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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




リボン、戸谷プランニング。台東区東上野3-32。2006(平成18)年11月29日

写真の大通りは清洲橋通りで、右(北)へ少し行くと浅草通りとの稲荷町交差点。写真左の看板建築の二軒長屋の左は成就院(じょうじゅいん)の山門。その二軒長屋の右の「リボン」は婦人用品店。出桁造りの家が2棟あり、その右が「戸谷プランニング」という不動産屋。その右の看板建築は何の商売だか分らないが「E.N.J」の看板。写真右端は日よけに「(有)ウチヤマ・フラワー」の字が残っている「内山生花店」だった家。
現在は出桁造りの2棟が、2019年に竣工した10階建のマンションのようなビルに替わった。Googleマップでは「エヴァーグリーンホテル上野」。



コバヤシ、エンゼル工芸社。台東区東上野3-32。2006(平成18)年11月29日

成就院の山門の左(南)にあった看板建築にした三軒長屋。コバヤシは看板に「ハンカチーフ/タオル製品/製造卸」としているが見たところ小売店に見える。
ストリートビューを見ると2012年頃に取り壊されて駐車場(三井のリパーク)になってしまった。

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フレンド。台東区東上野3-33。2006(平成18)年11月29日

写真の通りは清洲橋通りで、右(北)へいくとすぐ浅草通りとの稲荷町交差点。地下鉄銀座線の稲荷町駅があるから「稲荷町」というのが分りやすいだろうか。
横丁との角の家は、「プレミアム稲荷町」(2014年12月築、4階建)という集合住宅に建替えられて、2軒の店もそれに伴って廃業したようだ。左のほうの店は写真では定食屋のようだが店名が分らない。右の「コーヒー・軽食」のフレンドはレトロな喫茶店ということでいまだにネットで見かける。そのなかに1975年頃の開店という記事があった。1969(昭和44)年の住宅地図では「大森、コーヒー章」、1986(昭和61)年では「久乃園、フレンド」。フレンドの前も喫茶店だったらしい。

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森田商会。台東区東上野3-5。2013(平成25)年7月14日

下谷神社の裏側の通りに残る出桁造りの二軒長屋と看板建築の家並み。下谷神社の周辺は空襲の被害を免れた地域で、戦後80年が経っても戦前に建てられた商店・家内工業所・住宅がけっこう残っている。写真の家並みは今も変っていない。
写真左の二軒長屋は「中柳建設株式会社」と、テントや看板などの工事の「森田商会」が入っている。その右(西)は看板建築が5棟並ぶ。戦前の建物には見えないが、改修されているのだろう。中華料理の「福寿」はいつ頃の開業だか分らないが、2019年9月で閉店した。その告知の張り紙には「老巧化のため」「先代の頃より」とあり、あるいは建物が建替えになるのだろうか。

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木台製作所。台東区東上野3-28。2006(平成18)年11月29日

写真左の石垣は下谷神社で、浅草通りの南の裏通りにあった波トタン貼りの看板建築。ストリートビューを見ると2014年6月には取り壊されていてコイン駐車場に替わっている。フロン工業の建物はそれ以前に3階建ビルの住居に建て替わっている。
1966(昭和41)年の住宅地図では「木台製作所」。「木台」は商品のようにも思える。写真右に出桁造りの家が写っている。同地図の「青山工務店」だろうか。

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居酒屋カンジン。台東区東上野3-27。2008(平成20)年9月5日

手前の四つ角の右は下谷神社前郵便局。この郵便局は下谷神社の境内に建てられたビルを借りているのだと思う。戦前築の看板建築が並んで残っている。現在も家並みは変わっていない。
ストリートビューを見ると、「カンジン」は2010~13年に「タンポポ」、2018~2019年に「仙玉家(ソンオクヤ)」という店に替わった。いずれも「韓国家庭料理・居酒屋」「韓国風居酒屋」だ。
写真左の電柱の後は「東上野宮元町会事務所」。宮元町は旧町名かと思ったが、昭和39年以前は「南稲荷町」である。町会のHPに、平成8年に使い出した町会名で、「下谷神社宮元の町会であることから「宮元」と呼ばれることが多く」て改称したとあった。「宮元町」ではなくて「東上野宮元」だった。

