つれづれ

名古屋市内の画廊・佐橋美術店のブログ

小杉放菴 軸 天狗

2019年02月05日 | 小杉放菴

小杉放菴の「天狗」が表装屋さんから戻って参りました。

 

 

シミが出ていた天地(上下)を交換して頂いて、締め直しをお願いしました。

 

全体がピンとよい姿になりました。

 

 

画面左上の、紙の折れあとは薄くはなりましたが、少し痕が残りました。

 

 

 

 

天狗さんは変わらず元気です。

 

 

 

 

 

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小杉放菴 軸 天狗

2018年12月11日 | 小杉放菴

さて、小杉放菴の作品をもう一点ご紹介いたします。

 

 

 

 

天狗さんが3匹です(調べましたところ、天狗は~人でなく~匹と数えるそうです)

天狗には色々な説があるようですが、ここに描かれた天狗は平家物語に書かれている「人にて人ならず、鳥にて鳥ならず

犬にて犬ならず、足手は人、頭は犬、左右に羽根がはえ、飛び歩くなり」にぴったりの容姿です。

ちょっとお顔が犬には見えず、どちらかというと鳥?のようにも思えますが。。

また天狗は慢心の権化と言われるように普通鼻が高いというイメージがありますが、こちらは何とも剽軽なおじさんのお顔で

日本独特の山岳信仰に基づく山伏の装束も、余り似合っていませんね。

 

小杉放菴の作品の魅力は、放菴が国学者の父をもち、漢詩に通じ、東洋の多くの思想、神話、古典、また絵画を池大雅、浦上玉堂などに深く学びながら、結局一人の人間の「いのちの問題」に立ち返ろうとした、そのひた向きさ、純粋性にあるように感じています。

生きることは、結局貴く、明るく、清く、美しいことである。生まれてきたばかりの赤ちゃんに誰もが感じる、あの感謝と祈りの気持ちを放菴は描き続けたと言えばよいのかもしれません。

 

だからこそ、仙厓の作品を多く収集した出光佐三は自ら請いて放菴と出会ったのだろうとも思えます。

「愛らしく、明るかるべき日本の風景」は小杉放菴が好んだ言葉です。

 

 

 

こちらは「腰掛落款」といわれる印譜(放という文字と庵という文字が印影に腰を掛けているように見えるからだそうです)、昭和22年以降の作品であることがわかります。

 

小杉放菴 軸 「天狗」 紙本・彩色 31.7×38.7㎝ 共箱 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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小杉放菴 軸 奥昇仙峡

2017年10月28日 | 小杉放菴

 

小杉放菴 紙本・墨 軸 「奥昇仙峡」 共箱  32×27㎝ 198,000

 

また雨の静かな土曜日となりました。

おかげさまで展覧会の準備も進み、明後日からの開催を待つばかりとなりました。

 

 

最近では、応接間のドアの後ろ、お床のわきの小さなスペースに放菴の作品を飾ることが多くなりました。

こちらからご紹介しなければ、なかなかお気づきにくい場所ですが、

どういうわけか、放菴のお好きなお客様はこの場所の作品を

初めてのご来店のかたでも必ず見つけ出してくださいます。

作品がお客様をお呼びしているようで、いつも不思議に思っています。

 

 

昇仙峡は山梨県甲府市北の名勝です。

私は、残念ながら伺ったことがありませんが、

放菴はこの地をきっと訪れたのでしょう、奥昇仙峡 板敷渓谷 と画面の下に記載しています。

板敷渓谷

 

 

右下に帽子をかぶり、ちょこんと座っているのはきっと放菴自身でしょう。

生きることを楽しむなんて

なかなかそんな心境にはなれないことかもしれませんが

大きな自然にいだかれる時、全てを俯瞰するとき、そしてこんな絵に触れるとき、

とても安らかな気持ちを得ることができるように思います。

一服の、コーヒーやお茶をお淹れになるおつもりで、

小さなお軸を小さな壁面に開いたり、巻いたりしていただけたらと

思います。

 

 

 

 

 

なかなか遠く伺えませんが、日光美術館はとても素敵な、また放菴の作品を濃密に楽しめる美術館さんです。

日光にお出かけの際は是非お立ち寄りになってみてください。

 

 

 二社一寺(東照宮・輪王寺・二荒山神社)を中心とした由緒ある文化財の集積地である日光市山内……。
 世界遺産に隣接する、この山内の地において、足下で大谷川と稲荷川が合流し、神橋の赤い欄干を望むことができる高台に、小杉放菴記念日光美術館はあります。


