都市徘徊blog
徒然まちあるき日記
 



村山邸
所在地:文京区根津1-21
建設年:?
構造・階数:木造2F
Photo 2007.11.4

 根津神社の表門前、根津の新坂とかS坂と呼ばれている急坂の途中に建っていた住宅。全体としては単なる瓦葺きの木造2F家屋だが、玄関部分だけ洋風で、印象に残る姿になっていた。

Photo 2007.11.4

 坂の途中に直接面した玄関。パステルカラーの明るい緑に塗られたドア扉が印象的。屋根は普通の日本の桟瓦だが、玄関部分の庇は少し洋風の緑色の瓦を用いている。

Photo 2011.2.9

 坂下からの様子。坂上からと異なり、石垣の上に聳えるように建つ姿だった。また、東側の壁面はトタン板で壁面が押さえられていた。もともと隣の建物と繋がっていたのを切り離してトタン張りの壁面を立て掛けたのか、もともとの壁面を修繕してこうなっていたのか、今となっては分からない。

Google S.V.で確認したところ、2013年7月には存在していたが、2014年4月時点では無くなっていた。従って、2013年夏~14年春の間に解体されたようだ。

#住宅系  #失われた建物 文京区 
Tokyo Lost Architecture

村山邸/根津1丁目 - ぼくの近代建築コレクション


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看板建築長屋
所在地:文京区根津1-22
建設年:?
構造・階数:木造2F
Photo 2003.12.7

 不忍通りに面して建っていた木造モルタル2階建ての看板建築長屋。内部の構造はわからないが、1Fは3軒の店舗だった。

 Google S.V.で確認したところ、2009年11月時点ではまだ存在していたが、2013年6月時点では既に無く、マンション建設が行われていた。2010〜12年頃に解体されたのではないかと思う。

#商業系  #看板建築  #失われた建物 文京区 

Tokyo Lost Architecture


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 初めて買ったデジタルカメラ。今、考えてみると、いろいろな面で旧式だったのだなと思う。
 大学で助手をやっていた時だったので、都市景観調査用に研究費を使って購入した。でなければ、当時9万円程度したコンパクトカメラなどは買う気になれなかった。だが、研究調査報告書の作成には、デジカメはパソコンとの親和性が高く非常に便利で、この頃から急速に利用が拡大していたものだった

Canon Powershot S10(1999発売 2000.2購入)
キヤノンカメラミュージアムPowershot S10

 景観調査的には例えば、写真の中に緑が占める率を調べる緑視率調査をする時に、街路樹や公園の緑を画面上で選択してピクセル数をカウントすれば、総ピクセル数に占める率を簡単に計算できるわけで、それまでよりも正確にかつ大量に調査することが可能になった。そういうことが高額な研究機械を使わなくても、市販のデジカメでできるようになったというのが素晴らしいなぁとつくづく思ったものだ。

 ただ昔のコンパクトデジカメには、今のものに較べると、かなり劣る点もやはり少なからず存在していた。

・コンパクトカメラにしては重い。バッテリーを除くと270gだが、バッテリーが大きく重い。
・電池の持ちが悪い。専用バッテリーの予備を必ず持ち歩くのでよけい重い。
・画素数が少ない。約200万画素(Largeで1,600×1,200pixels)
・画質、色合いが今ほど良くない。解像感が低い。
・ISO感度100、200、400で撮れるが、きれいに撮れるのはISO100だけで、感度を上げるとノイズが激しくなる。
・液晶画面が小さく(1.8inch)、表示画質も今ほどよくない。

 その後、どんどんこれらの点が改良されていったことは御存知の通り。だが、新機種が出てもすぐに買えるわけではないので、このカメラも2年ほどは使った。たった2年であっという間に古びた感じになってしまったのには驚いたし、少々もったいなく残念な心持ちだったが、発展期の製品というものはそういうものなのかもしれない。

 フィルムカメラとデジタルカメラの違いは、フィルムカメラは味わいなどと言って、古いものでも使う楽しみがあるのだが、デジタルカメラは古いものはただ画質や機能が劣るだけで、誰も見向きもしないこと。中古カメラ店をのぞくと、古いフィルムカメラにはそれなりの値段が付いているのだが、古いデジカメにはほとんど値が付いていない。これはパソコン他のデジタル家電系も似たような感じだ。Macの初期モデルなんてのは歴史的価値を持って高値になってるみたいだが、もちろんこれは例外的なケースだろう。

