと、写真撮るときってピースするんですね~。ふぅ~~ん。


さて、本題です。
sakag観察日記です。

実は、昨日プチアクシデントがありまして・・・・


昨日の術後、面会に行き一旦帰宅後、夕方にもう一度顔を見に行ったのですが、その時に
「右足がおかしい」と言う。

麻酔が取れて、左足は上に上げることはできるのだけど、右足は持ち上げる事ができないと言っていた。
足首は動かせるし、膝を立てることはできるけど、持ち上げられないと、心配していた。


「もう歩けないんだろうか?」とショックを受け、もの凄い汗をかいていた

「大丈夫だよ、動くんだし、感覚もあるんだから・・・
まだ完全に麻酔が取れてないんじゃないの?すぐ歩けるようになるよ」とは言って励ましたのはいいが、私まで不安になってきた。

主治医によると、背中から入れている痛み止めのせいだろうと、その痛み止めをやめてもらったらしい。

そばに付いていたいけど、ICUの面会は5分なので、後ろ髪を引かれる思いで帰宅


帰ってからPCで色々調べてみたら、1万件に1件くらいは下肢麻痺があるようなことが書かれてあった。
PCで見る情報は100%正しいとは思ってないけど、やはり不安。


そんな時に、病院から電話!

なっ、何?
ドキがムネムネ・・・・・
何かあったな!
すぐ飛んで行けるように、受話器を持ちながらバッグと上着を持った。




「ご主人、容態が安定してきましたので一般病棟に戻ります」との事。

ビックリさせないでよ~。

と、一応安心はしたけれど、よく考えてみたら足の事は言ってなかったなぁと思い、
また不安になり、寝たのか寝てないのか分からないまま朝を向かえる。





そして今日朝8時に病院へ。


病室に行ったら、sakagがいない。
看護師さんに聞いたら、「下のセンターにいますよ~~」

「ギョエ~~、またICUに戻ったの?」

「あっ、間違えた。坂口さんね、そこの個室にいますよ」

オェ~~個室?

個室って重病人とお金持ちしか入れないんじゃないの??


恐る恐る、個室に入ってみた。


いた!

口を開けて寝てる。
アホヅラこいて眠ってる。


足の様子を聞いてみた。

動くし、持ち上がるって!

はぁ~~、よかった。

昨日の電話と、個室と・・・・
寿命が縮まったわい



個室に入った理由はというと、看護師さんの詰め所の真ん前だから。
容態は安定してるけど、2時間おきに血圧を測りにくるらしい。

前から思っていたことだけど、この病院の看護師さんは皆さんとても優しくていい人ばかり。
いつも笑顔だし。
仕事とはいえ、素晴らしい。
ストレス溜まらないのかしら?


それにしてもsakagの足、良かった。

もし万が一歩けなくなったら、私が背負子で背負って山に登るぜ!と思い、マジで背負子の値段を調べてみたりした。
が、sakagの縦走のリュックも重くて背負えない私は、60数キロのsakagは無理である。


だったらリハビリ?
ハイジがクララを歩けるようにしたみたいに、アルムの山に行って私が歩けるようにしてあげる、と考えた。












「お医者様はもう、sakagクララの足は治ってると言ってるのよ~。
どうして歩こうとしないのよ~」



「怖いの、私怖いのよ、かなこハイジ」 


「sakagクララの意気地なし!私もう知らない!!」


「あっ、待って!かなこハイジぃぃぃぃ~~」







と、言うわけで、sakagクララは歩けるようになりました。



前回の腹腔鏡手術では、傷が痛くて翌日には歩けなかったのに、今回は朝から歩けたらしい。
ゆっくりで短い距離だけど。

痛みに強くなったのか、腹腔鏡で色んな所にポチポチ穴を開けられるより、ズバッと1箇所を切った方が痛みが1点に集中するので、楽なのか?

しかし、麻酔の注射が切れると「ヤクが切れた~~」とナースコール。

中毒になりませんように!


* このPC「ふくくうきょうしゅじゅつ」と打つと「服食う今日手術」と変換されます。

ちなみに私が好きなおバカ変換は、「チオビタドリンク」→「血帯びたドリンク」
と「ギフトセット」→「義父とセット」です。

「こちらの商品は義父とセットになりま~~す。」
誰も買いませんよねぇ。



つづく・・・・・









入院8日目(手術日)

2011年04月06日 | 大腸癌日記
 私の心境と同じで一点の曇りもない、まさに手術日和?の快晴の朝を迎える。再発癌ではなかったので、原発2号癌か?・・・この時期、なんか嫌な響きだが、こちらは、速やかに修復工事が終わって、合併症など併発せずに、順調に稼働復帰できることを確信している。

 入院後、ブログの訪問者が連日500人を超え、昨日はついに600人を超えた。前回も手術日が最高を記録したので、多分今日はもっと増えるだろう・・・これらの方々はみんな私の応援団者だと信じて、手術台に向かうことにする・・・みなさん、ありがとう!