 小杉放菴記念日光美術館では、「自然へのいつくしみ」を基本テーマに、日光市の名誉市民である画家・小杉放菴の画業を御紹介するとともに、この画家を育んだ近代の日光における、さまざまな文化的事象について考察することも目標としています。
 なお、小杉放菴記念日光美術館は、「日光市立美術館」として、旧・日光市により建設されました。開館の当初から、「財団法人 小杉放菴記念日光美術館」が管理運営を受託しており、指定管理者制度の導入後も、引き続いて管理運営を代行しています。

 

小杉放菴について

 小杉放菴は本名を国太郎といい、1881(明治14)年に日光で生まれました。日光在住の洋画家・五百城文哉に学んだのち、上京して小山正太郎の不同舎に入塾。未醒と号して、主に太平洋画会展で活躍し、文展でも2度にわたって最高賞を受賞します。
 その間、漫画家や挿絵画家としても頭角をあらわし、美術雑誌『方寸』などの編集に参加。のちには、横山大観と親しくなったことから、再興日本美術院にも、当初から同人として加わり、洋画部を主宰しました。院展の洋画部は第7回展で解散したため、未醒らは新たに春陽会を結成しますが、それからも、親しい友人であった山本鼎の農民芸術運動に協力するなど、その芸術活動にはたいへん幅広いものがあります。また、かなり早い時期からテニスや野球を楽しんでいたスポーツマンとしても知られており、国木田独歩や芥川龍之介といった作家や、その周辺の学者、思想家、財界人たちとの親密な交友関係もありました。

 大正末から昭和初頭にかけての時期に、雅号を放庵(のちに放菴)と改めて、次第に水墨と淡彩による表現への関心を深め、日本画の世界においても、独自の枯淡な境地を創造しますが、晩年は新潟県赤倉の山荘に住んで、仙人になったと評される生活を送り、1964(昭和39)年に没しました。
 代表作には、東京大学・安田講堂の壁画や《水郷》《山幸彦》《奥の細道画冊》などがあり、それらの作品に現われた自然への優しく確かな眼差しは、幼い頃に過した日光の風土に対する回想が基調になっているとされています。日光市名誉市民。

 

 

 

 

 

 

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小杉放庵作品

2013年06月11日 | 小杉放菴

小杉放庵 軸 共箱 「風月」です

この作品とも随分長いお付き合いになりました。

軸装を新しくして 飾る場所を選ばないようにしてみました。如何でしょうか?

 

 

Photo_2





























小杉放菴は本名を国太郎といい、1881(明治14)年に日光で生まれました。


日光在住の洋画家・五百城文哉に学んだのち、

上京して小山正太郎の不同舎に入塾。未醒と号して、主に太平洋画会展で活躍し、文展でも2度にわたって最高賞を受賞します。


 その間、漫画家や挿絵画家としても頭角をあらわし、美術雑誌『方寸』などの編集に参加。

のちには、横山大観と親しくなったことから、再興日本美術院にも、当初から同人として加わり、洋画部を主宰しました。


院展の洋画部は第7回展で解散したため、未醒らは新たに春陽会を結成しますが、それからも、親しい友人であった山本鼎の農民芸術運動に協力するなど、その芸術活動にはたいへん幅広いものがあります。

また、かなり早い時期からテニスや野球を楽しんでいたスポーツマンとしても知られており、国木田独歩や芥川龍之介といった作家や、その周辺の学者、思想家、財界人たちとの親密な交友関係もありました。


 大正末から昭和初頭にかけての時期に、雅号を放庵(のちに放菴)と改めて、次第に水墨と淡彩による表現への関心を深め、日本画の世界においても、独自の枯淡な境地を創造しますが、晩年は新潟県赤倉の山荘に住んで、仙人になったと評される生活を送り、1964(昭和39)年に没しました。


 代表作には、東京大学・安田講堂の壁画や「水郷」「山幸彦」「奥の細道画冊」などがあり、それらの作品に現われた自然への優しく確かな眼差しは、幼い頃に過した日光の風土に対する回想が基調になっているとされています。

                          (日光市小杉放庵記念館より抜粋)

 

作品数は多くありませんが、私達は開店以来、書を中心に小杉放庵の作品を求めて参りました。

まことにさりげなく・・

日々の生活に寄り添ってくれ

まことに自然に・・

わたしの心を自由の世界に誘ってくれる。。

放庵の作品にはそんな印象をもっています。

 

初夏とも梅雨ともいえないこの日々に放庵の爽やかな作品をお楽しみ頂こうと思います。

 

 

 

 



2



















「長風萬里」 共箱 



1

 

 

 


















「四季の歌」 額  

老いぬればいのちのうちにいく度の春ぞと思ふ春ゆかんとす

夏山に一つ家ゑがきその内にだれをおかましわれをおかまし

ひとりゆくひとすぢみちの草心に志んかんとしてひるの月あり

可れ谷のわが腰かくる石の下をあはれかそけき水の音かな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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