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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



川越商工会議所旧館。埼玉県川越市松江町2-1
1989(平成1)年9月18日

現在、アクサ生命の川越営業所が使っている「川越商工会議所旧館」という名称のビルで、写真では「埼玉県信用保証協会」と「社団法人川越法人会」が入っている。川越街道が立門前通りと合わさる角に芋菓子の「芋十」があり、その北隣にある。
「埼玉農工銀行川越支店」として1927(昭和2)年に建てられた。「農工銀行は勧銀への取り次ぎまたは勧銀と同等の業務を行い、事実上の勧銀の子会社的な存在であった。……現在のみずほ銀行が後身である。(ウィキペディア)」。川越支店は1898(明治31)年の設立で、1930(昭和5)年8月に日本勧業銀行に合併された。写真のビルが埼玉農工銀行だったのはほんの数年間だったらしい。
銀行らしい重厚な感じを受けるのは、なんの飾りもない壁と、前面に少し出ているタイル張りのバルコニーの平坦さにもかかわらず、玄関や窓が彫りが深いからだろうか。左右対称の正面も一役買っている。唯一の飾りは、2階の窓の間の壁にある幾何学模様の柱型。これらの外観の特徴が竣工時からのものなのかは不明だが……。

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松岡屋葬具店、足立勝(原田家)。埼玉県川越市松江町2-6。1989(平成1)年9月18日

川越街道と仲町通りが合わさる三差路で、写真右端のレンガ塀が川越キリスト教会。その左の「松岡屋葬具店」は今は取り壊されて川越キリスト教会の駐車場になっている。
写真左手の出桁造りの町家と蔵が「足立勝(あだかつ)(原田家)」で、最近、川越市の景観重要建築物に指定されたため、建物についての情報が市の出版物で見られるようになった。『広報川越(平成29年4月25日)』と『景観重要建造物(川越市都市計画部都市景観課、2019年)』に載っている。
足立勝の家業についての記述がないので、推測すると、「広い三和土の正面には、米俵の荷崩れによる壁面損傷を防ぐために設けられた磨き半丸太が当時のまま残っています。」とあるから、米問屋だったかと思われる。仲町通りの「原田家住宅」が「足立要(あだよう)」の屋号の米問屋だったから、同族の店だったと考えられる。
建物は、主屋・住居棟(主屋は通り沿い、住居はその裏に接している)が明治26年の川越大火以降の建築。奥蔵(敷地の裏手にある蔵。松岡屋葬具店が取り壊されたので通りから見える)が棟札から明治19年、文庫蔵(通り沿いの蔵、今は黒く塗られている)が墨書および伝承から明治19年以降の酉年の建築。

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北川商店土蔵。千葉県香取市佐原イ1713。2003(平成15)年7月20日

香取街道の伊能記念館西入口交差点から南に入ってすぐのところ。「清宮秀堅旧宅」の向かい側にある。「NPO法人小野川と佐原の町並みを考える会」が設置した説明書きによると、「北川商店」という餡製造会社が小豆などを入れる穀物倉庫としている。明治年間の建築で、当初は米蔵だった。合資会社北川商店は昭和13年(1938)の創業。
平成9年(1997)度に全体的に復元修理している。「下屋前面を壁で塞ぎ穀物倉庫としていたものを、本来の位置に漆喰塗りの壁を復し、下屋を開放して腰壁をつけ、出入り口は木製引き戸とした」という。
説明書きには、蔵の前の道を「下新町通り」といっている。写真の辺りは旧町名で「下宿」(東側)と「仲宿」だが、南へ行って「町並み観光駐車場」の先が「下新町」。

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ほていや蔵店。千葉県香取市佐原イ1714。ストリートビュー(2012年10月)より

