ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




平野園茶舗。中央区銀座7-15。1987(昭和62)年12月27日

昭和通りの銀座東七交差点を旧築地市場正門の方へ入ったところで、「中央市場通り」の愛称(1991年度設定)がある。写真左のビルが昭和通りに面した「日本交通銀座ビル」(現・日土地銀座ビル)。その右、陰になっているのが「平野園(茶)」、以下右へ「中村商店(自転車)、吉良屋酒店、青木氷室」。木造2階建ての家は戦前築のように見える。
昭和30年頃の火保図では、銀座東7-3の住所で「枚田タバコ、中村サイクル、吉原屋酒S、靑木氷S、八百勝靑果」という記載。平野園は後にここに移ってきたのだろうか。「吉原屋」は地図が手書きなので吉良屋の書き間違いか。八百勝は写真右の「銀座平林ビル」(1980年2月築、9階地下1建)のところにあった戦前から続く店だった。ビルに建て替わるまで営業していたようだ。
平野園は現在「銀座平野園」というらしいが、明治16年創立という老舗。近所に多い料亭などをお得意にしているのだろう。建物は2010年5月に中村自転車店と共に「銀座7ビルディング」(13階地下1建)に建て替わった。吉良屋酒店は「日宝銀座Kビル」(1989年5月築、9階建)に建て替わている。

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白いばら。中央区銀座3-5。1987(昭和62)年5月31日

中央通りの1本西の裏通りで、「銀座ガス灯通り」の名称がある。キャバレーだった白いばらは、有名な洋食の煉瓦亭の2軒おいた並び。2018(平成30)年1月で閉店、すぐ取り壊されて駐車場になった。白いばらの右(南)の「山岡ビル」と「当りや」(1979年では「ハゲ天」)は、2019年に「ココマイスター」(鞄、財布)の2階建の建物に替わった。白いばらの左は「十字屋ビル」(9階地下1階、1986年築)で、建直し中のビル(13階地下2階)が完成する頃だ。



2016(平成28)年1月1日

青い壁面は豆タイル張りのようだが、とにかくその色が目立つ。入り口の左にホステスの出身県の地図、右と左端にホステス募集の広告。それには「お仕事は簡単で楽しいです」「お客様のお話をお聞きするだけでいいのです」とあり、そんな内情が客に分かってもいいのだろうかと思わないでもないが、銀座の客は概しておとなしいのだろう。
創業は昭和6(1931)年。『ウィキペディア>白いばら』によると、前歴があって、「広島出身の初代社長が1921年(大正10年)に深川で「広島屋」という名称の食堂を開業したことに遡る。この店舗を売却して1929年(昭和4年)に銀座二丁目で「バー富士」を開店し、1931年(昭和6年)には同店の最終所在地となる銀座三丁目の一角で「つる屋」を開業した。その後に改名や業態変更を繰り返し、「白いばら」という名称のキャバレーとなったのは1951年(昭和26年)のことである。」とある。
都市徘徊blog>白いばら』によると、建物は1946(昭和21)年に建てられた木造2階建てのバラックに事務所の3階を増築したもの。
看板にある「健全 明朗」は本当だったようで、ネット上ではたいへん評判がよく、閉店が惜しまれている。

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名古屋商工会館。中央区銀座4-3
1987(昭和62)年7月5日

晴海通りの天賞堂の横を入ったところ。通りには「銀座レンガ通り」の名称が付いている。
名古屋商工会館は、『環境デザインマニアック>名古屋商工会館』によると、1930(昭和5)年の竣工、6階建地下1階。壁はクリーム色だろうか。その後白く塗り直されたようだが、その下はスクラッチタイル。窓が大きく、装飾もないので昭和5年の建築とは思えない。昭和10年頃の火保図では「銀座會舘 5F」、昭和30年頃では「名古屋商工会館(コ六) メイジンシト(料理家) アートコーヒ(喫茶店)」。
「株式会社名古屋商工会館」という会社があったらしい。名古屋鉄道株式会社に吸収合併したというから、元々名鉄の関連会社だったと思われる。ビルのオーナーで名鉄の東京の事業所も入っていたのかもしれない。
2015(平成27)年に解体されて、「G4 BRICKS BLD.」(2016年11月築、8階地下1階)に建て替わった。

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石川ビル(ひむろ)。千代田区有楽町2-3
2008(平成20)年11月5日

有楽町マリオンの晴海通りの向かい側の路地を入ったところ。写真左奥で裏のJR高架沿いの路地と合わさる三角形の街区である。昭和30年頃に建ったビルだろうか、3棟の古いビルとそれに挟まれた木造2階建ての建物が建っていた。
「北海道ラーメン ひむろ」が入っているのが「石川ビル」。角のドアはたぶん地下の「Nikka Barびいどろ」だろう。このバーは1969年の住宅地図に載っている。ビルの袖看板を見ると5階まであるらしい。3階上の壁には「ユニオンビル」の袖看板が付いている。「トラジ」の看板は「白石ビル」。石川ビルを取り囲むようにL字形平面で、裏のJR高架沿いの路地にも面していて、そのほうが店の表側である。白石ビルの左は「海鮮居酒屋 銀造」のビル。その裏が「宮内ビル」。これらの建物は2021年6月には取壊しが始まり、現在は9階建のビルを建築中。

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東宝ツインタワービル。千代田区有楽町1-5。2013(平成25)年3月1日

晴海通りの日比谷交差点付近にあったランドマーク的な割と目立つビルだったが、2019年12月末で閉館。「東宝日比谷プロムナード」(2023年3月築、11階地下2階建)に建て替わった。
東宝ツインタワービルは1969(昭和44)年5月の開業。9階地下4階建て。屋上の広告塔が特徴だが、それ以上に鋸状の壁面に縦長に並んだ窓が素晴らしい。設計は阿部設計事務所と谷口吉郎。谷口吉郎(1904-1979)は金沢出身で、1928(昭和3)年東京帝大建築学科卒業。作品には「自邸」(1935年、品川区小山)、「東京国立近代美術館」(1952年、北の丸公園)、「帝国劇場」(1966年、丸の内)、「東京公立博物館 東洋館」(1968年、上野公園)など。
1969年の住宅地図には「全日空/カンボジア航空/ツインタワー/タイ国際航空/ホテルプラザ東京/東宝ビル/キャセイパシフィック航空/紀伊国屋書店」の記載。

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河村内科医院。横浜市西区宮崎町40。2010(平成22)年4月10日

紅葉坂登り口から南の方に曲がった坂道にあった洋風の医院。2015年に解体され、「グリューンハイム紅葉坂」(2016年9月築、7階建17戸)というマンションが建った。医院は南の駐車所だった場所に一戸建ての診療所が建てられた。
『日本近代建築総覧』に「河村医院、建築年=昭和初期、木造2階建」で載っている。正面は1階が前に出ていて。その上はベランダ。さらに玄関の庇が前に出ている。まったくの洋館に見えるが、この部分は2階では半間ほどの厚みしかなく、商店だったら看板建築である。これという装飾はついていないが、玄関の柱の上部に切り込みのような飾りと、屋根の下に持送りがついている。後は住居部分だと思うが、さらに後に別棟の住居があった。



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