ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




柴崎家。台東区根岸5-21。1989(平成1)年2月19日(3枚とも)

明治通り・大関横丁の1本西の横丁を南へ入ったところ。写真右端で明治通りに出る。ビルは明治通りの向かいのモナークマンション。写真の旧家の向かいは、当時は大関横丁の角にあった第一勧業銀行三ノ輪支店の裏側だ。
現在は、明治通りの角のほうはパチンコ屋の建物が建っているが2階建てだから仮建築のようだ。その裏の、写真左の部分は駐車場で、パチンコ屋と駐車場の間は写真中央の門と塀、門の左の大きな木、つまり庭の一部が残っている。



大関横丁交差点裏の長屋。根岸5-22

1枚目の写真を左へ行った次の四つ角。写真右奥で昭和通りへ出る。その道路の下が日比谷線三ノ輪駅だ。
現在、写真の長屋は取り壊されて駐車場になっている。



2枚目の写真の家を逆の方向から。写真左の洋風の屋根は「中ざと」という居酒屋。昭和25年頃の創業というから建物もその時の建築だろう。たぶん料亭だったのだろう。住所は根岸だが「三ノ輪の」といわないと通じないようだ。

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文泉堂支店。神田神保町2-5。1986(昭和61)年9月23日

靖国通りの神保町交差点と専修大前交差点の間の中ほどで、写真の建物は今も変わらない。バス停は「専修大前」。
第2神保町ブックセンター/文泉堂書店支店の家は「沢書店」として有名な看板建築だ。建物の巾いっぱいにあった2階のベランダの手すりは失われているようだが、看板を外せば「澤書店」の文字が現れるのかもしれない。


日清堂書店。千代田区神田神保町2-7。1987(昭和62)年頃

靖国通りの専修大前交差点の近く。現在、牛丼の吉野家とカレーのシディーという店になっている2軒の2階建ての家があるから、そのかつての姿だろう。

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ワカバ写真館と隣の稲荷社。台東区根岸5-24。左:2005(平成17)年7月23日、右:同年7月31日

栄泉湯のところに建ったマンションの横である。明治通りと昭和通り―日光街道が交わる大関横丁交差点のすぐ裏。現在も日光街道沿いにかつての理容キヨノの建物が残っているが、その家の裏で、表通りからは見えない。大通りのすぐ裏にこういう路地が隠れているという立地と、すでに廃業して久しいようだが写真館という店の存在がとにかく惹かれる。たぶんまだ残っていると思う。


2005(平成17)年7月31日

『下町残照』(村岡秀男著、朝日新聞社刊、1988年)に、当主夫人の話を記録している。それによると戦争中に当主の父が写真館だった家を借りて商売を始めたという。当書の写真は昭和62年1月の撮影で、ショーウインドには成人式の記念写真が飾られている。

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左:栄泉湯。台東区根岸5-23。1989(平成1)年2月19日(3枚とも)
右:理容キヨノ。根岸5-24

理容キヨノの写真の右の道路は歩道しか写っていないが日光街道で、奥へ少し行くと常磐線のガードを潜る。分かりにくいが写真にもガードが写っている。そのガードの少し手前に昔は三ノ輪橋が架かっていた。音無川(石神井用水)が南西に向きを変えるところで、三ノ輪橋の北は荒川区南千住。キヨノの向かいのすぐ裏に浄閑寺がある。現住所は根岸だが、この辺りはどう考えても三ノ輪である。旧住所は三ノ輪町。
キヨノの手前を左に入った路地にあったのが栄泉湯。東京では珍しい洋風のファサードの銭湯だった。


洋風の民家
根岸5-24

理容キヨノの並びで北へ2・3軒先のところ。

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東京歯科大学。千代田区三崎町2-9。1985(昭和60)年2月24日

JR水道橋駅のすぐ北にある東京歯科大学水道橋病院の旧ビルである。前の道路は白山通り。撮影時はまだ東京歯科大の校舎という認識が一般的だったと思う。東京歯科大は1981(昭和56)年9月に千葉市美浜区に移転しているので、写真はすでに「東京歯科大」ではないが、それはこの原稿を書いている時点で分かった。
写真の校舎は1929(昭和4)年11月に落成した。当時は「東京歯科医学専門学校」。設計:森山松之助、施工:大阪橋本組。森山は大正期に台湾の官庁舎を幾つも手がけ、帰国後、建築事務所を開設して多くの民間建築等を設計したという。東京歯科大のようなモダンな建物も他にあったのかもしれない。
森山の作品として当ブログでは、東京弁護士会(霞が関)、寿ビル(神田神保町)、米井ビル(銀座)、丸嘉ビル(銀座)、朝日石綿工業(銀座)を収録してある。

上左:1983(昭和58)年9月
上右:1985(昭和60)年9月15日
左:1983(昭和58)年9月

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研数学館。千代田区西神田2-8。1987(昭和62)年1月4日

