ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




ウインクレル商会倉庫。神奈川県横浜市中区山下町256。1993(平成5)年5月5日

JR根岸線の車窓から見えていたのを憶えている。3枚目の写真に写っている市立みなと総合高校の校舎は現在も変わらないから、場所はそれで判明した。『日本近代建築総覧』にあたってみると、「ウインクル商会倉庫、中区山下町256、建築年=昭和、構造=RC2」というのがある。ネットで「ウインクル商会」を検索してみると 「Winckler & Co.,Ltd.」が見つかった。日本語表記では「ウインクレル株式会社」だった。そこのHPの「歩み」に写真の建物が載ってた。
ウインクレルは食品産業機械、薬品産業機器などを扱うドイツ系商社ということだ。HPにこの建物の写真を載せているから、ただの倉庫ではなく社屋だったのかもしれない。
現在は、「ヴィルヌープタワー横浜関内」(1997年10月竣工)という高層マンションになった。写真左の「総合結婚式場」(労働福祉センター)も、地図に「ソフトウエア興業関内寮」となっているビルに替わっている。



壁の文字を、写真の明度を下げたりして読んでみると、「THE NIPPON EXPRESS CO.,LTD」。その上には「日本通運」と書いてあったらしい。日本通運がこの倉庫に基地を置いていたのだろう。



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ジャパンエキスプレス・コンピューターセンター。神奈川県横浜市中区海岸通1-1
1987(昭和62)年8月9日

『日本近代建築総覧』に「ジャパン・エキスプレス・コンピューター・センター、建築年=1936(昭和11)年、構造=木2」で載っている。2階建てには見えない。写真ではよく分からないが、建物右端に「㈱ジャパンエキスプレス/コンピューターセンター」の袖看板が架かっている。ジャパンエキスプレスがエキスプレスビルにある会社なら、社名は「株式会社ジャパンエキスプレス」が正式である。『近代建築散歩 東京・横浜編』(小学館、2007年)の建物名称「旧ジャパンエキスプレスコンピューターセンター」のほうが正しいかもしれない。ぼくはその中間を取った。
煙突(としておく)のマークは「Y/N」を組み合わせたように見える。上の写真では煙突の陽のあたっている側に、マークと同じ位置に同じ大きさの丸窓があるように見える。はて、これは? 時計をはめていた跡だろうか? 今はその部分は白く塗られているだけに見える。

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マリン商会。神奈川県横浜市中区海岸通1-1。1991(平成3)年7月28日

大桟橋埠頭への通り沿いに並ぶ平屋の小さい建物。外観から戦前の建築と判る。洋風で四角いのでコンクリート造りにも見えるが、この規模では木造だろうか。アメリカの、あるいはメキシコの田舎町のような感じだ。この写真だけからいうと、左から、マリン商会、「YHM」のマークのレリーフがある建物、「ダイビングスクール」の看板が置かれている建物、そして右端のビルが日本海員掖斉会ビル。



YHM。左:1987(昭和62)年8月9日、右:2003(平成15)年2月8日

『神奈川の近代建築探訪』によると、マリン商会は「海図などを販売していた」そうである。また、YHMは「Yokohama Harbor Market」という店の写真が掲載されている。今は「HAMA CAFE」というカフェだかレストランに替わった。上の写真では「Yokohama Harbor Market」の看板は出ていないので、その店が開店するのは2003年以降だったかもしれない。建物に刻まれているマークと「Yokohama Harbor Market」との関係は不明だ。マークを生かした店名にしたのかもしれない。
『近代建築散歩 東京・横浜編』(小学館、2007年)には「YHM」の写真で「HAMA CAFE(旧マリン商会)、1930(S5)前後」としている。マリン商会はYHMの隣の建物ではないかと思うが、あるいはYHMの建物もマリン商会が使っていたのかもしれない。

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BLUE BLUE YOKOHAMA。神奈川県横浜市中区海岸通1-1。2003(平成15)年2月8日

