つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

描くということ。

2021年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、店を閉める少し前、mahoから私たちに写真が届きました。(mahoは我が家のお嫁さんです)


「こんにちは!友達と長久手の杁ヶ池公園に来ました!サイチの砂場での芸術作品です」


「初めは砂を食べるのに必死、こちらは止めるのに必死でしたが、そのうちにすごい集中力で、模様を作りはじめました。」



この赤ちゃんが孫のサイチです。

杁ヶ池公園は愛知県内、名都美術館さんの近くにある大きな公園です。
誕生から10ヶ月。なんでもお口に入れて、大きさ、硬さを確認、探究心と好奇心の旺盛な頃の赤ちゃんには感動させられることばかりです。

初めてのお砂場で、砂に触れた時の感触はどんなものだったのでしょう?砂をお口に頬張る赤ちゃんの姿が目に浮かぶようです。口に運んだところで、砂場から赤ちゃんを避難させるママも多いでしょうけれど、mahoは根気良く、「砂は食べ物でない」ことを教えてくれました。

そしてそれを知ったサイチは、このように砂にお絵かきを始めたというわけです。

お顔をお見せできず残念ですが、この目がもう「芸術家」そのものでびっくりしました‼️
その時の様子を聞いてみると「集中していたところに「サイチ!」と私が呼んで撮影しました。それどころじゃないんだ!僕はこれ作ってるんだ!という感じでした。」というお返事でした。

「絵を描くはじめの初め」

人間は、本能的に何かを描こうとする動物なのだと今更実感されます。

この画像を見た、祖父である佐橋は『つくづく絵とは、手を動かした後の痕跡なんだなぁ〜』と大変感激して、↓↓こんなページを引っ張り出してきました。



「未来のジャスパー・ジョーンズと今のうちに契約を!」じじ馬鹿を超えて、画商馬鹿です💦

砂はシャベルを持って遊ぶもの。鉛筆は紙に文字や絵を描く物。

その認識を得る前に、まず砂は食べ物でないと知り、そこに絵を描くことができた赤ちゃんの経験は何よりも尊いものであったと思えます。

そして、できるのなら、赤ちゃんを見習って、この「はじめの初め」の自由な意識、眼を持って私たちも美術品に触れたいと切に願います。




コメント
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