予備校だった研数学館の建物は白山通りに面して、今も健在である。1929(昭和4)年2月の竣工で施工は清水組。設計者は不明のようだ。
写真左の商店はヒグチとキッチン・レナ。店は変わったが建物はそのままだ。

左:1985(昭和60)年2月24日、右:1987(昭和62)年1月4日

財団法人研数学館の組織になったのは1941(昭和16)年で、そのときに理数系の旧制専門学校「研数専門学校」を設立した。玄関上の看板はそのときのものだろうか。玄関を入ると天井近くに「研数理開宇宙」(数理を研き宇宙を開く)の額が懸かっているのが外からも見えた。1897(明治30)年に数学の私塾として設立した時の理念だという。1955(昭和30)年に学制改革により、大学受験の総合予備校としてスタートする。――「旧制専門学校」と「学制改革」がどういうものなのかよく知らないので、書いていて落ち着かない――。生徒数の減少で2000年3月で廃校になった。



上:1992(平成4)年5月4日
左:1987(昭和62)年1月4日

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巴川ビル別館。中央区銀座3-7。1999(平成11)年1月2日

銀座の松屋デパートの裏に今もある巴川ビルの隣にあったビル。名称は住宅地図からだが、巴川製紙が取得したか使っていたのかもしれない。
昭和10年頃の火保図では「豊玉館」。前の通りを東へ少し行くと戦後じきに埋立てられた三十間掘川に豊玉橋が架かっていた。昭和30年頃の火保図では「巴川ビル/帝国人絹KK」。5階建てとしてあるので少し引っ込んだ6階はそれ以降の増築らしい。


巴川ビル
銀座3-7
1987(昭和62)年5月31日

「第14回BELA賞ベストリフォーム部門選考講評」によると、1920(大正9)年頃の竣工で、銀行として建てられたそうだ。BELA賞は2000年に行なわれた大成建設の改修工事に与えられた。改装がすんで「キハチチャイナ銀座店」が再オープンした。
「1920年頃」はちょっと信じがたい。20年代としても無装飾で四角い箱型のビルは珍しかったと思う。戦前の火保図では「三間ビル」、戦後のでは「巴川製紙KK/巴川ビル」。
「川奈ホテル」の看板が架かっている。伊豆の有名なゴルフ場とホテルを経営する会社の本社がここだったのかもしれない。

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瀧山町(たきやまちょう)ビル。中央区銀座6-7。左:1985(昭和60)年6月2日、右:同年5月9日

現在、テナントが次第に撤退してやがては取り壊しに……という評判のビルである。「竣工:1928(昭和3)年、設計:三輪幸左衛門、施工:錢高組」ということだ。三輪幸左衛門は「近代建築探訪>瀧山町」によると「大正5年に東大建築学科を卒業、海軍技師で横須賀海軍航空隊(昭和7年)などを設計」とある。
ネット上での瀧山町ビルのレポートとしては「都市俳諧blog」が2008年2月に3回にわたって取り上げていて、写真・文の内容ともにすばらしい。



1986(昭和61)年12月30日

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みその(喫茶)、ウララ理髪店。千代田区神田神保町2-8。1990(平成2)年5月27日

靖国通りの専大前交差点から水道橋駅のほうへ少し行ったところ。今は専大通りというらしいが、西神田交差点から神田川の後楽橋までは水道橋西通りである。みその(喫茶)とウララ理髪店の建物は同じ形で、梅の湯の前に建っている。梅の湯の家作なのかもしれない。その左は住宅地図では「和泉屋」。
梅の湯は2001年にビルになったがその1階で営業を続けている。みそのがどういう事情なのか、「スナックみその」で今も残っている。
写真右の桔梗屋ビルのところに「銀映座」という映画館があったそうだ。



1987(昭和62)年1月4日

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丸屋油店。千代田区神田神保町1-35。1987(昭和62)年11月8日

靖国通りから南に入る横丁から北の方を見ている。写真右奥が靖国通りで、書泉グランデの角だ。
丸屋油店の隣は茶房きゃんどる。その隣の康楽(中華料理)と越中屋酒店は店も建物も変わっていない。ルノアールの入るのは山村ビルだが、いつのまにかファミリーマートに変わっている。

左:かねいち(うなぎ)。神田神保町1-51。1987(昭和62)年12月31日
右:かるた(バー)。神田神保町1-27。1987(昭和62)年11月8日

かねいちは白山通りに面したブロックの白山通りとは反対側にあった。2階は「エール出版社」。現在は再開発された東京パークタワーの敷地内だ。
Home Barかるたは当ブログ「茶房きゃんどる、他」の3枚目の写真の家で、こちらの写真はバーだった頃のものなのでついでに掲載した。隣は「にしむら」(天ぷら)。

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