大桟橋への通りの入り口にある横浜水上警察署の向かい側には小さな家がいくつもかたまっている。通りの側と象の鼻防波堤内の港側との2列にそれぞれ4・5棟の家が並んでいる。今はそのうちの何棟かがなくなって空地になっている場所がある。
写真の建物は倉庫だったらしい。「BLUE BLUE YOKOHAMA」というジーンズなどの洋品と小物雑貨の店である。入り口上部の壁に「WORLD TIME」の字があるが、「BLUE BLUE」の字は見当たらない。入り口横のペンギンが店の目印で、その腹に店名が書かれている。そのことはこの稿を書くためにネットで最近の店の写真などを見て知ったばかりだ。ぼくは今までずっとペンギンはゴミ箱かと思っていた。今は建物の横に大きく「YOKOHAMA」と「BLUE」の字が書かれた。
入り口の半円形に突き出した庇がなんともかわいい。

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エキスプレスビル。神奈川県横浜市中区海岸通1-1。1987(昭和62)年8月9日

今は1階に飲食店が入って、周りは人でごった返している。下の写真は2000年に撮ったもので、ロケでもやっているようで普段どおりではないが、だいたいいつもこんな具合だ。それにしても上の写真は不思議なほど人がいない。
1927年に創業した「ジャパン・エキスプレス」とい会社が建てた本社ビルで、今もその会社の本社になっている。1930(昭和5)年の竣工で、設計は川崎鉄三、施工は三木組。
外観はアール・デコといっていいのかよく分からないが、マイアミのアール・デコ地区にみられる――ぼくはネットで見ただけだが――建物に、同様のデザインのものがある。パステルカラーの色調が共通していて、そのせいかもしれない。建物の中央に玄関と垂直性を強調した階段室の窓、その左右に水平な枠をとって左右対称に窓を並べている。エキスプレスビルをマイアミビーチに置いたら、ちょっとおとなしいかもしれないが、周囲のビルに紛れてしまうだろう。


2000(平成12)年1月14日

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第三鹿島酒店。中央区月島1-19。1988(昭和63)年1月17日

月島1丁目の月島西仲商店街の四つ角に、第三鹿島酒店の洋風看板建築の建物がある。戦前からある古い酒屋らしい。同じ建物の左側はハナキ花園という花屋。写真では現在のアーケードがほぼ完成している。地下鉄有楽町線の月島駅の開通が半年先に迫っているという時期だった。
現在の第三鹿島は店の正面を横丁側に移している。




上左:岡村玩具店。月島1-23。2000(平成12)年1月5日
上右:ゑちぜんや。月島1-23。2008(平成20)年10月3日
左:信成堂薬局、かね重陶器店、勇林堂書店。月島1-20。2008(平成20)年10月7日

上左写真は撮影時ではたぶん、左から、吉川(うなぎ)-パステル(弁当・総菜)-岡村玩具店-大黒屋食品店。今では岡村が「もんじゃ麦西仲店」となったが他は変わらないようである。建物に古い店名が残っている。「なんでもや/坂巻-川上商店-オモチヤ/toystore-大黒屋」。
上右写真は戦前から、「魚亀-久保田葬儀店-越前屋パン店」という並びだったが、魚亀が「もんじゃ哲ちゃん」に替わっている。

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えびすや(旧池本酒店)。中央区月島3-9。2008(平成20)年10月7日

写真手前は月島西仲商店街の古い交番がある四つ角。写真の商店街東側の家並みは、手前から、えびすや(もんじゃ)-おかめ(もんじゃ)-蔵(もんじゃ)-井本靴店-花長生花店-おかめ国次郎店(もんじゃ)。この10年ほどでもんじゃ屋に転向する店が目立つが、この並びは西仲商店街の中心辺りになるからか、特に多いようだ。
1986年の住宅地図では、同じ建物が、池本酒店-誠美堂(化粧品店?)-井本(カバン店?)-井本靴店-花長生花店-花井金物店。これらの店だと戦前からある店が多いようである。
池本酒店だった時の写真は 『セイフー、池本酒店』にある。




上左:花長生花店、花井金物店。月島3-9。2000(平成12)年1月5日
上右:うるしはら(鮮魚)、大黒屋(文具・タバコ)。月島3-7。2008(平成20)年10月7日
左:古久屋(こくや、手芸品)。月島3-5。2000(平成12)年1月5日

花長と花井は2階前面をベランダ風にしている。銅板貼り看板建築の家は、今では西仲商店街ではあまり見かけない。古久屋は最近、カフェに変わった。

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左:久月。中央区月島3-6。2000(平成12)年1月5日
右:杉山米店。月島3-7。2008(平成20)年10月7日