「ほていや 蔵」は香取街道の伊能記念館西入口交差点の角にある。JR香取駅の東、線路が小野川を渡るあたりに「献上銘菓 佐原ばやし本舗 ほていや 本店」があり、蔵店は支店ということになる。現在は佐原に宿泊所を展開している「NIPPONIA」の「YATA棟」になっているが、この記事では建物名として「ほていや蔵店」を使うことにする。上の写真は自分で撮ったものがないので、ストリートビューからお借りした。
「NPO法人小野川と佐原の町並みを考える会」が設置した説明書によると、「清宮綿店」だった建物。横丁の向かい側の「清宮秀堅旧宅」と縁戚がありそうである。明治32年(1899)築。「2階建て店舗の奥に平屋の住宅部分、最奥に厠を付けた伝統的な配置を残す」。
2008(平成20)年に復元修理したが、それ以前は大きな看板で前面が隠れていたようである。たぶん、その修復の後にほていやの店舗になったと思われる。
YATA棟に替わったのは2018年頃かと思う。



ほていや蔵店の蔵。2003(平成15)年7月20日

街道沿いの店舗の裏にある蔵。コンクリート造で昭和戦前に建てられたという。
ほていやになってからは「セルフ喫茶蔵」という休憩所になっていた。

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円城寺本店。千葉県香取市佐原イ1715。2003(平成15)年7月20日

香取街道と、JR佐原駅へ向かう横宿通り(県道55号・佐原山田線)との丁字路の正面にあるのが、写真左の「井阪屋金物店」。その横に路地が入っているが、隣にあるのが「円城寺本店」。看板建築になるのだろうか? 看板になっている2階の壁(バルコニーの手すり?)は中央に唐破風を乗せている。渦巻きを使っているから雲のつもりなのかもしれない。こういうところに由緒正しい模様を置いてもしようがないから、これはこれで面白い。
今は店は廃業してしまったようだが写真では店が開いている。なにを売っているのか、写真では分からない。「佐原の歴史散歩」(島田七夫著、たけしま出版、1998年)では「円城寺商店(荒物・畳表)」と出ている。また、『日曜写真>佐原の街角-2』の2008年の写真では生花店だ。『佐原市佐原地区町並み形成基本計画』に載っているイラスト地図には「千葉氏の四天王の家臣の末えいだぞ!!」という書き込みがある。

写真左の電柱の下に御影石の「佐原町道路元標」がある。道路元標は1919年(大正8)に道路法によって各市町村に置くことが定められて、それによるものと思うが、場所に規定があるわけではないらしい。ここの道路元標はそれにふさわしい場所に置かれたとしていいと思う。
佐原の町並みかわら版 平成20年8月第42号』に、小野川の「だし」に下ろされた荷を運ぶ牛馬のための水飲み場が井阪屋金物店の丁字路の辺りにあり、そのための井戸が丁字路の中心にあった、という記事が載っている。

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中村屋商店。千葉県香取市佐原イ1720。2003(平成15)年7月20日

香取街道の小野川に架かる忠敬橋の袂、佐原の観光地の中心にある和風小物の店。ただの土産物店にはない品ぞろえが特徴らしい。現在は「佐原商家町ホテルNIPPONIA」のフロントと2階がレストランになっている。NIPPONIAは古民家などを改修した分散型の宿泊施設で、中村屋がそのフロントになったのは2018年3月30日。店は後ろの蔵に移った。
犬吠埼観光ホテル>中村屋商店』によると、中村屋乾物店から分家して、明治7年(1874)から荒物・畳表を営むようになったという。店舗兼住宅は、安政2年(1855)の建築。乾物商として建てられたのだろうか?『5.(合名)中村屋商店』には、「明治7年に荒物、畳材料の卸商として創業し、ほどなく畳材料の専門卸となる」とあり、「平成13年に畳の材料卸業を廃業し、「和風小物・雑貨店」に絞り込んだ」という。写真ではまだ「畳表」の看板があげられている。
千葉県>中村屋商店』には、建物は「1階は内側に揚戸を建て込み、外側の土庇を格子戸と壁で囲う構え」「2階正面には繊細な格子窓を組み、軒下をはりだした「せがい」とするなど、格式のある形式」とある。



中村屋商店。香取市佐原イ1720。2003(平成15)年7月20日

3階建ての土蔵は、明治25年(1892)の大火後に建築された中村屋商店の袖蔵。現在は和風小物の店になっている。『5.(合名)中村屋商店』によると、平成5年に女将さんが現業の傍ら店先に自身の手作りの雑貨類を並べて販売したのが始まりという。



