この建物は銀座の片隅に人知れず建っている。名も知れず、目立たなぬ建物であるが、渡辺節という建築家の作品系譜より見れば重要な位置を占める。 彼は昭和戦前に関西を中心に活躍した。ある意味で村野藤吾の師匠にあたる建築家であった。彼はルネサンスやゴシックと言う西欧の建築様式を基調とした。言わば当時にあっては正統的な作風の建築を得意とした。 この作品は彼の作品傾向よりはずれた、初期の作品ではおそらく唯一のモダンなスタイルの建築である。窓の上下に庇をつけるという初期のインターナショナルスタイルのディテール。塔屋のアール・デコ調の扱いなど、随所に新しい試みがなされている。しかし、ミースやコルビュジエという欧米の建築運動の刺激を受けながらも、それをそのまま自己の作品にとり入れることに今一歩踏み出せなかった建築家の逡巡もここにある。 結果的にミースの亜流で町が埋められてしまった現在、かえってこの初期のインターナショナル・スタイルが新鮮ではないか。