都市徘徊blog
徒然まちあるき日記
 



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新旧写真比較(1992/2016) 静岡駅南口

 静岡駅南口駅前、新幹線のホームから。1992年と2016年の比較。24年の間にここもかなり変わっていた。

静岡駅南口駅前
Photo 1992.9.12(マウスオフ)  Photo 2016.2.12(マウスオン
(画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。)

 1992年9月の写真では、大きな建物はまだ少なく、富士通と松下電器のネオンサインが目立つ。そういえば、ナショナルっていうのももうないな。。

 写真には写っていないが、駅前ロータリーもまだ整備されていなかったのではないかと思う。 小田急センチュリーホテルとかもまだなかったはず。好光人形の建物とか、今はあるのだろうか?

 2016年2月と比較すると、1992年の写真にある、富士通の広告塔がある建物はまだ存在しているのだが、もっと大きなビルが増えたので目立たなくなってしまった。

 二枚の写真はほぼ同一の場所から撮っていて、奥の左側の建物と、富士通の広告が付いた建物、横断歩道などを基準に位置合わせをしている。だからほぼ同じ画角なのだが、全然、違うようにさえ思えてくる。

#新旧比較写真・静岡県  #街並み 静岡県  #広場  #鉄道 


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 「東京スリバチ学会」を主宰する皆川典久さんが書かれた本に、東京スリバチ学会の一員として、階段について数ページだけ書かせて頂きました。

51HGP7mDJ-L._SX310_BO1,204,203,200_.jpg 312×499 ピクセル
Amazon.co.jp: 東京スリバチ地形入門 (イースト新書Q): 皆川 典久, 東京スリバチ学会: 本

 スリバチ地形とは、窪地や谷戸などの谷地地形を指す造語。東京には武蔵野台地が川で浸食されて多くのスリバチ地形があり、それをさまざまな角度から愛でてみようという趣旨で書かれた本なのでありマス。

 私の担当箇所は例によって「階段話」で、階段を通してスリバチを体験しませう、というお話ですが、他の執筆者は川跡・暗渠から辿る人あり、地図や地形模型を通して見る人ありとさまざまで、なかなかに刺激的です。

 お時間のある時にどうぞ。

#地形  #階段・坂 


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聖徳記念絵画館前からのダイヤモンド富士。

1,000人以上が見守る中、太陽は数分間の内に沈んでいった。

以下の写真は、富士山に太陽が掛かる直前から沈むまで。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士
Photo 2016.2.4 16:57 F5.6 1/1,230sec ISO100
デジタルズーム、450mm相当で撮影。

 富士山方向はやや曇っていたが、日没直前になって太陽が富士の背後に近くなり、薄雲越しに富士がシルエットになって浮かび上がる。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士
16:58 F5.6 1/290sec ISO109
300mm相当で撮影。

 左の稜線ははっきりしているが、右側は雲の中。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士
16:59 F5.6 1/290sec ISO367
300mm相当で撮影。

 寒い中、たくさんの人が100km程先の富士山を眺めている。

聖徳記念絵画館前からダイヤモンド富士
17:01 F5.6 1/290sec ISO283

 太陽は富士山頂に完全に沈み、現場では拍手も。。
 TVも各社来ており、大型三脚に脚立で、万全の準備で撮影していた。

富士見坂眺望研究会 トップページ
#ヴィスタ  #眺望  #山


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聖徳記念絵画館前の広場から富士を望む
所在地:新宿区霞ヶ丘町1と2の間
Photo 2016.1.10

 晴天の日曜日、日没の時間帯に神宮外苑の聖徳記念絵画館前へ。旧国立競技場が解体されて、絵画館前の広場から富士山が見えるようになったという情報を得て、シルエットになった富士を確認しにいく。

 現場に行ってみてビックリ。絵画館前を横切る道の真っ正面に富士が見えている。意外な場所からの富士のお姿に、通り掛かる人は皆、写真を撮っていた。神宮外苑の計画時に「山あて」をして軸線を取ったのではないかと思えてしまう配置。

 明治神宮の内苑・外苑の計画に関して、そのような話があったとは聞いていないが、これはあまりにも真っ正面過ぎる。
 東京から道路の先に富士を眺める場合、方向が1°でも違うと正面には見えない。
 明治天皇の事績を展示する絵画館前で、西方の目立つ方向の真っ正面に富士が見えるということは、なんらかの計画的意図があったと考える方がむしろ自然ではないだろうか。

 初代の競技場は大正時代に建てられたらしい。戦後に新しく競技場が造られ、その後、1964年の東京オリンピックの際にこれは増築されている。どこかの段階(たぶん東京オリンピックの時だと思う)で、富士は隠されてしまったのだろう。
 富士が見えることや、そこに神聖なものを感じ取るよりも、競技場の拡張が優先された時代があったということなのかもしれない。

 駐車場のおじさんは「新国立競技場ができるとまた見えなくなっちゃうよ。今だけの景色だろうね。」と言っていた。

 この眺望に関することは今度の競技場計画でも考慮はされていないだろう。だが、新国立競技場を建てつつ、突如として復活したこの景観を残す手だてはないものだろうか。

 ちなみに、富士見坂眺望研究会のWeb Siteには、早速、絵画館前からのダイヤモンド富士のシミュレーションが掲載されている。

富士見坂眺望研究会 トップページ
#ヴィスタ  #眺望  #山


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