ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





エチゴヤ質店。江戸川区南小岩7-27
2018(平成30)年1月14日

サンロード商店街の南、昭和通りと小岩中央通五番街の間にある質屋。四つ角の角で、その両方の通りの外灯に「中央通五番街」の看板が付いている。大通りの五番街商店街から見ると裏通りと横丁だが、同じ商店街の組織の店が並ぶ通りなのだろう。
店舗の裏にはコンクリート造3階建ての蔵がある。戦後に建てられた質屋の蔵として、わりと多く建てられた形の蔵ではないかと思う。
ストリートビューを見ると、店の前の駐車場のような場所が自転車置き場になって、門の中まで自転車であふれている。エチゴヤ質店の向かい側が「ウエノ駐輪場」で、月極3千円。そこが進出してきたのだろうか?

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理容セキモト、須永表具店。江戸川区南小岩8-18。2005(平成17)年3月15日

サンロード商店街と柴又街道との交差点が「南小岩八丁目」交差点。写真はそこから小岩駅の方へちょっと入ったところ。白い壁の二軒長屋の1軒に「理容セキモト」、その右に看板建築が2棟、「須永表具店」と「川宗園茶舗」。こられ3棟は戦前の建物である。あるいは須永表具店と川宗園とは同じ長屋式の建物かもしれない。川宗園の横は白塗りの下見板で、なんとなく洋風だ。
現在は須永表具店と川宗園は取り壊され、須永表具店は空き地、川宗園は奥に建てられたマンションの通路になっている。アーケードに吊るされた「須永表具店」の看板がまだ残っている。


川宗園茶舗。南小岩8-18。2005(平成17)年3月15日

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ふぁと防犯センター。江戸川区南小岩8-11。2005(平成17)年3月15日

小岩サンロード商店街と小岩四南通りとの交差点角にある家。どうやら戦前からある建物のようだ。アーケードを架けた狭い歩道のあるサンロード商店街の側に「ふぁと防犯センター」という鍵屋と「森田屋」というラーメン屋、小岩四南通り側に「Jemoelle(ジュモエル)」というバレエ用品の店と「富士スターツーリスト」という旅行業者。
角の郵便マークは小岩四南通りを北に入ったところに「小岩駅前郵便局」があるので、それを指している。

現在はどの店も閉めてしまったようだ。Jemoelleのピンクの日よけの看板が外されて、その下にあった古い看板の「金魚小鳥」の文字が現われている。「小岩鑑賞魚南口支店」だったようで、本店は北口扇屋前と分かる。小岩駅北口のイトーヨーカドーが1980(昭和55)年4月に開店すると、個人商店や古くからあったスーパーなどは大打撃を受けた。「扇屋チェーン小岩店」は諦めが早く、イトーヨーカドーの開店から一月半後に閉店してしまったという(『我が町 小岩駅北口の変遷』 )。



森田屋。南小岩8-11。2005(平成17)年3月15日

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ダイチューデパート。江戸川区南小岩8-11。2005(平成17)年3月15日

JR小岩駅南口からから東へ、柴又街道へ出る商店街が「小岩サンロード商店街」。写真はサンロード商店街と五番街商店街が交わる角にあった店。
かつて五番街には小岩用水という灌漑用水路が流れていた。戦後、この辺りの闇市が昭和21年10月に道路整備のため立ち退きを迫られたとき、総武線の南から昭和通りとの交差点まで、小岩用水の上に長屋式の店舗を建てて「ベニスマーケット」と称した。じきに違法となったが、撤去が完了したのが昭和37年4月。その後小岩用水は埋め立てられて現在の道路に替わったのだろう。(『東京人2009年275号』「小岩ベニスマーケットの残影を追って。/川名木ひろし」参照)
ダイチューデパートは段ボールを積み上げているので食料品店だろう。看板建築風だが戦後の建築である。
サンロードに向いた3軒は、現在は取り壊されて仮建築の平屋の建物が建っている。
下の写真は五番街に入ってダイチューデパートの後ろの店を撮ったもの。


オランダ商会、むつみや菓子店。南小岩8-11。2005(平成17)年3月19日

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キムラヤパン店。墨田区京島2-6。2014(平成25)年5月5日

当ブログ前回の「廃屋のガレージ」の向かい側。写真手前から、赤坂肉店、キムラヤパン店、吉川食料品店、三軒長屋。店はいずれも廃業していて、あるいは空家になっている家もありそうだ。赤坂肉店の左は住宅に建て替わっているが、昭和の時代では地図に「魚辰」とあるから魚屋だったらしい。写真右奥に長妻酒店があり、あとは八百屋があれば普段の食卓に必要な食品がこの近所でそろえられたわけだ。
現在は、左の二軒は住宅に建て替わり、吉川食料品店と三軒長屋は2015年に取り壊され「不燃化促進用地」になっている。



吉川食料品店と三軒長屋。京島2-6。2013(平成25)年4月11日



三軒長屋の横と裏側。京島2-6。左:2013(平成25)年4月11日、右:2014(平成25)年5月5日

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星野餃子店の長屋。墨田区京島2-12。2016(平成28)年6月12日

旧曳舟たから通り(曳舟たから通りの西に、ゆるくカーブしながらほぼ平行に通っている古い通り)から虎橋通りに入って東武亀戸線の踏切までの間に残っている平屋の長屋。床屋(下田理髪店)だった一軒が二階建てに建て直しているが、元は四軒長屋だったのだろう。
長屋の左が持ち帰りの星野餃子店で、営業していれば飲み屋のような赤提灯が出る。「食べログ」からの情報だが、47・8年は続いているらしい。看板に「おでん」の文字が読める。飲み屋だった時期があったのかもしれない。
下田理髪店は三色のタイルとドアの形で容易に床屋だったと推察が付く。
下の写真は同じ長屋を、両端からそれぞれ撮った写真。