 さて、昨夜は精神安定剤(眠剤)を出してもらったので、早めに眠りに就いたが、午前中に飲んだ下剤が夜になって効いてきた・・・5回もトイレに起きて、これまた熟睡できず、しかし、腹も気分もすっきり・・・手術中に麻酔で熟睡できるからまあいいか・・・。7:00に浣腸、7:30にバレリーナタイツのような肺血栓塞栓症防止タイツを履き、着替えをし、あとは静かに呼び出しを待つ。

 息子と娘から激励メールが入る。妻と看護師に付き添われて、9:15、手術室へ向かう・・・今は強運を信じ、ハプニングもなく予定時間で手術が終わり、無事麻酔から目が醒めることだけを祈っている。私の戦いや頑張りのスタートは、その麻酔から醒めたときである・・・・。

 以下は、皆様お待ちかねの妻代筆・・・前回は「本人が書かなくても良いから、毎日奥さんに書かせろ。それの方がおもしろい・・・」という声が非常に多かった・・・悔しい!  





皆様、いつもありがとうございます。
3年振りの代筆です。
まさか、またこんな時が来るとは・・・・
今回で最後になるよう、目一杯このブログを荒らしていきたいと思います。

 

前回同様、100万ドルの笑顔で手術室に向かうsakag。
今時、写真撮る時にピースする人っているのねぇ。


歩いて行こうとしたが、それはNGで無理矢理車椅子に乗せられました。
これで病人っぽく見えるかな?

 

山に送り出すような感じで「いってらしゃ~」と手術室の前で見送り、私は家族控え室で待機。


ピッタリ3時間経過の、12時20分に看護師さんから声がかかり、個室で執刀医からの説明を受ける。
問題ナッスィング。 

これも前回同様、取り除いた焼肉ホルモンの写真を撮る。
もう怖くないもんね~。


手術時間は、麻酔などの準備を差し引くと、2時間30分~40分くらいだろうか?



その後、看護師さんが「これから体を拭いたりしますのでもう少しお待ち下さい」と言われた。
おぉ~恒例のチョメチョメですな!

15分後、ICUへ行き面会。

今回は開腹だったのに、前回の時と比べて元気みたい。
まだ麻酔が効いているせいか、傷の痛みはないとの事。

しかし、尿管が痛いと言っていた。
ベッドサイドを見たら、1センチ強の管があったので「こんなに太いの?これじゃ痛いわぁ~」と驚いて言ったら看護師さんが、「これが直接入っているワケじゃないんですよ~(苦笑)」




sakagは手術中、雪山に登っている夢を見たそうな。
遭難しなかった?と聞いたら、細かい内容は覚えてないとの事。
寒かったのかしら?

 

アクシデントも無く、手術時間も予定通りだったので、今のところは心配いらないでしょう。




入院7日目(手術前日)

2011年04月05日 | 大腸癌日記
        
         
 ベッドのがたつきと隣のいびきが気になってほとんど眠った気がしないまま、手術前日の朝をを迎えた・・・朝から絶食。水やお茶はOK。食欲との戦いは今日が一番辛いはずだが、点滴に繋がれてようやく病人の気分で空腹も気にならない。ベッドは取り替えてもらい、耳栓を妻に買ってきてもらった。

 今日が一番忙しい日のはずと、3年前の手術前日のブログを熟読・・・まさか、自分の書いたブログをこうして、再び我が身に置き換えて読み直すことになるとは思ってもみなかった。
http://blog.goo.ne.jp/sakag8/e/b10ac9c6c9d81fdba9ecb112c56074c3

 まず、9:00にシャワーを浴びる。10:00前から担当の看護師が来て、手術時に履く肺血栓塞栓症防止タイツのサイズ合わせに始まり、下剤を飲み始め、点滴に繋がれる。さらに、下腹部の体毛も剃られ、へその掃除等々。午後からは集中治療室の看護師の説明、手術室の看護師の説明、主治医の手術の説明、麻酔科の医師の説明・・・と忙しい日だった。これらは、順序は多少違ったが、3年前とまったく同じだった。しかし、下剤が違っていた。前回は大腸カメラの時と同じ2㍑の腸管洗浄剤だったが、今回のは粉末を180ccの水に溶かして、1時間かけてチョビチョビ飲むタイプのに変わっていたが、飲んで8時間経っても、まだ効果なし・・・ちょっと不安。看護師に話したら、「大丈夫です。そのうち出るでしょう。明日の朝、浣腸もしますので・・・」とのこと。

 さて、肝腎の主治医の手術の説明の概要は下記の通り(上掲画像参照)

