ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




武蔵野和菓子店。台東区台東3-44。1988(昭和63)年4月10日

昭和通りから竹町公園の前を通って清洲橋通りへ出る通りに面していた。
瓦屋根が見えてしまっているので看板建築とは言いにくいが銅板張りの家である。ヤマダ理髪店が同居している。シャッターの張り紙は閉店か休業のお知らせなのだろう。



鳥長。台東3-37。1992(平成4)年3月22日

武蔵野和菓子店の並びで2ブロックほど東へ行ったところ。店構えから判断して豆腐屋かと思ったが、あるいは「鳥長」は屋号で鶏肉屋なのかもしれない。

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佐竹商店街。台東区台東3-1。1988(昭和63)年12月31日

佐竹商店街の南口に近いあたりから南方向を撮ったもの。吉田屋呉服店と「おしゃれの店」と書いてあるVIPの間に清洲橋通りに出る路地があいている。商店街は少しカーブして、清洲橋通りと佐竹通南口交差点で交わる。VIPの並びは大川時計店と高島屋洋装店。右の本屋は小野書店で、その手前はあとう仏壇店だから店先に出しているのは線香だろうか。
アーケードは昭和44年に完成したもの。


左:銅板張りの民家。台東3-26。1988(昭和63)年4月10日
佐竹商店街の西の裏通り、西郷内科のすぐ北である。2階のベランダの上部に、梁を支える形で和式の装飾をはめ込んでいる。

右:幸楽荘。台東3-31。1985(昭和60)年10月27日
竹町公園の南を東西に通じている通りのさらに南の裏の道路。写真右奥へ行くと佐竹商店街を突っ切って清洲橋通りに出る。総2階で下見板の外壁なので長屋という印象ではなく、やはり木造アパートだ。

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高松屋。中央区日本橋堀留町1-10。1987(昭和62)年4月5日

写真右の通りが人形町通りで堀留町交差点から北の小伝馬町の方を見ている。左右の通りは昭和通から清洲橋通りへ通じている。堀留町1-10は椙森(すぎのもり)神社が、高松屋とは反対の角を占める。
高松屋の建物はその左につづいている3軒の家と一体のようにも見える。昭和30年頃の地図では「高松屋食堂、鈴木床ヤ、森歯科医院」。



はせ甚駐車場、鈴木理髪店。1987(昭和62)年4月5日

はせ甚駐車場は戦前からあった長谷甚という料亭の跡地。奥へ入ったところにあって、車の置いてある場所は出入り口である。


左:旧西野工業。日本橋堀留町1-4。1985(昭和60)年4月28日
1枚目の写真の左右の通りを左へ少し行ったところにあった。正面は洋風に造ったような感じだが、和風に見えてしまう。

右:旧西山繊維。日本橋堀留町1-2。1988(昭和63)年7月31日
写真左方向へ行くと日本橋消防署堀留出張所の角に出る。
建物には看板がないが、住宅地図でも空白である。この建物は現在もほぼこのままで残っている。20年以上、空き家のままなのだろうか。

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サンヨー堂ビル。中央区日本橋堀留町1-3。1987(昭和62)年4月5日

写真右奥へ行くと日本橋消防署堀留出張所の前を通って人形町通りに、サンヨー堂のビルの角を左へ行くと江戸通りに出る。
昭和25年頃の地図では「伊藤忠商事東京事務所」で3階建てのビルとなっているので、昭和30年以降に建て直しているいるようだ。



中村商店。日本橋堀留町1-2。1989(平成1)年10月1日

当ブログ前回の「東武ビル」の並びで、古い3軒の家は現在もほとんどこのままで残っている。戦前の地図では左から「倉庫、タバコ屋、キッサ店」、昭和25年頃の地図では「杉浦KK、中村家、キッサ紅」となっている。下の写真のように昭和60年には喫茶店は営業していたわけだが、戦前からある店なのだろうか。


紅(喫茶・食事)、中村商店(包装材料)
1985(昭和60)年4月

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フレンド商会。中央区日本橋堀留町1-3。1988(昭和63)年8月5日

日本橋堀留町は人形町の北にあって、人形町通りを中心に西側が1丁目、東側が2丁目である。戦前までは、東堀留川や西堀留川の運河の便があって鉄や銅などの金属問屋が集中していたという。現在は繊維関係の会社が多い。堀留1丁目のほうは空襲の被害を免れた地域のようだ。
写真の家は人形町通りから1本西側の裏に入ったところ。小柳という料理屋か飲み屋は戦後すぐの地図にも載っている。



1985(昭和60)年4月28日。もう1枚フレンド商会の写真があるので出しておく。写真右奥へ通じている道路の向かいは大伝馬町になる。


東武ビル
日本橋堀留町1-2
1987(昭和62)年頃

人形町通りから西へ、昭和通りに通じる横丁に日本橋消防署堀留出張所があるが、写真のビルはその裏にあった。入口には「日本折箱製造(株)」と「株式会社東武ビルディング」の表札が懸かっている。