星野餃子店、鈴木葬儀社。2013(平成25)年6月12日


廃屋のガレージ。京島2-13
2014(平成25)年5月5日

星野餃子店の長屋の並びにあった民家。写真左の家は「ホクシンデンキ」の軽トラックの車庫になっている。左の柱に付いている縦長の看板は「富士電機乾電池」の看板。電気屋だったらしい。
ストリートビューを見たら二軒とも取り壊されていて、「不燃化促進用地」の貼紙が棒の先の板に貼ってあった。

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虎橋通りの四軒長屋。墨田区京島2-11。2013(平成25)年4月11日

安食屋豆腐店の長屋の向かい側を南西方向に入っている通りを昔は「虎橋通り」といった。120m行くと東武野田線の踏切を渡る。かつてそこに「虎橋通駅」があったので、虎橋通りの名前はけっこう知られているように思える。四ツ目通り(押上通り)の開通は昭和15年で、それ以前は吾嬬町(現・八広、京島)から押上への主要な道路だったという。商店もけっこうあったようだ。今そこを歩いても、住宅街のちょっと広い路地にしか見えず、昔の賑わいはとても想像できない。
八広の爺ちゃん>押上小学校』に「虎橋通り」についての記述があり、わりと詳しいことが判る。
写真は虎橋通りに入ってすぐのところに残っている四軒長屋。


虎橋通りの四軒長屋。左:2016(平成28)年6月12日、右:2013(平成25)年4月11日


長妻酒店。京島2-7
2016(平成28)年6月12日

四軒長屋の斜向かいにある酒店だった家。ストリートビューにこの家が飛木稲荷神社の祭礼でのお神酒所になっている画像が出る。飛木神社は東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)と京成押上線が並ぶところの北(押上2-39)にある。

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四軒長屋。墨田区京島2-10。2013(平成25)年4月11日

京成曳舟駅の近くの曳舟川通りから、南東方向へ、東武亀戸線の小村井駅の南の文化二丁目交差点までの通りを「曳舟たから通り」という。その裏通り的な通りが、たから通りの西にほぼ平行に通っている。その通りはゆるく左右にカーブしながら、たから通りの「キラキラ橘商店街」の入り口辺りで再び合わさる。昭和初期の地図には「都百四十三号吾嬬曳舟停車場線」とある。大正9年にそのように指定された府県道だ。江戸時代は田畑の灌漑用水路、昭和になって住宅や工場が建てこんでくると排水路に替わった川が道路に沿って流れていたのだろう。昭和初期の地図では京島2丁目のところでは通りの北側に川が書き込まれている。
写真の四軒長屋の前にはその川が流れていたと思われる。長屋の左の住宅は長屋の端の1軒が建て替わったものかもしれない。とすれば元は五軒長屋。店は「安食屋豆腐店」だけだが、『東京-昭和の記憶->京島二丁目』の1986・87年の写真を見ると食料品店のような店や「東軒」という中華料理店が写っている。



貝塚酒店。京島2-7。2013(平成25)年5月5日

安食屋豆腐店の四軒長屋の向かい側にある商店。昔の航空写真を見ると二軒長屋だったような感じで、右の家はその1軒を建て替えたか大幅に改装したものらしい。

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スナックNOBU、伊勢谷和菓子店。墨田区京島2-4。2016(平成28)年6月12日

四つ目通りの東武亀戸線の踏切りと京島二丁目交差点との中間あたり。モルタル塗りの看板建築の二軒長屋に「NOBU」というスナックと「伊勢屋」という和菓子店が営業している。両店とも1985年の住宅地図に出ているのでそこそこ長くやっている店だ。その地図に、写真左の空き地が「記念碑100」となっているのはなんだろう。


斉藤製作所。京島2-4
2016(平成28)年6月12日

1枚目写真の伊勢屋の右に写っている家。規格品以外のボルト・ナットを製作しているのだろう。建物がかなり傾いているのだが大丈夫だろうか。右の空き地は1985年の地図では「橋崎商店」。

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旧星野時計店。墨田区京島2-2。2010(平成22)年5月6日

四つ目通りの東武亀戸線の踏切りからすぐ東のところ。看板建築にした二軒長屋が2棟ならんでいる。いずれも商売は辞めてしもた屋になっていて、住居に改装されている。上写真右の棟の左の家は1985年の住宅地図で「星野時計店」。下の写真は同じ長屋を東から撮ったものだが、その写真で左の長屋の右の家が、1968年の地図で「みのや菓子店」。その地図では上写真右端の空き地は「王電書房」と「井口座卓店」となっている。


旧みのや菓子店。京島2-2。2010(平成22)年5月6日



民家。京島2-4。2016(平成28)年6月12日

2枚目写真の左の横町を入ると戦前築の住宅や長屋が今も点々と残っている。上の写真の正面の白い壁の家も戦前築の家を改装したのかもしれない。下写真の切妻屋根の妻側を路地に向けている建物は平屋の四軒長屋。その手前、空地を鉄板の塀で囲っているところにも同じ平屋の四軒長屋があったようだ。


平屋の四軒長屋。京島2-4。2013(平成25)年4月11日

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