○今回の癌は再発ではなく新しい癌で前回の癌とは関係なし。早期癌ではあるが、粘膜下組織まで及んでいて、内視鏡手術の遺残(取り残し)もあり、リンパ節転移有無の検査も必要なので、外科手術が必要。
(前回は、その下の筋層まで及んでいたが、リンパ節転移はなかった。今回もその可能性は強いが、病理検査の結果を待たないと何とも言えないとのこと。体質的に毎年内視鏡検査を受けた方が良いとのこと) 

○癌の場所は、横行結腸の右側で、前回の吻合部に比較的近く、前回の手術時の癒着部分や痕跡もあるので開腹手術とする。(もっと離れたところなら腹腔鏡手術ができた)

○癌の両側10cm以上を切除する必要があるので、前回の吻合部も含めて切除し、回腸と横行結腸を直接繋ぐ。

○開腹部は、前回の傷を利用し、その上下に延ばして15cmほど縦に切る。
(「傷の大きさは気にしないので、先生のやりやすいように遠慮しないで切り開いてください。」と言ったら「ありがとうございます」と言われた)

○予想手術時間は、順調にいって2時間半とのこと。(なんとかハプニングもなく、その時間で終わってほしいものだ)

○治療計画は、翌日より離床、2~3日後に水分と食事、7~10日で退院予定。
(自分的には10日での退院は無理だと思う。前回のように傷の塞がりに時間が掛からないことを祈る)

○その他、様々な合併症の説明。(万が一の場合の説明だが、真剣に聞いていると怖くなる・・・自分ではどうしようもないことなので、すべて信頼してお任せするしかない)

 いよいよ、明日の朝、9:20に手術室へ・・・麻酔で眠ったまま俎上の鯉になる。あとは医師任せ、運任せ・・・・

 向かいのベッドの人は、昨日朝一の手術で、夜の9時過ぎに集中治療室から戻ってきた。私とまったく同じで、2回目の大腸癌で、開腹手術だったとのこと。朝のうちは、前回より痛みが強いと辛そうだった。朝一で回診に来た担当医に「すんごくイテェけど、この痛み治るのかね?」と聞いていたが、午後になったら、座ったりして、トイレにも歩いて行っていた・・・凄い精神力だ! さて、2日遅れで追いかける我が身は・・・・?

入院6日目(転科・転棟)

2011年04月04日 | 大腸癌日記
                      
               <毛無山から噴き出す今朝の日の出>
 
 日の出の瞬間をカメラに収めて、今日も気持ちのよい朝を迎える。朝一番、輸血のための検査に必要な採血を受ける。昨日に5日と言わていた外科病棟への転棟は、今日の間違いだったとのことで、急遽10:00に引っ越して、第2章の始まり・・・・。

 3年前と同じ病棟の北側の部屋で、窓側のベッドだったので、座ったままで五稜郭公園や横津連峰の山並みが目の前に広がるのがうれしい。

 午後、明日以降の治療計画書を渡され、明日の手術前日から明後日の手術までの予定の説明を受けた。いよいよ明日から絶食になり、点滴に繋がれ、下剤を飲むことになる。明日から最低5日は絶食になり、その後も治療食が続くので、今日は、お菓子を食べたり、夕食は妻の作ってきてくれたおかずにも箸を伸ばした。
       

 さて、私に「癌春」の造語を提供してくれた元祖癌春マン・大沼在住のAさんが、同じ病院に入院していることが判明。鼠頸ヘルニアで手術入院することは、今回の癌が判る数日前に知っていたが、入院先を知らないままだった。向こうでこちらの情報をキャッチしたらしく、早朝に病室を訪ねて来てくれたが、早すぎて看護師に止められたらしい。そこで、こちらから朝食前に病室を訪ねた。

 もう手術も終えて、私の手術日が退院日となっているAさんは、97年に大腸癌で手術したが、翌年肝臓へ転移して、もう一度大手術を受けたのにも関わらず、もう13年間も癌春人生を謳歌している大先輩である。もう80歳近いのに、豊かなバイタリティを大いに発揮され、パワフルな文化活動を展開している女性にモテモテのスーパー爺である。元気の源は多くのガフレ(彼の表現でガールフレンドのこと)の存在のようだ。特に人並み外れた酒の強さは半端ではない。真夜中を過ぎても飲み続け、付き合っている若い者の方が先に逃げ出す有様には、肝臓癌の大手術を受けた人の面影はまったくない・・・もう、伏して脱帽ものである。

 氏と笑いながら話した結論は、2回癌を経験しないと癌春マンにはなれないこと。癌春人生は、2度の癌を克服する人生のことだと・・・。「こうなったら、図太く長く生きることにしましょう!」と、大先輩から、また大きな元気とパワーといただいた・・・感謝!

 午後には、Aさんの連載記事を数年にわたって掲載していた『メディカルはこだて』の編集長Tuさんがお見舞いに来てくださった。3人でおしゃべりできると思って来たらしいが、Aさんの外出とすれ違いだった・・・。