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銀座東邦生命ビル。中央区銀座3-3。1986(昭和61)年5月11日

第一徴兵保険(戦後の東邦生命)という会社が本社として建てたビルである。設計:徳永庸、施工:清水組、竣工:1931(昭和6)年8月(着工は1930年1月)。当時の名称は「銀座ビルヂング」。マロニエ通り(古くは「大倉通り」といったらしい)に向いた正面にコリント式オーダーを並べた本格的な古典様式のビルだ。
設計者の徳永庸は、ぼくは初めて聞く名前だ。早稲田大学建築科の出身らしい。JR神田駅近くの山梨中央銀行東京支店の建物が徳永の設計である。
2003年に解体されて、2005(平成17)年3月に「ZOE銀座」というガラス張りのレストランと婦人服のビルが開業した。銀座の格式を利用して金を持つ女性を呼び込もうというわけで、金のないおじさんなどは来なくてもいいのである。それは仕方ないとしても、東邦生命ビルのような建物の消失は、長期的には銀座の格を引き下げることにならないだろうか。


左:1986(昭和61)年1月19日、右:1988(昭和63)年3月6日

『震災復興〈大銀座〉の街並みから』(銀座文化史学会編、1995年)という本は清水組が手がけた銀座の建物の竣工時の写真を集めたものである。そこに銀座東邦生命ビルの屋内の写真もあって、どんな部屋があったかが分かる。
1階に営業室、5階に蓬莱生命(第一徴兵保険の姉妹会社)営業室、7階に社長室や社長応接室、8階に250人収容の集合室、地下1階に小ホールと大食堂と役員用の中食堂、地下2階に倉庫と荷造り場と更衣室、となっている。

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小出製作所。中央区築地2-8。1987(昭和62)年10月4日

写真左右の道路が平成通りで築地二丁目交差点。右方向へ行くと京橋郵便局の角で晴海通りと交わる。写真右奥へ行くと新大橋通りに出る。
白く塗った看板建築は、角に中華そば屋が入っているが、小出製作所の建物。昭和25年頃の地図には「小出タンス店」となっているので、タンスや家具の製作や修理をやっているのだろう。
小出製作所の後ろのビルは「レコード会館」というらしく、「社団法人日本レコード協会」の看板が懸かっている。このビルは昭和25年頃の地図では、戦前に建ったらしい5階建てのビルで「蓄音機会館」となっている。日本レコード協会は1942(昭和17)年、日本蓄音機レコード文化協会の名称で設立された。



小出製作所。1988(昭和63)年2月21日

写真左端の3階に窓のある建物は篠田理髪店。どうも戦前からある床屋のようだ。現在、小出製作所はビルに変わったが篠田理髪店は残っていて商売も続けている。

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三井鉱山築地寮。中央区築地2-7。1986(昭和61)年8月31日

平成通りの築地二丁目バス停のある辺りの裏側の路地。家屋は左手前の家とモルタル塗りの塀の家の2棟がある。昭和25年頃の地図ではすでに三井鉱山築地寮となっている。奥の家は戦前の地図で「料理池田」となっている家で、料亭だったのだろう。


太田ビル
築地2-7
1985(昭和60)年4月29日

平成通り沿いに今も立っている。戦前の地図に「コンクリート4階」として載っているから戦前のビルなのだが、それほど古くは見えない。装飾を削り取ってしまったのかもしれない。階段室の窓が1階分の高さに2つ開けているのが特徴。

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すのはら印刷所。中央区築地2-8。1987(昭和62)年10月4日

写真右奥へ行くと平成通りに出る。すのはら印刷所と中国料理・玉林が関東大震災後に建てた看板建築の家だろう。すのはら印刷所の家は1階の軒周りを前に飛び出させて壁面とをカーブでつないでいる。2階の窓の庇もわりと目立つ造りだ。



2002(平成14)年2月9日
すのはら印刷所の横を撮った写真。路地の奥の出桁造りの家は、今は民家のようだ。

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ニチレイ築地別館。中央区築地2-6。1986(昭和61)年11月

当ブログ前回の土井印刷の斜向かいにあった。
日冷築地別館になっている建物は2・3枚目の写真のようにハーフ・チンバーの洋館がくっついた邸宅で、昭和25年頃の地図では「高橋亀太郎」邸となっている。
写真左のタイル張りの家は春日井商事(推定)。



1986(昭和61)年11月
日冷築地別館の向かいの路地から正面を撮った写真。手前の路地の両側には今もまだ古い民家や商店が残っている。


1989(平成1)年11月5日

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