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中村時計店。台東区東上野3-25。1989(平成元)年7月23日

浅草通りの東上野三交差点(下谷神社前交差点の西)から1本西の横丁を南へ入ったところ。現在も写っている範囲は不思議とそのままで変わっていない。
現在、中村時計店は営業中なのか怪しい感じだが、袖看板は付いたまま。同じ建物の右側は撮影時で住宅のようだが、1966(昭和41)年の住宅地図では「プロセス印刷」。その右の銅板張り看板建築は現在、「エコハート」の表札を出しているが、ガラス戸には歯科医院だったときの「堀内」の金文字が残っている。

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坂森七宝、ニシヤ商会。台東区東上野3-9。2008(平成20)年9月5日

浅草通りの東上野3交差点(下谷神社前交差点の1本西)から南へ100mのところ。戦前築の二軒長屋と銅板貼りの看板建築が並んで残っている。看板建築から左へ4軒の家は、個々に改装されているが四軒長屋かも知れない。
ガラス戸に「坂森七宝」と入っている家は「坂森七宝工芸店」の自宅だか社員寮だろうか。会社と店舗は浅草通りの元浅草1にある。
写真左の「エルザ」の赤い日よけの家は外観からして喫茶店だったと思うのだが、『相沢米店、他』の昭和62年頃の写真では「フードショップ・エルザ/和洋食材料卸・西谷商会」の袖看板があって、喫茶店だったという証拠がない。エルザの日よけは2017年には破れてしまい、取り替えられて遂にエルザの店名は消えてしまった。

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東部自協組合館。台東区台東4-14。2008(平成20)年3月1日

昭和通りの台東四丁目交差点から南へ150mほどの横丁を東へ入ったとところ。写真左(西)へ行くと御徒町公園。
写真のビルには玄関の両側とその左に円柱があって、玄関の上部に「東部自協組會舘」の建物名称と「東部自転車工業協同組合」という団体名が書いてある。建物はRC造のようだが2階建。奥行きは裏の道路まである。戦後まもなくの建築と思われる。
ストリートビューでは、2010.01では玄関に「多慶屋自転車修理受付入口」の看板。2013.07では「多慶屋本部ビル」と変わっていて壁の色がグレーに塗り直されている。2017年頃に取り壊されて駐車場になった。



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阿部製作所。台東区台東3-27。2008(平成20)年3月1日

佐竹商店街の西の裏通り。1986年の住宅地図では、角が「阿部製作所」、左が「三鈴金属」、阿部製作所の後に二軒長屋。最近、「アパルトモン新御徒町a館」(2022年3月築、2階建4戸)という小さい共同住宅に建替えられた。

阿部製作所から北へ1区画行くと東西の通りに出る。その向かいは竹町公園。その角に写真の銅板張りの家があった。商売をしていた家と思われるが店名は不明。2013年頃取り壊されてTimesのコインパークになってしまった。右の野村製作所は現存している。


竹町公園前の家。台東3-31。2008(平成20)年3月1日

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林カバン店。台東3–25
2003(平成15)年10月23日

小峯米店だった家の向かい側。1966年の住宅地図では、写真左の四つ角の角の家が「岩狭屋商会」、その右の銅板張り看板建築が「林カバン店」。
岩狭屋は「オリエンス御徒町」(2009年3月築、4階建)という小さなマンションに替わった。林カバン店はカバン店としての営業はとっくにやめていたようだが、2017年頃に「はやし亭」といううどん屋を開業した。その際、当然ながら1階のショーウインドウは取り外された。

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