中村屋酒店。香取市佐原イ1720。2003(平成15)年7月20日

蔵の南には「中村屋酒店」、そのさらに南に写真左の、なにかの売店のような小屋が写っている。現在はそこに日本料理の「佐原千与福」の古そうな土蔵造りとみえる家が建っている。新しく建てたのだろうか? 移築したものなのだろうか?
写真右奥に建て替える前の「千葉商船」のビルが写っている。

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蜷川家具店(現・素顔屋)。千葉県香取市佐原イ33396。2003(平成15)年7月20日

蜷川(にながわ)家具店は香取街道の忠敬通りの「佐原町並み交流館(佐原三菱館)」の向かい側にある。通り沿いには3棟の家が並んでいるのだが、右の洋風看板建築の家について言及されるのが普通である。大正初期に家具の製造販売の店として開業した。商売の発展に従って増築していったのだろうか。今は日本家屋のほうで「素顔屋(すっぴんや)」という和洋装品や小間物を並べた店を開業している。看板建築の家で家具店も続けているらしい。
素顔屋(すっぴんや)』には「明治後期と大正期にそれぞれ建てられた切妻平入りと、大正10年(1921)築の切妻妻入り洋風造りの3棟で営業いたしております」とあるから、出桁造りの2棟は明治後期と大正期に建てられたもので、その奥が家具の製作所になっていたのだろう。
写真では3棟とも家具が置かれている。




蜷川家具店。香取市佐原イ33396
2003(平成15)年7月20日

千葉県近代建造物実態調査報告書>40 蜷川家具店』によると、昭和5・6年の竣工、設計・施工者は不明、構造は木造2階建、切妻造瓦葺、外壁はモルタル塗りなどとある。ファサード上部の構成が小倉時計店〔昭和2年築、設計施工=大堀(大工)〕に酷似していて、影響を受けたのだろうという。『日本近代建築総覧』では施工者を「地元大工」としている。また、素顔屋のHPでは大正10年(1921)に建てられたとしているので、建物自体は大正10年で、昭和5・6年に正面を洋風に改装したのかもしれない。
佐原の町並みかわら版、第58号平成28年8月』のコラムに、最上部のアーチ型の中に書かれた屋号の「○サ」はサワラの「サ」、「一」はタンスなどの製作所が数ヶ所あったのでデパート部を一号と表示したのではないか、という当主の話が載っている。

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小林商店。埼玉県川越市松江町2-1。1989(平成1)年9月18日

川越キリスト教会のある川越街道だが、教会を中心にその北から南にかけて古い商家がまだ結構見られる。写真は教会から75mほど南へ行った辺り。写真中央の小林商店の右に横丁が入っていて、その右が「小川藤(おがとう)」という鰻屋。写真左の蔵が「重兵衛蔵」、その左には「中島家」と「川越商工会議所別館」「芋十」と並んでいるから、歩いてみる価値はある。通りには「松江2商店会」の街灯が並んでいる。この街灯は2011・12年頃に撤去された。
小林商店は「小林建築設計事務所/設計・監理/住宅設備機器・販売・施工」の看板もある。洋風の看板建築だが戦後の建物かもしれない。2017年に住宅に建て替えられた。
小林商店の左の洋風看板建築も、横を見ると割と簡単な造りで、そう古い家でもなさそうに思える。写真左端の蔵は、その前面の下屋に「横重本店倉庫」の文字が読める。



左:小川藤、松江町2-3。右:中島家、横重本店・重兵衛蔵、松江町2-1
ストリートビュー(2017年3月)より

川越市>景観重要建造物/都市景観重要建築物』によると、「小川藤(おがとう)」は昭和6年に鰻屋として建てられた。2階も最初から食事処として造られたということだろ。そのため「外観は一般の町家と大きく異なっています。道路に面した正面は、1、2階の壁がそろっており、2階はガラス戸で手すりがついています。小割に入ったガラス戸の桟も特徴です」とある。
「横重本店「重兵衛蔵」」は明治33年の建築で、隣の中島家主屋の袖蔵。「棟木に残る墨書きには、当時の名工である関根松五郎の名が記されています」とある。
「中島家」は明治末~大正初期の建築。「当家は少なくとも元禄時代から続く名家で、米問屋をしていました。全体的に太い材木を使った堂々とした伝統的な町家建築です」とある。

