都市徘徊blog
徒然まちあるき日記
 



1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 フォロロマーノを見ながら、階段を上がっていったら広場に出た。建物に囲まれた噴水のある広場だったが、よく分からず、しばらく地図とにらめっこをしたら、そこがカンピドリオ広場であることが分かりビックリする。

カンピドリオ - Wikipedia

 ありゃ、こんなに何の変哲もない広場なのか。ミケランジェロが設計し、遠近感を巧みに利用したルネッサンス期からバロック期に至る名広場と言われるが、初心者にはなぜこれがそんなに重要かつ有名なのか、すぐには了解できないのだった。

 円形ではなく楕円形に模様が付けられた広場。つい円形だと錯覚してしまう心理を利用していると言われているが、写真に撮ってみるとそれほど円形には見えなくてやはり楕円形ベース。でも遠近感とか楕円形、歪んだ形を多用して視覚的に魅力的な姿を作ることに腐心したのが、ルネッサンスからバロック期の西洋建築のありようなのだそうで、その代表的なものとしての重要性がやはりあるのだろう。

 その後、真実の口へ向かう。こっちの方が「ローマの休日」で有名な庶民的な名所だ。ちょっとお上りさんチックで恥ずかしい気もしたが、お約束のように口に手を入れてしまう。

#街並み 海外  #階段・坂 海外  #広場  #教会  #塔 
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ヨーロッパ旅行記 1993.2.28〜3.21
Google Map 1993.03 Europe


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 赤羽西口通り(旧岩槻街道)沿い、通りの西側に建っていた木造平屋。そしてこれも都道補助73号線の事業化による拡幅で解体・消失したもの。

赤羽家畜病院
所在地:北区赤羽西2−17
構造・階数:木造平屋
備考 :2009.10〜2013に解体(Google SVによる確認)
Photo 2002.9.23

 動物病院ではなく、家畜病院だったのが興味深い。昔は家畜を飼っていた農家が近辺に多かったということだろうか。

 営業していたのかどうかは分からないが、2002年の時点では看板を出していた。いつ頃まで営業していたのかは不明。Google SVで確認すると、2009年10月時点の画像には写っていたが、2013年6月では既に3階建てマンションに建て替えられていた。

Tokyo Lost Architecture   #失われた建物 北区 


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 赤羽西口通り(旧岩槻街道)沿い物。都道補助73号線の事業化による拡幅で、沿道の建物は軒並みなくなった。

大衆酒場大久保
所在地:北区赤羽西2−2
構造・階数:木造2F
備考 :2006〜2009.10に解体
Photo 2004.4.25

 こちらは2011年に訪ねた時には既に消失していた物件。右側は前の記事でも記した鋭角角地にあった出桁町屋。

 手持ちの住宅地図で確認したところでは2006年まではあったようだ。しかしGoogle SVの2009年10月時点の画像では既に除却されている。

 角地の出桁町屋よりは若干軒高が低く簡便な建物で、お店の看板で壁面の多くが隠されてはいたが、一応これも出桁町屋だった模様。

ドライクリーニング長部
所在地:北区赤羽西2−2
構造・階数:木造2F
備考 :2011〜2013.6に解体
Photo 2011.1.19

 2011年時点で周辺の建物が続々に解体されていたなか、まだ残存していた物件。

 こちらも2016年夏の訪問時には解体済みで、Google SVで確認してみると、2013年6月時点で既に更地になっていた。従って、写真を撮った2011年1月〜2013年6月までの間に解体されたようだ。

 出桁造り町屋とかではなく、屋根もトタン屋根で、建築的には立派で貴重だというわけではない。ただ、後方には大型の物干し台があり、古くからのクリーニング屋さんだったことを思わせる姿だった。

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1993 Europe日記
1993.3.13 Sat Roma

 16:00 フォロ・ロマーノとその周辺を見て回る。とにかくこの地域は遺跡だらけだ。古代遺跡めぐりも結構楽しい。古代にはこんな建物でそこらじゅうが埋め尽くされていたのだろうかと思うとすごいなぁと思う。

フォロ・ロマーノ - Wikipedia
バシリカ・ユリア - Wikipedia

 ただ、遺跡というのは想像力を要する。昔の街並みがどうなっていて、人々がそこでどのように活動していたかは、ローマ時代の建築スタイルやライフスタイルについての知識がないと想像もできない。柱の礎石だけがずらっと並んでいてバシリカの跡と言われても、その使われ方や建築の姿形は、ヨーロッパ古代の文化についてある程度知らないとわからないだろう。欧州の人々のように西洋建築の基本的知識がないと、遺跡もただの廃墟にすぎない。

 左:セプティミウス・セウェルスの凱旋門(Wikipedia)
 奥:サートゥルヌス神殿(Wikipedia)

 あちこちに神殿や凱旋門が建ち並んでいる。神殿が全て残っているわけではないが、象徴的なモニュメントがあちこちに立っているような感じだ。

 エリア内にはお店や住宅はないので、現代の街のような賑わいはなく、ひたすら石造りの遺跡を見て回るだけ。あまり広大だと次第に飽きてくるのも事実。

コンコルディア神殿(Wikipedia)

 現代のローマ市民は遺跡の中に暮らしてるみたいな感じだなと、K氏が言っていたのが印象的だった。

#街並み 海外  #眺望  #モニュメント  #教会  #門・ゲート 
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 都道補助73号線の事業化による拡幅でなくなった赤羽西口通り(旧岩槻街道)沿いの建物。

出桁造り町屋S邸
所在地:北区赤羽西2−2
構造・階数:木造2F
備考 :2011〜2013.6に解体
Photo 2011.1.19

 鋭角になった角地に建っていた出桁造り町屋S邸。

 1階北側端に緑色のタイル張りの台のような部分があったことから考えると、もとはなんらかのお店だったようだ。1階の扉も中央部以外は昔からの木製のがっちりした引き違い戸だった。奥行きはさほどないが、軒高も高く立派な出桁造りの町屋。

Photo 2011.1.19

 変形した敷地に建つため、妻部分がかなり変則的になっているのが非常に印象的だった。交差点から埼京線沿いに入っていく細い道があるため、建物は後方が斜めになっている。木造家屋はたいがい梁が建物を横断しているが、斜めになった部分では梁はどうなっていたのだろう。

Photo 2011.1.19

 横から見ると、かなりスリムで背の高い建物のように見えてしまう。長方形の一つの角を切り欠いたような五角形をした平面型だった。この建物、南側側面と背面の大半が下見板張りになっており、昔ながらの木造家屋の雰囲気を色濃く出していて、特異な形態で角地で印象的な姿を見せていることもあり、残してほしい建物だった。

 しかし、2016年に訪れたらやはり道路拡幅によって解体され、この場所は更地になっていた。Google SVで確認してみると、クリーニング長部同様、2013年6月時点で既に建物は除却されている。従ってこの建物も2011年1月〜2013年6月までの間に解体されたものと思われる。

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