 技術革新のペースが速く、画素数も感度もどんどん良くなり、重量も軽くなった。最初の頃は、3,000万画素相当だと言われるフィルムカメラには遠く及ばず、フィルムに取って代わるのは何年も先だろうと言われていた。しかしあっという間にデジカメ時代。プロもかなりデジタルカメラを使うようになっている。

 デジカメ時代になってから、ばんばんシャッターを切るようになった。うまく撮れなかったら、即、消去して撮り直すことも増えた。ネガフィルムに較べてダイナミックレンジが狭くて、白とび、黒潰れが多いので、露出補正をしながら何回も撮るのが癖になった。また、パソコンに取り込んで眺めることが増えて、プリントすることが減ってしまった。写真の周辺環境が大きく変わりつつあることが実感された時期だった気がする。



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明治印刷株式会社・同和製本
所在地:千代田区飯田橋3-4
建設年:?
構造・階数:木造・2F
備考 :2016.2時点で解体済み。ビルに建て替え。
Photo 2008.3.29

 2015年5月までは存在していたようだが、2016年春に訪ねたところ、既に解体され、隣の同和製本も同時期に解体されて、一体的に新しいビル建設の最中だった。

 鋭角の角地に面した台形の土地に建っていた建物。鋭角になった角部分に入口があるのが印象的だった。上方の3つの四角い部分は昔は明かり取りとかの窓だったのを閉じたもののように見える。

 大した装飾はないのだが、玄関部分だけ2方向にアーチが架けられ、3本の柱の間と、そのわきに入口がある。 今になって改めて見ると、二つの扉がどのように使い分けられていたのか分からない。片方は2階への入口だったのだろうか? 古い建物の場合、扉や窓は新しいものに取り換えられていることも多いが、この建物は昔のままだった

 一方通行の北東側の道に面した2階には窓が連なっていた。作業場に間接光を取り込むようにしていたのだろうか。

#失われた建物 千代田区  #商業系 

Tokyo Lost Architecture

白光堂、明治印刷/飯田橋3丁目 - ぼくの近代建築コレクション


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 静岡駅北口駅ビル・パルシェの屋上から市内中心部(1981/2016)

パルシェ屋上から呉服町・御幸通り
Photo 1981.10.4

 約35年前の1981(昭和56)年時点では、市内中心部でも高いビルはまだ少なく、安倍川右岸の山の方まで見えていた。中央の街区の駅前のビルは現在も基本的に当時のまま。

パルシェ屋上から呉服町・御幸通り
Photo 2016.8.18

 上記写真の35年後、およそ同じポイントからの写真。市内中心部に高いビルが建って、山々は部分的にしか見えなくなってきた。 駅前にはバス停などが入るガラス屋根ができている。
 日興證券ビル跡地にできた葵タワーは画面左外。西武はパルコになり、長崎屋はなくなった。左奥には呉服町タワー、中央奥には静岡市役所新館。旧館のドームは見えなくなった。電電ビルはNTTになり、アンテナ群の形状も変わった。 手前に他のビルが建って県庁東館は上の方しか見えなくなった。右には県庁北館が、右端には市街地再開発で出来たペガサートが。

パルシェ屋上から呉服町通り
Photo 1981.10.4

 静岡駅前地下街の爆発事故(1980.8)の翌年で、呉服町通りの地下街への出入口の改修はまだ終わっていない模様。左端の日興證券ビルは解体されて、葵タワーに建て替えられた。その奥には長崎屋と西武百貨店。塔状の遊戯施設は西武の屋上のものか?。

パルシェ屋上から御幸町
Photo 1981.10.4

 左奥には市役所旧本館のドームが見えている。新館はまだない。電電ビルにはまだNTTではなく電電公社のマークが付いている。

パルシェ屋上から御幸通り
Photo 1981.10.4

 御幸通り右側にはまだ「○に井の字」の看板を掲げた丸井が見えている。

Site Y.M. 建築・都市徘徊静岡の街並み
#新旧比較写真・静岡県  #街並み 静岡県  #商業系 


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