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川越キリスト教会。埼玉県川越市松江町2-4
上:1984(昭和59)年5月4日
左:1989(平成1)年9月18日

東西の仲町通りが、東端で南北の川越街道(県道51号)に突き当たる三叉路にあるのが「川越キリスト教会」。「日本聖公会北関東教区」に属するプロテスタントの教会である。
『ウィキペディア』では、1921年(大正10年)に建てられた。設計はウィリアム・ウィルソン。「東西に細長く切妻造の平屋建で外壁煉瓦造。内部は挟梁の洋小屋組で、尖塔アーチのついた縦長の窓や控壁などにフランドル式のゴシック様式が見られる。」とある。『国指定文化財等DB>日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂』から補足すると、「スレート葺、塔屋付、チューダー様式」、W.ウィルソンは「立教大学新築のため来日したアメリカ人建築家」。
写真右手に下見板の小屋が写っている。今は撤去されて、礼拝堂の控壁のある横側がよく見えるのだが、撮影時には小屋のために隠されていたと思われる。1枚目写真左奥の商家は「松岡屋葬具店」の看板を出している。電柱には「川越電報電話局」の看板が。

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原田家住宅。埼玉県川越市松江町2-8。1984(昭和59)年5月4日

仲町通りを東へ行って松江町2丁目に入ると、蔵造りや出桁造りの古い商家はほとんどが建て替わっていて、駐車場になっている場所も多く、どうということもない町並みになってしまう。そんな中に原田家住宅の店蔵が目立っていて、観光客もここまでは見に行くだろう。
写真ではまだ出桁造りの商家が立ち並んでいるが、そんな中でも原田家住宅の店蔵がやはり異彩を放っている。写真右は「伊勢元(いせもと)酒店」、写真左の電柱に看板があるのが「青果問屋 加藤商店」だから八百屋だろう。原田家は「川越指定文化財 原田家」の表札を出している。



原田家住宅。1984(昭和59)年5月4日

カワゴエール>原田家住宅』によると、原田家がある通りには、江戸期から戦前まで米問屋が軒を連ね、その中でも取引高トップだったのが原田家の「足立要」(屋号)だった。いつ頃まで商売をやっていたのだろう? 店蔵は明治27年の建築で間口4.5間、奥行き3間。外観は「巨大な鬼瓦とカゲ盛。背の高い箱棟。重厚な6段の観音扉、土蔵壁で覆われた戸袋」が特徴。
店蔵の裏に母屋と文庫蔵、中庭を隔てて穀蔵が2棟あり、現在なら店蔵の両側が駐車場で、わりと見通しがいいからそれらの蔵を見ることができる。



原田家住宅。1989(平成1)年9月18日

この写真では伊勢元酒店の建物が取壊し中だ。街灯には「松江2商店会/原田定吉」の看板がついている。

追記(2022.10.15)
最近、『川越の建物 蔵造り編』(仙波書房、2022年9月、税込2,200円)が出版された。蔵造りの建物18点を取り上げて、きれいなイラストと共に解説されている。以下に「原田家 住宅」の米穀問屋ついて述べられた箇所を紹介する。
1924(大正13)年に川越商業会議所が発行した「川越案内」に「米国問屋 原田要吉」の広告が載っている。武州川越市志義町の本店の他に、南佐久間町の「原田肥料部」と、東京市小石川区水通町の「東京出張所」があったことが分る。肥料部は三久保町のゲストハウス「ちゃぶだい」になって建物が残っている。
1939(昭和14)年に「米穀配給統制法」が公布され、「足立要」は1943(昭和18)年に廃業した。建物は2021(令和3)年に川越市文化財保護課が管理するようになる。

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