西仲通商店街の久月(そば)のある四つ角は、あづまや履物店がビルになっているほかは、周りは木造建築なので昔の建物が残っているのだと思う。
下に同じ場所の中央区立図書館の資料を拝借して掲載したので見比べてみよう。
1957年の写真は8月に行われる「住吉神社大祭」の提灯が架かっているから7月の撮影だろうか? 1958年の写真は門松の竹が立ててあって、歳末の風景とみて12月。2枚の写真は1年半の間隔がある。その間に、久月の隣の御天気堂薬局が3階建ての店舗に替わっている。また、久月の向かいの杉山米店が出桁造りの家を改修して看板建築に替わっている。1958年にはすずらん灯は変わらないが、「西仲通商店街」のネオン付の看板が新たに設置された。なお、西仲通りに歩道とアーケードを設置するのは1960(昭和35)年のことである。
1957年の写真の右端にあずまや履物店の旧店舗が見られる。この店はビルに替わった今も、下駄を店頭に置いている。あずまやの手前には「外食券食堂・吉原屋」の看板が見える。外食券制度は1969(昭和44)年まであったそうだが、撮影時には名前だけのものだったと思う。ぼくの疑問は実際に外食券を使って食事をした場合、料金を払ったのかどうかだ。


左:月島西仲通り-西仲通四丁目付近-(芝浦モートル、そば久月、米店杉山、青果大幡、川島屋)撮影=1957(昭和32)年〔002265718〕
右:月島西仲通商店街(高橋電機工業、久月そば店、御天気堂薬局)。撮影=1958(昭和33)年〔002265718〕
中央区立図書館>地域資料』より。キャプションのタイトルは写真に付けられたもの、( )内は建物の検索用キーワード、〔 〕は書誌番号。撮影者は京橋図書館。

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霞が関合同庁舎第二号館。千代田区霞が関2-1。1986(昭和61年)7月27日(3枚とも)

写真の大通りは桜田通り(国道1号線)で写真右の高層ビルは江戸城桜田門前の警視庁・・・と説明の用はないだろう。合同庁舎二号館の旧庁舎を撮ったのはいいが、肝心の霞ヶ関一丁目交差点の角の丸くなっている部分が入っていない。
内務省の庁舎として1933(昭和8)年に完成したビル。設計は大蔵省営繕管財局、施工は清水組で、鉄骨鉄筋コンクリート造5階建。中庭が二つある「日」の字形の平面で、1階は石張り(伊豆の横根沢石)、2階から上はスクラッチタイル貼り。外観は同年に建った文部省のビルと同じ感じで、とにかく地味である。
内務省とは、本当のところは知らないのだが、地方行政を牛耳り、警察権を握って国民を監視し、国土計画から労働・衛生まで所管していた巨大組織だから庁舎も巨大だ。戦後、GHQによって廃止された。撮影時では自治省・警察庁・消防庁・人事院・国家公安員会などが入っていた。一般には「人事院ビル」の名称が広く使われたようである。



人事院ビルの南側の道路は「霞が関坂」でもある。その坂道沿いの面。



霞が関坂のほうの玄関上部。

――参考サイト: 『廃景録>合同庁舎第2号館』

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左:大西クリーニング店。中央区3-15。2008(平成20)年10月7日
右:吉田金物店。1991(平成3)年1月20日

清澄通りの 芙蓉書房だった店の角を西へ入った横丁。右奥が清澄通り。最近の左写真では、左から、大西クリーニング店、民家、山崎牛乳店(明治牛乳)、民家、ほていさん(あんこう鍋)、吉田金物店、肥田野商店(ガス・石油機器、灯油)、そして1階が丸中(天ぷら)のビルが裏通りとの角にある。
右写真は20年前の吉田金物店で、隣の家は中島食品。この頃の地図では角のビルは「かねはん」となっている。肥田野商店は戦前からの店で、昭和10年頃の火保図には「ヒダノ炭屋」の書き込みがある。



左:島タイヤ、右:青木洋服店。月島3-15。2008(平成20)年10月7日

右写真の青木洋服店は、昭和10年頃の火保図に「洋服青木屋」の書き込みがある古い店である。建物は隣の白い壁の家との二軒長屋だ。左写真の二軒長屋(右写真の左手に写っている)と同じ造りの長屋だったと思われる。

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